前々回、「意味を考える前に、まず感情を感じることが大切」と書いた。
そんなとき、たまたま届いたメルマガに
こんな言葉があった。
『人は長い間考え続けるうちに、
気づけば感情を置き去りにしてきた』
それを見たとき、
感情とどう向き合えばいいのか、
その本質に触れたような気がした。
🌿 🌿 🌿
これまで私は、
モヤモヤやイライラを感じると
それを打ち消そうとしていた。
「こんなことでイライラするなんでよくない」
「きっと別の見方もあるはず」
そうやって、
感じる前に“考えて処理しよう”としていたのだと思う。
でもそれは
感情から目をそらし、
そのときの気持ちを押さえ込んでいただけだったのかもしれない。
感じきれなかった感情は、
形を変えて、また現れる。
ときには、体の不調として。
私の場合は、
肩の痛みや、体のかゆみとして現れていたのかもしれない。
そんなことを考えていたとき、
ふとした出来事があった。
駅のホームで、前から来た人にぶつかり、足を踏まれた。
相手はスマートフォンを見ていて、
私をちらっと見ただけで、
そのまま電車に乗り込んでいった。
一瞬、ムッとした。
けれどすぐに、
「お互いさまかもしれない」
「もう少し、距離をとれたかもしれない」
と考えている自分がいた。
そのとき、ふと立ち止まった。
これは、
感情を抑え込んでいるだけではないか、と。
そう思い直して、
心の中で正直な気持ちを言葉にしてみた。
「ちゃんと前を見てよ」
「一言あってもよかったのに」
すると、不思議と気持ちはすっと落ち着いた。
そのあと、ふっと力が抜けた。
あとに引く感じもなく、
ただ出来事として受け流せたように思う。
感情を否定せずに感じきることは、
それに振り回されることとは違うのだと、
少しわかった気がした。
🌿 🌿 🌿
思考と感情、
そしてそれを見ている“私”。
前回書いた「私は在る」という感覚は、
こうした日常の中でも、
少しずつ実感として立ち上がってくるのかもしれない。



