朝、歩きながら社会の事について考えた。
激務な仕事の職場を異動になり、
新しい職場に行くことが決まった。
何故か、心がすっとし、晴れて
考える余裕が出てきたように思う。
「社会の歪み」
という言葉が頭に浮かんだ。
近くの神社では、境内の大木が切られ
枝打ちがされ、
それが本当の姿とは思えなかった
それが悪いと言うわけではないが、
少し考えさせられる
青々とした葉をもつ木に触ってみる
木の暖かさが手から伝わってきて、
なぜか優しさを感じる。
どのように活かすかは
人の考え次第なのかもしれないが
本当の道は、
人の本当の生き方は何なのだろう?
もし自然の全てが
もともとは完璧で、完全なものならば、
木は切りはせず、ある程度そのままにしておく方がいいのでは?
多くの木がそのままに、自然のままになっている神社へ行くと、癒しの力は高いように感じる。
もっと言えば、神社は象徴なのかもしれない
もちろん、人がそこに行き
心を通わせる大切な場所ではある
人が立ち止まって考えなおせる場所でもある
多くの自然がある
山の中に行けば、多くの癒しを感じる。
忙しい仕事の中で学ぶこともあるが、
人の本来の生き方は、
本当の生き方は
少し違うのかもしれない。
忙しい仕事の中では、周りが見えなくなり、
その小さな中での
偏った価値観しか見えなくなる
人の価値は、
仕事の中にはなく、
人事評価も、
当たり前かもしれないが、仕事の中だけの、会社の中だけの、小さな、小さな評価でしかない。
その評価も正しいものではない。
職場環境や人間関係で命を落としてしまう事は、
おかしいというか、
焦点を当てるとこが違くなってしまっているように感じる。
そこにいると周りが見えなくなってしまうが、
ほんとに大切なものが何かを考える機会が必要なのではないだろうか。
社会の常識というのは、人が考えた常識であって
人の本当の生き方は、
ずいぶんと違う気がする。
私たちは何ができるのだろうか?
自分は何をしていきたいのか?
仕事?
気遣い?
収入を得ること?
裕福に暮らすこと?
目の前の仕事をこなすこと?
「正しいこと」と言う言葉自体が
正しくないのかもしれないが、
私たちは、
人は
どう生きる?
どう生きたい?
どのように生きたいのだろう?
癒しは、会社の仕事の中にはなく、
忙しい仕事は、周りを見えなくしてしまう。
人の可能性を狭めてしまう。
そんな風に感じた朝でした
