安芸市のバイク屋さん(その3) | 安芸市の近現代史を記録したい!

安芸市の近現代史を記録したい!

高知県安芸市の歴史や文化に関する雑記帳です。
山間部の集落や学校,人物史,お店の移り変わりなど,忘れ去られそうなことを記録にとどめていきたいです。

さあ,安芸市のバイク屋さんシリーズもいよいよ3回目。
今日は,実際にバイクを扱っていた姿を筆者が確認していないお店について述べる。

・安芸ホンダ
矢ノ丸。国道55線沿い。法務局の東隣。ファミリーマートの西隣。
廃業しているが建物はきちんと管理されている様子。
40年以上前,わが実家がたしかこのお店で軽トラ(初代アクティの前期型。ベンチシートだった)を買ったと記憶する。バイクを扱っていたかどうかは定かでないが,ホンダを扱う小規模店で4輪車だけというお店は少なかったように思うので,おそらくはバイクも商っていたのではなかろうか。

・安芸スズキ
港町2丁目。国道55線沿い。サンシャイン港町の東のほう。大井のポンプ屋さんの西隣。
30年以上前だったか,青白のGAGがとまっていたような気がするようなしないような…。

・店名不明の自転車屋さん
港町1丁目。安芸橋の西詰を本町通りのほうに入ったところに島津の種屋さんがあるが,そのすぐ東隣に昔,自転車屋さんがあった。現在は空き地。
このお店の軒先には,ホンダのベンリーCDかスズキのKみたいな黒いビジネスバイクがあったような気がする。

 【↓令和6年1月27日追記↓】
 この自転車屋さんの店名は,有沢自転車商会のようである。
  ※ゼンリン社(1986)『ゼンリンの住宅地図:安芸市・安田町・田野町・奈半利町・
              芸西村・北川村・馬路村 ’87』,24頁。

・メグロの販売店(店名不明)
安芸商工会議所のすぐ西隣の細い道路沿い。20年ぐらい前まで美容院だか理容院だったかのお店の跡があるが,どこかそのあたりにメグロを売っていたお店があったらしい(筆者自身は見たことがなく単に伝え聞くのみである)。

脱線するが,思えば,その南側の本町通りに面した一軒家は,一時期「安芸書店」といったか,小さな本屋さんだった時期がある。コミック本や雑誌が中心の書店だった思う。そして小松の芋ケンピ屋さんの道を挟んだ西側には「ミヤコ時計店」という時計屋さんがあった。

そういえばかれこれ25~26年ほど前のこと。スイングビルの1階にあったスナック「ホンキートンク」(注1)で飲んでいた時,たまたま隣に座ったお客さん(当時30代後半ぐらい)となぜか腕時計の話になり,その方が自ら着けていたセイコーの腕時計を指さしながら,「高校に入る時に入学祝として親父にミヤコ時計で買うてもろうたがよ」と言っていたことを思い出した。

今日まで3回に渡って連載してきた安芸市のバイク屋さんシリーズはひとまず以上。
思い付く限り書いたつもりだが,他にも筆者が認識していないお店が複数あったに違いない。特に,自家用車(3~4輪車)が一般家庭に普及する昭和40年代頃までは,自転車やバイク屋はもっと身近な家財道具として多くの家にあったはずだからである。

わが親族の中にもスズキのコレダ(注2)やホンダのCB72に乗っていた者がいたと聞くが,それらをいったい安芸市のどこのバイク屋さんで買ったのかは定かでないし,今となってはもはや確かめる術もない。このことを思うと,このブログのしょ~もない記述も,いつかは昔の貴重な歴史的史料として日の目を見る時がくるのではないだろうかチュー。 クルカ…えー

今回は旧安芸町を中心に書いたが,おそらく穴内から赤野にかけても,そして伊尾木にもバイク屋さんはあったことだろう。伊尾木の旧道沿いには絶対あったはず。
さらに増して興味があるのは,伊尾木川沿いの上流はどうだったかということ。
奈比賀や入河内はそれなりに人もいたし,自転車屋さんやバイク屋さんがあってまったく不思議ではない。

さらにこれに関連して知りたくなるのは,別役や畑山など山間部の集落におけるモータリゼーションの波は,やはり,自転車→バイク→自動車(4輪車)の順で進んでいったのか、つまりは自動車を所有するまでの間に2輪車(またはオート3輪などの3輪車)を挟むという、現在の都市部では観察されにくい現象があって、集落内の大半の家に、車はないがバイクならあるという時期が存在したのかということである。


【注】
1.このホンキートンクがあった場所が今の「すなっくひろみ」かな。
2.この「コレダ」にしろ「メグロ」にしろ,筆者がそれらを知る契機となった祖父や父の発音が面白い。コレダは決して「これだ!」の発音ではないし,メグロは東京の「目黒」の音ではない。イントネーションを文字で表すことは難しいが,後ろにかけて上がる⤴感じの言い方をしていた。