私には、霊感というものはありません。

 

長く看護師として医療現場にいましたが、

霊的なものを見たり、体験したりすることはありませんでした。

 

そういう話を聞いたことはありますが…

 

そんな私が、一度だけ不思議な体験をしたことがあります。

 

人によっては、

「ふーん」という程度のことかもしれません。

 

その体験とは…

 

 

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私が管理夜勤をしていた頃のことです。

 

その夜勤の業務のひとつに、

病院で亡くなった方のご遺体を病院からお送りする、

いわゆるお見送りがありました。

 

通常は、その方が入院していた病棟の看護師、担当医と一緒にお見送りをします。

 

当時、私が所属していた病院には

高度医療を担う救命救急センターがありました。

 

救急車が立て続けに来たときなどは、

お見送りが私ひとりになることも、たびたびありました。

 

その日も、そんな夜でした。

 

記憶が少しあいまいですが、

患者さんは身寄りのない方で、

40~50代の男性でした。

 

心肺停止で救急救命センターに搬送された方で、

外因死として警察が介入していたため、

検視の後、警察車両でのお見送りでした。

 

あれは、確か初夏の夜明け前。

 

患者さんが車に搬送されるときです。

どこからともなく鳩が飛んできました。

 

その鳩は、

ご遺体を乗せた警察車両の屋根に留まりました。

すると、1羽、2羽と、

次々と鳩がやってきます。

 

気がつけば、

車の屋根は鳩で埋め尽くされていました。

 

「え、何?

鳩って、こんな暗い時間に飛んでるの?」

 

目の前で起こっていることに、

私はただ驚いていました。

 

私は鳩が好きではありません。

 

それなのに、そのときは、

何とも言えない不思議な荘厳さを感じました。

 

「この患者さんは鳩に餌でもあげていたのかな」

 

そんなことを思いました。

 

そして、車が走り出すと、

鳩も一斉に飛び立ちました。

 

どう見ても、

そのときの私には、

鳩が故人を見送っているようにしか思えませんでした。

 

だんだんと空が白んできました。

 

全く知らない患者さんなのに、

なぜかその人の存在を、ほんの一瞬、

身近に感じたような気がしました。

 

そう、心が温かくなるような…

 

心の中で、

 

「サヨウナラ」

 

そう呟いていました。

 

 

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もしかしたら、

私は、とても貴重な瞬間に立ち会ったのかもしれない。

 

そんなふうに思った出来事でした。

 

あの出来事がただの偶然だったのか、

何か意味のある出来事だったのか、

私にはわからないけれど—

 

ただ、夜明け前の空の下、

鳩たちが一斉に飛び立っていったあの光景は、

今でも静かに心に残っています。

 

 

 

 

 

 

私はよく夢を見る。

 

だいたい不快な夢。

たいてい、起きる頃には内容は忘れているけれど、

嫌な思いだけが残っていることがある。

 

先日もそうだった。

 

「うわー、嫌」

 

そんな思いのまま、目が覚めた。

でも、すでに夢の内容は忘れかけている。

だから、その後まで引きずることはなかった。

 

ただ、ひとつ気づいたことがある。

 

夢に中でも、私ははっきりと感情を感じていた。

 

夢なのに、怖い。

夢なのに、嫌だ。

 

夢の中の出来事なのに、感情だけは妙にリアル。

 

 

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夢と現実が同じだとは思っていないけれど、

夢の中であれほどリアルに感情を感じられるのであれば、

「現実」だって、私が感じている世界に過ぎないのかもしれない。

 

結局は自分の脳を通して感じている世界であるし。

 

当たり前のことが、

なんだか不思議に思えてきた。

 

そういえば、量子物理学の世界には

「ホログラフィック原理」という考え方がある。

 

私には、簡単に説明できるものではないけれど、

宇宙の情報が、

より低次元の境界に記述できる可能性を考える理論。

 

そこから発展して、

「この世はホログラムのようなものではないか」

といった解釈が語られることもある。

 

それは、「この世は幻想である」と科学的に証明されたわけではない。

 

それでも

もし、この世界は私たちが思っているほど「絶対的な現実」

ではなかったとしたら。

 

夢の中であれだけリアルに感情を感じられるのだから、

今ここで見て、聞いて、触れて、感じていることも、

私の脳がつくり出している「ただの世界」なのかもしれない。

 

そんなことを、少しだけ考えてみた。

 

「この世が幻想である」

と言われても、素直には信じられないけれど、

もしそうだったとしたら、

もっと気楽に生きられるのかも。

 

 

 

 

そんなふうに考えると、

「現実」に対する見方が、

少しゆるむ気がする。

 

…なんて、いろいろ考えてみたけれど。

 

どちらにしても、

もう悪い夢は見たくない。

 

 

前回、最後に「意外な発見があった」と書きました。

 

それは、少し現実離れした考え方かもしれませんが、

私たちの周りには、

気づきのきっかけがいたるところにあるのではないか。

そんなふうに思ったのです。

 

そう思えたとき、

深いところから癒されていくような感覚がありました。

 

 

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私は、ある政治家の動向が気になってしまい、

関連動画を毎日のように見ていました。

 

その人の言動は、世間でも大きな批判を受けています。

私自身、その人の言動に強い違和感を持っていました。

 

一度だけ辞職を求めるデモにも参加しました。

 

動画を見ると不快なのですが、

批判されている場面を見ると、

どこかスッとする自分もいて、

不快なのに、なぜかまた見たくなる。

 

そんな状態になっていました。

 

 

 

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ある日、電車の中で何気なく、

自分の過去について思いを巡らせていました。

 

それは、私が忘れてしまいたいと思っていた過去です。

 

私の頭の中では、

いえ、誰しもあることかもしれませんが、

つい過去に戻ってしまうことがあります。

 

過去は過去で、今の自分じゃないのに、

いつまでも過去の出来事に付きまとわれる。

 

でも、そのときは少し違っていました。

その過去の行動を客観的に見ていました。

 

最近は自分の心と向き合い、

その感情を認めるようにしているためか、

その行動の根っこにある気持ちに

はっと気づきました。

 

そこには、

劣等感や不安、

認められたいという気持ちがありました。

 

さらにその奥には、

ただ、

「愛されたい」

「認めてほしい」

 

そんな思いだったのだと、

はっきり感じました。

 

それは、自分を許せた瞬間でしたし、

どこか自分を離れて、

自分自身を愛おしいと思えた瞬間でもありました。

 

自分の気持ちをそのまま受け止めて、

 

「もう自分を責めなくていいんだ」

 

とそんなふうに思えたのです。

 

すると、ふっとその政治家のことが頭に浮かびました。

 

「あの人も、もしかしたら同じなのでは」

 

 

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その人は、今の地位に強く執着しているように

私には見えました。

 

どうしてそこまで地位にこだわるのだろうと考えたとき、

自分のことと重なったのです。

 

その人の根底にも、

「愛されたい」

「認めてもらいたい」

 

というような思いがあるのではないか、と思ったのです。

 

もちろん、本当のことはわかりません・

それでも、そのときの私には、

なぜか腑に落ちる感覚がありました。

 

その人は私と違い、

裕福な家庭に育ったエリートなので、

全く接点はありません。

 

それでも、心の奥にある

「愛されたい」

「認められたい」

という思いは私と同じなのかもしれないと思ったのです。

 

それ以来、

その政治家の批判動画を見ても、

これまで感じていた怒りや嫌悪感は、

それほどありませんでした。

 

そして、あまり興味も湧かなくなっていました。

 

もしかしたら、

その人の存在を通して、

私は自分自身の心の奥にあるものに

気づかされていいたのかもしれません。

 

そのための登場人物だったのかもしれない。

そんなふうに思えてきたのです。

 

 

 

 

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この一件を通して、

目の前で起きている出来事には、

自分自身を知るきっかけが

いろいろ隠されているかもしれない。

 

自分の心の奥にあるものに気づいたら、

目の前の人の見え方まで変わる。

 

出来事は、ときに思いがけない形で、

自分自身を知るきっかけをくれるのかもしれません。

 

そんなことを感じた出来事でした。