安芸郡の教員の学歴別分布(昭和26年度) | 安芸市の近現代史を記録したい!

安芸市の近現代史を記録したい!

高知県安芸市の歴史や文化に関する雑記帳です。
山間部の集落や学校,人物史,お店の移り変わりなど,忘れ去られそうなことを記録にとどめていきたいです。

学校の先生は大学を出ているもの!

このような認識をお持ちの方は珍しくないだろう。

かくいう私も,いつの時点までそうだったかは記憶にないが,漠然とそう考えていた気がする。

 

私は,小中学校時代の担任やお世話になった先生については,今でも名前も顔もしっかりと覚えているが,はて,それらの先生がどのような学校の出身だったのかと聞かれてもよく分からない。言えることは,戦前は学校の種類が今よりもバラエティに富んでいたので,そうであれば昔の先生の出身校も今よりはずっと多様であったのではないかということだ。

 

そこで今回は,昭和26年度の安芸郡下の小中学校教員の学歴別構成について調べてみた。

ちなみに「安芸市」が発足したのは昭和29年のことなので,昭和26年のデータを示したここでいう「安芸郡」には,今,安芸郡と聞いてすぐにイメージする安田町や芸西村はいうに及ばず,安芸町,東川村,畑山村,伊尾木村,川北村,井ノ口村,土居村,赤野村をも含んでいる。

 

 

 

表1には,計648名の教員が示されているが(注1),大卒者はわずかに18名しかいない びっくり

それも,その大部分が中学校に割り当てられており,小学校においては助教諭1名のみだったことが分かる。学校の先生のほぼ全員が大卒である現在からすれば(最近では大学院修了者も増えつつある),なんとも驚きである。

 

これら18名の大卒教員たちが,旧制大学の卒業者なのか,それとも新制大学から教員になった者なのかは明らかでない。表1の項目にあるとおり,単に「大学」としか括られていない。

 

戦後の初等中等教員養成の担い手となる新制国立大学が,初めて教員(見込み者)を世に送り出したのは昭和26年3月のことであり,教育学部二部(2年制課程)修了者(注2),および学芸学部二部(2年制課程)修了者がそれにあたる。これら2年制課程には,小学校教員を養成するコースと中学校教員を養成するコースとがあった(注3)。

 

これらの事実からは,表1の「大学」卒業者18名には,新制大学の修了者が含まれていることが推測できるし,また,旧制大学の卒業者が新制中学校の教員になることもあったので(注4),それらの者が含まれていることもあり得る。

 

ところで,表1の緑色に着色した箇所にご注目願いたい。

教員の出身学校の種別は多様であるものの,主たる供給源は師範学校であったことが分かる。

次に,黄色く強調した小学校の助教諭の欄。

旧制中等学校出身者が74名と目立つが,元のデータに記載されている男女別内訳を見ると,その大半が女性であることから,ここでいう「旧制中等学校」には高等女学校が含まれていると考えられる。

 

 

【注】

1.表1を作成する際に,参考にした資料である『教育年報』の「統計編」の65頁と72頁の表から省略した項目がある。よって648名が安芸郡下の全教員ではない。『教育年報』の「統計編」の65頁と72頁に載っている教員の総数は717人である。

2.この2年制課程を満了した者は,大学を「卒業」してはいない。よって,卒業者という表現は適当ではなく修了者とした。なお,2年制課程で教員になる方法についてであるが,当時の教育職員免許法(昭和24年5月31日公布,同年9月1日施行)の第5条および別表第1に,「大学に二年以上在学し,六十二単位(内二単位は,体育とする。)以上を修得す」れば,大学を卒業していなくても,小学校または中学校の二級普通免許状の基礎資格が得られる旨,規定されていた。

3.高知大学教育学部の場合,2年制課程と4年制課程のいずれにも小学校教員養成コースと中学校教員養成コースが設けられていた(高知大学三十年史編集委員会(1982),324頁)。ただ,他の大学でも同様だったかまでは今回,確認していない。なお,この2年制課程については,山崎(2002)(特に93頁)が参考になる。

4.山崎(2002),82頁の図表4-1には,新制大学発足以前である昭和22年時点のデータとして,官立大学や文理科大学卒業者の数が掲載されている(「新制中学校」の欄)ことから,そう判断できる。

 

【参考文献】
・高知県教育委員会事務局調査課(1952),『教育年報』(昭和27年版),教育年報頒布会。この資料は左右どちらの表紙からも読み進めていく作りになっている。右開きが本編で,左開きが「統計編」である。参考にした65頁と72頁は,いずれも「統計編」の頁番号である。

・高知大学三十年史編集委員会(1982),『高知大学三十年史』,高知大学三十年史刊行委員会。

・山崎博敏(2002)「第4章 教員養成学部の変動:2つの衝撃波に揺さぶられ続けられた50年」,『国立大学の構造分化と地域交流』(国立学校財務センター研究報告第6号),国立学校財務センター,81-106頁。