作詞/さいとう大三、作編曲/馬飼野康二

 

1974年8月25日発売の第10弾シングル。

昭和歌謡史に残る名曲と言われ、また本人の代表曲として長く歌い続けられました。

 

ヒデキの代表曲となれば、世間的には『YOUNG MAN』でしょう。自身の最大のヒットでもありますし、数々の受賞と記録を作ってきていますから。しかしオリジナルではない。それを考えれば、本当の代表作は『傷だらけのローラ』の方ではないかと思います。

 

74年のヒデキブームを決定的にした曲ですが、チャートでは中村雅俊さんの『ふれあい』に完璧に阻止されての2位に。

前作の『激しい恋』より前に制作されていたものを、秋の勝負曲として温存したというエピソードを持ちます。

 

ディレクターのロビー和田さんは

「ローリング・ストーンズの『悲しみのアンジー』のような名前を使った曲をやりたいなと、アンジーのフォーマットだけを拝借して、叫ぶ時に”アー”で終わる名前を考えた」

と語っています。ヒデキは

「この曲は、もらった時にすんなり入ってきた」

「アクションは一の宮さんから、そろそろ自分で振り付けを考えてごらんと宿題を出された」らしい。

 

『傷だらけのローラ』のタイトルと歌詞にはモデルが存在したようです。リチャード・ダンブロジオという精神科医が書いた「ローラ、叫んでごらん」という本で、母親から虐待を受けてしゃべれなくなってしまったローラという少女に対する献身的な治療の記録という実話を基にしているとか。

 

衣装で印象的なものは、販促用のポスターで使われた黒のタートルネックに三重になった金のチェーンネックレス。この衣装の写真はカナダでのフランス語版ジャケットやベストアルバムのジャケットとしても使用されています。

 

この曲でNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、またこの年の活躍で第5回日本歌謡大賞で、ヒデキは念願の放送音楽賞を受賞。スタッフに担がれて喜びの熱唱をするヒデキ。

第1回横浜音楽祭賞、有線大賞大衆賞等々、様々な賞を受賞しました。

また第16回日本レコード大賞における歌唱賞を受賞しました。前年度の「ちぎれた愛」につづいて二年連続の受賞です。

 

さらにこの年のゴールデンアロー賞では、グラビアタレントが通例受賞するグラフ賞もその「被写体としての魅力」ということで受賞しました。

 

🔸この曲でNHK紅白歌合戦に初出場。

 

白組トップバッターの重責を担う。この当時、ヒデキ達スタッフが心に決めていたのは、「ファッションを追うのはやめよう、ファッションは我々が作るものだ」ということ。

 

その年大ヒットしたアラン・ドロンの映画「怪傑ゾロ」の衣裳で臨んだが、「初めての紅白でマスクをするとは何ごとか!!」と社長に叱られたようです。投げ捨てたマントを拾ってくれたのは三波春夫さんだったとか。

 

また74年の始めにラスベガスでアイク&ターナーのライブを見て、その迫力とステージ演出が印象的であり、それを自分もやってみたいと、炭酸ガスのスモークを初めて日本に持ち込み紅白歌合戦のステージで使用。

「誰もやっていないことをして楽しませたい、驚く顔を見たい」それが当時のヒデキ達の意気込みだった。

 

1998年のNHK紅白歌合戦では、トリビュートアルバムでの筋肉少女帯・橘高文彦のアレンジを秀樹本人が気に入り、LIFE WORKバージョンとの音源を組み合わせて使用。

 

🔸フランス語盤『LOLA』

 

ヒデキのフランス語版『LOLA』はカナダの少年歌手ルネ・シマールとの出会いから始まります。1974年第3回東京音楽祭のグランプリを受賞したルネは、8月22日から9月20日まで、大阪、東京でファースト・コンサートを行うため2回目の来日を果たし、その来日直後「ローラ」を歌う秀樹の熱唱に惚れ込んでヒデキにアプローチしてきました。

 

ルネの日本でのヒット曲「ミドリ色の屋根」は作詞・さいとう大三氏、編曲・馬飼野康二氏と「ローラ」を作ったコンビによるものです。その関係もあり、ルネの提案で、ルネのマネージャーであるギー・クルティエ氏がプロデュースして、仏語版の『Lola』がカナダで売り出されることとなりました。

翌年75年2月にフランス語盤としてカナダで発売され、チャートの2位という大ヒットを記録。

 

フランス語盤は海外からの逆輸入に対抗することと、ファンからの要望が多かったことから、日本では75年4月に4曲入り33回転盤17cmLPとして発売されました。世界発売はフランス、ベルギー、スイスの計画でした。

CDボックス「77の軌跡」で初CD化。

 

仏語第二弾として『ちぎれた愛』が計画されましたが、実現はされませんでした。

 

🔸『追憶の瞳~LOLA』

 

1986年に発表された『追憶の瞳~LOLA~』では12年の時を越えて「ローラ!!」と絶叫。12年後のストーリーを描いた作品になっています。ただし、原案では「ロザーナ」だったものをデビュー15周年を記念して途中からローラのイメージで変更したようです。近年は組曲として『傷だらけのローラ~追憶の瞳』が披露されることもあります。

 

🔸ライブのローラ

 

74年秋のリサイタル「西城秀樹リサイタル/新しい愛への出発」では40年のヒデキライブ史上、最も激しいローラが披露されています。5分20秒の熱唱は声を嗄らさんばかりの絶叫で「ローラ!!」の叫びは20回以上。演出も古代ギリシャの神殿を思わせる遺跡の舞台セットで、爆音と共に柱が崩れさり、遺跡に埋もれるヒデキ。

 

その後、仏語版で披露されることも多く、また78年のバレンタインコンサートでは服部克久氏のアレンジにより「未完成交響曲」第一楽章のイントロで新日本フィルをバックに熱唱。

 

88年には、ソウルオリンピックの前夜祭で「傷だらけのローラ」を熱唱。

「百恵ちゃんはテレビドラマの『赤い…』シリーズ、僕は映画の『愛と誠』がアジアでヒットしていたんですよ。『YOUNG MAN』を出したころ、香港で開かれたアジア音楽祭に行って、20分間のコーナーで歌わせてもらいました。そうしたら、テレビの視聴率は98%。知名度が上がりましたね。ソウルオリンピックの前夜祭は、向こうの人に『日本語で歌っちゃえよ』と言われて、始めはフランス語、それから日本語を入れました。韓国の公式の場で初めて日本語で歌ったということになりました」

 

中国でもローラが一番の人気だという。

「中国ではYOUNG MANよりもローラの人気がありますね。中国の旧正月には、日本の紅白のような白黒歌合戦という番組があるんですが、それにも2回出させてもらいした。

 

活動を積み重ねて、98年には外国人で初めて万里の長城でコンサートを開いたんです。観客は10万人ですよ。前の席は兵隊さんが並んでいて、立ってはいけないという形。

 

チャリティー活動をやるようになって、ジャッキー(チェン)や俳優のジョン・ローンも参加してくれました。ジャッキーはまだ売れていないころからの友達。チャリティーを向こうでやろうとすると、ジャッキーが声をかけてマスコミを集めてくれるんですよ。それで僕の活動が知られるようになりました」

 

「中国の副主席が『傷だらけのローラ』を好きになって、山本譲二くんが中国に行った際も『ローラ』歌ってくれって・・「何で俺がローラ歌わなきゃいけないんだ! だけど歌ったよ俺、最後には(笑)、知ってたから良かったけどね」って。だから「今度僕が行ったら『みちのくひとり旅』歌うからって(笑)」

 

🔸トリビュート『傷だらけのローラ』

 

1997年に作られたヒデキのトリビュートアルバムでは、筋肉少女帯の橘高文彦のアレンジとマリス・ミゼルのGACKTのボーカルでカバーされています。

 

そのアレンジを秀樹本人が気に入り1998年のNHK紅白歌合戦ではLIFE WORKバージョンとトリビュート・バージョンの音源を組み合わせて使用しています。

橘高文彦とマリス・ミゼルのGACKTとの共演も実現しています。

 

2024年にはB'zのギタリスト・松本孝弘さんが、新浜レオンさんをボーカルに迎えてカバー。

 

🔸アレンジ『傷だらけのローラ』

 

1996年のセルフカバーアルバム「LIFE WORK」では、アレンジを芳野藤丸氏が担当、ストリングスが入らないエレクトリックな音源ですが、19才の頃と同じようなチカラ強く熱唱するヒデキ。この後、歌番組やライブではこのアレンジで歌われることが多くなります

 

 

2000年の「bailamos2000」ではオリジナルの19才当時の声をサンプリングしてリミックス「傷だらけのローラ PANDART SASANOOOHA REMIX」も作られました。アレンジは新進気鋭の日本のダンスミュージックグループ・P&ART SASANOOOHA(パンダとササノハ・通称パンササ)による超ハイパーなローラで、原曲を留めていません。

 

 

2001年には30周年を記念してファン投票により作られたセルフカバーアルバム「PLANETS」で再び歌い直しています。アレンジ担当は明石昌夫氏。ストリングスを使わないのは「LIFE WORK」と同じですが、オリジナルに近いアレンジで作られています。

 

いつかに続く…

 

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