巡り合わせとは
自分の意志とはかかわりなく
自然にめぐってくる運命


それは時に素晴らしく

時にどうしようもなく悲しい。

自分の力では
どうする事もできないのが
巡り合わせなのだろうか。


阪神淡路大震災から
28年目の一昨日

あの日旅立った従姉妹を
一日中思っていた。

幼い頃の可愛い姿が
今も瞼に浮かぶ。


たまたまあの日だけ
一階リビングのこたつで
うたた寝していたNちゃん

もし二階で寝ていれば
運命は違っていただろう。


誰しも自分が気付かないだけで
ほんの少しの時間差
ほんの少しの巡り合わせで
事故や災害を免れている


歳を重ねるほど
そう感じることが増えた。


巡り合わせを運命と言うには

あまりにも過酷だ。


過酷な運命に翻弄されながらも

一所懸命力強く生きておられる方々が

沢山おられる事を忘れずにいたい。




神戸市役所の前には
希望の灯りが灯されている。


「1.17希望の灯り」の碑文

1995年1月17日午前5時46分 
阪神・淡路大震災

震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出


たった1秒先が予見できない

人間の限界・・・

震災が残してくれたもの 

やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは 

奪われた すべてのいのちと

生き残った わたしたちの

思いを むすびつなぐ



震災で亡くなった方々を想うと同時に

春馬さんを想う。

春馬さんが私たちに
残してくれたもの

やさしさ
思いやり

仲間



その希望の灯りを
これからもずっと
心の中で灯し続けたい。