まさか、『関ジャニ∞』がこういう形で終わるとは思っていなかった。

 

2024年2月3日

『関ジャニ∞』というグループ名が幕を閉じる最後の夜。

 

とりあえず、今の気持ちと

これまでの私の『関ジャニ∞』との想い出を、吐き出したくて、

またブログを書いている。

 

 

 

私がはっきりeighterだと自分で認識したのは、今から10年ほど前。

JUKU BOXが発売される年だったから、正確には11年前かな。

 

ジュニア黄金期を経験しているので、

それまでも、メンバーの存在やグループは知ってはいたけど、

「なんか楽しそう」って感じで特にはまってはいなかった。

 

11年前の私は、社会人として働き始めて5年くらいかな。

実家から車で1時間以内のところで一人暮らしを始めていて、

仕事もそれなりに忙しすぎないとところに就職していたので、

自分で自由に使える十分なお金と時間があった。

 

久しぶりに会った中学のときの友人と飲む機会があって、

そのうちの一人の子が「昔から実は関ジャニ∞が好き」ということで、

当時、仕分け∞で大倉さんの太鼓の達人が流行っていて、すごくカッコよかったし、

「関西出身でおもしろそうなグループ」という認識だった私は、

軽率にその友人にライブDVDを借りたいと言ってしまった。

 

それが、私のeighterになるすべての始まりだった。

 

袋にどさっと、10数枚入れたDVDを渡し、「まだ次もあるから」と。

そのとき、ヲタクの布教の圧にうっかり引いてしまった私だったが、

気付いたら1か月もしないで『次』を催促していた。

 

もちろん、丸山隆平の沼にはまったことも大変大きいけど、

『関ジャニ∞』の作るエンターティメントが、とにかく私のツボだった。

 

明るくて楽しいという、パブリックイメージはもちろん。

 

バンドもそう。

 

関係性もそう。

 

売れない時代・・逆境・・・そういう人間らしいというかリアルな感じ。

 

心臓をわしづかみされて「生きてんのか?」って問い詰められるような歌い方。

 

とにかく、すべてがツボだった。

 

 

 

『惹かれたのは ここにある熱いものが 似ているから きっとそうだろ』

 

まさにそう思った。

 

 

eighterになって、その中学のときの友人とは、よくライブにもいった。

親友にプレゼン・・というか一方的に私が好きなとこを話して、映像を見せて巻き込んで、

親友もeighterになり、一緒にライブによくいった。

 

 

私が30歳になる前頃、これからの未来と転職を考え始めていて、

思い切って上京することにした。

 

All is wellが作られたのもそのころ。

転職に悩んでいた私は、この言葉にすごく背中を押されたんだった。

 

上京したときの新幹線の中で、

彼らがテイチクを離れて自主レーベルを立ち上げることが発表された。

 

新しいスタートをともに始めるんだと、勝手に親近感を得た。

 

 

上京してから、それまで一緒にライブに行った友人とは、徐々に疎遠になっていった。

私が上京したせいというよりは、やっぱ30歳過ぎると女性のライフステージは変わっていきやすくて

出産や子育てで、いっしょにあちこち遠征したりは、できなくなっていた。

 

上京したての頃は、

まだ自分のパーソナルな部分を出すのが恥ずかしくて、

eighterであることを誰にも話せずにいた。

 

地元にいたときは、ほぼ毎週の晩、

友人とお互いの推しについて語り合っていて…というよりは「ここを見ろ!」という圧のぶつかりあいをしていて、

それがすごく楽しかったのだけど。

 

こっちでの友人は、ほぼいなかったので、

しばらくちょっと病んでた時期もあった。

 

けど、

このブログや旧Twitterで、知り合った人もいたし、

やっぱり『同じものが好き』で、それについて語り合う時間ってすごく幸せだなって思った。

 

 

このブログは、上京するより少し前に、

私が友人にもコアすぎて言えないけど、言いたいことをただ言いたくて始めた。

 

十祭のチケットが、周りの友人も取れず、あきらめかけていたけど、

このブログを通じて知り合った方が、誘ってくださり、

奇跡的に参戦させてもらった。

 

そのとき、私は初めて『ネットを通じて知り合った人と初めて会う』を経験して、

すごーーーーく緊張したし、テレビでよくみる詐欺とかだったらどうしようって、ギリギリまで思っていたけど(すいません)

実際に会ったら、すごーーーーーーーーーーーーーーく優しい方で。

それまで、「ネットを通じて会う」のにすごく抵抗というか偏見があったけど、新しい扉が開いたというか、

そういうのも『関ジャニ∞を好きになったから知った』ことだったなと、今改めて思う。

 

 

 

2018年に渋谷すばるの脱退が報道されて、

その日の予定はキャンセルさせてもらって、一日中泣いていたのを覚えている。

 

それから、7人での最後を少しずつ、そう少しずつ番組で迎えていった。

 

私にとって、やはり7人時代の『関ジャニ∞』は特別。

 

もはや、私のeighter歴の半分は5人になってからと同じくらいになるのだけれど、

そうか・・・7人、6人のときの思い出を『関ジャニ∞』として宝箱にしまっておけるのか。

 

そう思うと、新しい名前に変わるのも悪くないかな・・・・・うん。

 

 

あのときの・・・メンバーの脱退に比べたら、

名前が変わることなんで大したことじゃないのかもしれない。

 

5人が言うように、これからも5人で続いていくわけだし、

彼らの活動が変わるわけでもない。

 

でも、やっぱり寂しいよ。

 

ライブの最後で、みんなで手をつないで「ひとつになりましょー」って横山さんが言って

「最高で最強の関ジャニ∞」って、

大声で、本気で叫んでた。

 

その名前がなくなる。

 

 

すばるが最後のときに歌番組で掲げていた

5人になった直後にコロナ禍で思い通りに活動できなくて、再開できたときに掲げていた

『関ジャニ∞』という大きな弾幕

 

『関ジャニ∞でよかった』という言葉

 

 

その名前がなくなる。

 

 

 

寂しいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

おかべろで、

彼らも同じ気持ちで会議をしていたことを知った。

 

 

彼らを好きな理由の一つが、そういうとこ。

 

ファンの気持ちと近い。

 

悔しがったり、辛かったり、上手くできなくてもなんとかしようとしてる所を、

隠さずに見せてくれる。

 

同じだなーって思う。

 

場所や立場は違えど、

戦ってるんだなーって思う。私も、次に会う時までに恥じない自分でいたいと思う。

 

 

 

今まで、ありがとう。

『関ジャニ∞』

 

 

これからもよろしくね。

 

横山さん。

村上さん。

丸山さん。

安田さん。

大倉さん。

 

あなたたちが悩んで悩んで悩んで決めたことに、

絶対の信頼があるから、

新しい名前ももちろん、もう既に愛してますよ。

 

 

20周年、楽しみにしています。