最近ネットなどでは、覚醒するための教えは沢山ありますが、本当の自分に気がつく教えにめぐる会うのはまれなことです。今回はOshoの本の中より素敵な講話がありましたのでシェアします。長いですがシッカリ読んでみて下さい。
Osho:人は往々にして、自我に何かをつけ足すことができると、自分は霊的な探求者であると思い込むことがある。あなたがたの言う霊的な旅というのは、巧妙な自我の幻想にすぎない。人々は自我をもっと満足させたい、自我をもっと強くしたい、自我にもっと活力を与えたい。彼らは自我を聖なるオーラで包みたい。が、聖なるオーラは自我が消えてはじめて現れるのであり、この二つは共存できない。
人を覚醒させることのできる教えに巡り合うのはまれなことだ。人を揺さぶり起こし、深々と根を下ろした長い、長い夢から引きずりだせる師に巡り合うのはまれなことだ。師との遭遇は希有な現象であり、それを、取り逃がしてしまうことはたやすい。簡単に取り逃がすのは、大鎚で叩きつぶしてもらえるよう師の前に頭を差し出すことが、師とともにあるための第一条件だからだ。
師とは大鎚だ。人々は勘違いをして、師が「よし!君は偉大な霊的探求者だ」と言ってくれる状況を探し求めている。彼らは師が自我を支えてくれるものと思い込んでいる。今は亡きハビブが望んでいたことはそれだ。彼は私にこう言って欲しかった。「君は偉大な霊的探求者だ。君がしてきたことは、まったく申し分なく、寺院の基礎は完成している。君はほとんど用意ができており、ほんのわずかのものが加われば、すべてが完成するだろう」と。
彼が求めていたのはそれだ。が、それはありえない。なぜなら、まず、最初に私はあなたを壊さなければならないからだ。完全に壊れてはじめて、あなたは目覚めることができる。が、壊れることは辛く、痛みに満ちている。有名なユダヤ教神秘主義の諺がある。神はやさしくない。神は叔父さんではない。神は地震だ!師もまたそうだ。師は叔父さんではない。師はやさしくない。師は地震だ。すべてを余すところなく、賭ける覚悟のある者だけが、自我として死ぬ用意のある者だけが、生まれることができる。
「あなたがたは肩に、みずからの十字架を担がなければならない。私について来たければ、 肩にみずからの十字架を担がなければならない」と言うとき、イエスが言おうとしているのはそのことだ。カビールは言った。「本当に私について来たければ、ただちに家を焼き払いなさい!」彼の語る家とは何だろう?人は再び広い大空のもと、星、太陽、月のもとに出られるように、今まで暮らしてきた夢の家を焼き尽くさなければならない。そうすれば、再び風や雨に打たれることができ、再び大自然にハートを開くことができる。神とは、最も深く隠された大自然の中心に他ならないからだ。神は知識というよりも、いわば無垢な状態に似ている。知識ではなく、完全に無垢になることによってあなたは神を知る。
だが、それは自我にはとてもむずかしい。これらの言葉を聞くことでさえむずかしい。自我はただちにそれを歪め、操作し、すり変え、色つけし、上塗りをし、みずからを壊すどころか、それを支えるものに仕立てあげる。自分は死んだと思い込んでいた男の話があるが、これを見れば自我がどのように働くかがよくわかる。
彼は精神科医に助けを求めに行った。精神科医は知っているテクニックをすべて使ってみたが、役に立たなかった。最後に精神科医は患者の論理に訴えかけてみた。「死人は血を流しますか?」と医者は尋ねた。「いいや、もちろん流さない」と患者は答えた。「なるほどね」と医者は言った。「では、調べてみましょう」医者が鋭い針を取り出して、患者の皮膚を刺すと、おびただしい血が流れはじめた。「ごらんなさい!さあ、なんとおっしゃいますか?」と医者が尋ねた。「おや、なんてことだ!」と患者は答えた。「驚いたなあ!死人というのは、血を流すものなんだ!」
自我はこのように働く、マインドはこのように働く。つまりものごとを証拠、裏つけ、餌に変えて使ってゆく。自我は実に微細であり、実に巧妙な手段を取って、あなたに「自分は正しい」と思い込ませることができる。それはありとあらゆる策を弄して「正しいのは私であり、私に逆らうものは、すべて間違っている」と思い込ませようとする。
覚えておきなさい。自我が正しいことなどけっしてありえない!そして、自我に逆らうものはすべて!そのチャンスを逃さずに、自分の自我を壊すための機会に使いなさい。自我を壊すことができるとき、それは大いなる祝福の瞬間となる。なぜなら、あなたがいないときに、神が存在し、あなたがいないときに、あなたが存在するからだ。これは生と<存在>における最大のパラドックスだ!あなたがいないときに、はじめてあなたは存在する。ヴィシュヌの気が進まなかったのは、そのためだ。
ヴィシュヌは弟子に言った。「私が無償で与えたものに行為で報いることほどむずかしいことはない」なぜだろう?なぜそれが一番むずかしいのだろう?師は弟子がまだ夢のなかにいることを、まだ自我のなかにいることを知っているからだ。実のところ、「お返しをしなければいけない。これほどたくさんのことをして頂いたのだから、あなたに何かをしてさしあげたい」という考えそのものが自我の思いだ。
弟子が自我を落としてしまったら、誰が返礼するというのだろう?いったい誰が?「ありがとう」と言う者さえいるだろうか?誰もいない。完全な沈黙だけがある。その完全な沈黙のなかで、師は顔をほころばせる。弟子はこの完全な沈黙を通して感謝を表している。
Osho -
The Secret Of The Secrets
どうだったでしょうか?あなたの師は、あなたを夢から起こしてくれますか?ぜひ、そんなグルを探してくださいね♪
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