世の中の人は、お金が大切と言う人が大半です。これはお金がほしいという欲望ですよね。しかし、瞑想は覚醒するための修行だと思っている人もいますが、何かに到達したいという行為は全て欲望なのです。ただ対象を変えただけなのです。
ここでOshoの素敵な説法がありましたのでシェアします。
あなたは金を欲しがる。あるいは瞑想を欲しがる。欲望は同じだ。ただ対象が変わっただけのことだ。が、対象が問題なのではない。問題は欲望そのものに、欲しがることにある。ある者は、この世で長生きしたがる。この世で美しい容姿を欲しがる。成功や評判や名声を欲しがる。
またある者は、楽園で神と共にある永遠の生命を欲しがる。そこにどんな違いがある?違いというのは、前者のほうが後者ほど欲ばりではないということだ。後者のほうがずっと貪欲だ。だからこそ、あなたがたのいわゆるスピリチャルな人たちというのはひじょうに欲が深い。
インドがとても貪欲なのは、ただの偶然ではない。インドがとても精神的だからだ。その精神性が新たな欲望を生みだす。実際、いわゆる聖人と称される人たちは、人々にこう教えつづけている。「この世のものを欲しがってはならない。なぜなら、それはつかの間のものだからだ。 あの世のものを願うがいい。なぜなら、それは永遠だからだ。」
これを”放棄”と呼ぶかね?これが放棄かね?これはさらに貪欲になることだ。これは永遠の報酬を求めることだ。世俗的な人は単純だ。彼らはつかの間の欲望で満足している。ところが、あの世的な人々はほんとうに欲が深いようだ。彼らはこの世で満足しない。彼らには快楽が永遠に続き、美貌がけっして衰えず、いつも若いままでいられ、生きても、生きても絶対に年をとらない別の世界が必要だ。
これは強欲だ!あの世に移されたまぎれもない強欲だ!最初の者たちよりもっと欲が深い。この”精神の物質主義”と称されるものを避けなさい。それはまったく物質主義的だ。それはあなたの生を変えない。それには変えることができない。それはあなたの古いマインドを太らせるだけだ。それはあなたをもっと駄目にする。
ものを捨てるのではなく、自分の自己を捨てなさい。そうすれば、ものは自然に離れてゆく。私が存在しなければ、いかに家を所有できよう?私が存在しなければ、いかに子どもを所有できよう?私が存在しなければ、所有することは不可能だ。所有するものは誰もいない。その違いを見なさい。Osho - Take It Easy
いかがでしたか?自我がないことに気づき、どんなことにも抵抗せず生きることは、自然の流れに乗ることです。それこそが真我のプログラム通り行うことなのです♪
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