ジェームズ・ディーン(以降ジミー)は生涯の主演作品が3本、24歳の若さで自動車事故により亡くなった俳優です。その3本の主演映画も2本は死去後の公開で、すでに公開されて大ヒットしていた初主演作品「エデンの東」1本でスターの座に登り、その矢先での事故でした。それゆえに多くのファンは彼がこの世を去ってからスクリーンで彼を見ることになります。

 

それが伝説の始まりで、死去後公開された「理由なき反抗」「ジャイアンツ」も大ヒットし、アカデミー賞に2度ノミネートされ、しかも1度はアカデミー賞史上初めて死去後本人不在でのノミネートとなりました。

 

1950年代以降、男の子なら一度は憧れる永遠のスター、それがジミーですが、ヒデキも多分に漏れず憧れがあったようです。ジミーが反抗児という若者の象徴であったように、十代のヒデキも長髪、絶叫、型破りなパフォーマンス、そして「愛と誠」の太賀誠を演じたことで世間には不良のイメージを持たれたり、大人からは批判的な扱いもされてました。

 

共通するのはそれだけではありません。ジミーが亡くなった1955年はヒデキ誕生の年です。そして1975年にはジミー主演映画「理由なき反抗」のリメイクを松竹がヒデキ主演映画として企画検討していました。ちょうどこの頃、ジミーのリバイバルブームが起こりました。

 

しかし、ドラマ「寺内貫太郎一家2」での脱臼の怪我により大幅なスケジュールの変更が生じ、「理由なき反抗」の制作も翌年76年夏に延期されてしまいました。

 

この企画を意識してか、ちょうどその頃にテレビ番組「セブン・スター・ショー」で、ジミー主演映画3本「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」のテーマ曲に詞を付けて歌っています。

 

脚本の見直しとして延期されていた映画の話は、結果的に実現することはありませんでした。

その後81年に日テレで「青年・さらば愛しき日々よ!」という2時間ドラマに出演しましたが、このドラマの家族設定のモデルになったと言われているのが「エデンの東」です。

 

私はジミーの映画リアルタイム世代ではないですけど、家にあった映画音楽全集の中に「エデンの東」「理由なき反抗」のテーマが入っていて、作品自体を見たことはなかったのですが、映画音楽があまりにも美しいので興味を持ちました。母に映画のことを聞くと知っていて、ジェームズ・ディーンという俳優のことを教えてくれました。

 

当時はビデオが無い時代だったので、初めて作品を観たのはリバイバル上映があった高校生の時でした。

作品も見てないのに部屋にはパネルを飾り、写真集、そしてセリフ集のLPレコード、映画のサウンドトラック等々を購入。パネルの隣はもちろんヒデキでしたww

 

(↑この写真のパネルを飾ってた)

 

私は3本の中では遺作となった「ジャイアンツ」が好きでした。

いわゆる大河ドラマで、大スターだった主人公役のエリザベス・テーラー、ロック・ハドソンと堂々と渡り合い、むしろこの映画はジミー(の演じたジェット・リンク)が主役と言ってもおかしくない作品です。

「ジャイアンツ」はアカデミー賞に10部門でノミネート、監督賞を受賞しています。

 

「ジャイアンツ」での自身の撮影クランクアップから数日後の9月30日、レース参加へ向かう途中、自分のスポーツカーで事故にあい、この世を去りました。