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カメラ散歩

旅の思い出や食べ歩きなど、写真を中心に、思いつくままに。。。

知り合いの画家・浜村博司さんの個展や所属する二紀会の展示会を

ときどき紹介してますが、今回は上野の東京都美術館で開かれている

「東京二紀展」です。

浜村さんは長崎原爆をライフワークにしている画家ですが

このライフワークについては以前の記事「ある画家」 を見てください。

さて、土曜(21日)の上野は天気がよく、まだ花見には早いものの

桜もちらほら咲き始めていました。

西洋美術館ではルーブル美術館展も開催されてました。


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久しぶりの東京都美術館でした。

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浜村さんの作品は80号の大きさで

タイトルは「ナガサキ考 グランドゼロ」

9・11のグランドゼロを意識したタイトルでしょうか。長崎の爆心地に○のマークが

ありました。原爆投下の飛行機も描き込まれ、シリーズも佳境に入ったのでしょう。

いつもの娘さんと思われるモデルが中央に配されています。

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いつもはここに絵のカードを入り口で買い、それをスキャナーで取り込んで

いるのですが、今回は売ってなくて携帯で撮りました(他にもカメラで

撮っている方がいました)。

東京二紀展は3月24日までの開催。
また昔の旅の紹介です。
1998年5月に大理を訪れた。標高2000mを超える大理は夏でも涼しい高原の古都。
8世紀に南詔国が誕生、10-13世紀に大理王国の都として栄えた。
4100mの蒼山を背景に三塔寺の塔や城壁が映える。
ペー(白)族が多く住む。 三塔寺は古城の西北の城外に聳える崇聖寺の三塔のことだが、
通称三塔寺と呼ばれている。
三塔寺の遠景

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大理古城の城門

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大理の街並み


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じ海

古城の東に広がる湖。さんずいに耳の字に海と書く。耳の形をした湖。

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西安にこの桐の花が咲くのは、まだ5月になってから。
たぶんもう少しで閉鎖することになる以前のブログから
少し再録のような形で載せてみたいと思います。
  
西安に桃色の桐の花が咲く春(5月はじめ)、列車でゆっくりと

西安の街に入って行ったときの印象が鮮明だ。薄茶色の大地、

緑とこの桃色の桐の花がみごとなコントラストだった。

西安は見どころはいろいろあるが、今回は唐の玄宗皇帝と

楊貴妃が出会った華清池、秦の始皇帝の墓の近くから発掘

された兵馬俑、玄奘三蔵が仏典の保存のために建立を進言した

大雁塔を紹介しよう。


まず華清池。

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兵馬俑はこの頃(13年ほど前)まだ撮影禁止(お金を払えば可)

だったため、これは隠し撮り。

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大雁塔は大きいので少し遠くから眺めるのがいい。
このあたりも少し変わっているかもしれません。

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いま住んでいる浦和駅の夜景です。
実は他にもブログを持っていたのですが、、、、
ここはマクロ写真の練習にとか思っていたのですが、
いつのまにか同じようになり、今は昔の旅行の写真なども
載せたりしています。で、これからはここに「合流させることに
しました。ここを見ていた数少ない読者の方には
関係ない話なのですが(笑)よろしく。

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もう一枚、上の写真の建物の一階にある花屋さんです。
見慣れた街も夜はちょっと新鮮です。

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寒い日が続きますが、今回は
暑い砂漠の中の王陵を紹介しましょう。
かつて中国の西北部に「西夏」という国があったのを
ごぞんじでしょうか。タングート族の李元昊が1032年自立して「夏王」を称し、
1038年には「大夏皇帝」を称しました。 この国を中国では「西夏」と呼びました。
首都は興慶(現在の銀川)にありました。
西夏は、宋、遼、ウィグル、吐蕃などと争いながら、東西交通の要路を占め、栄え
儒教・仏教も盛んでした。さらに建国当初に西夏文字が制定されました。
(かなり乱暴に言うと漢字をいくつか組み合わせたような文字です)

1226~27年に、モンゴルのチンギスハンが侵入し滅ぼされるまで
約200年続いた王朝でした。
首都の興慶はオルドス高原の南西にあり、西に立ちはだかる賀蘭山が砂漠の侵食から
この地を守り、東を流れる黄河が平原に恵みをもたらし、ここだけは緑豊かで
「塞上江南」といわれました。

住人はタングート人、チベット人、ウイグル人などが多く、国家建設と同時に
陸墓の建設も進められました。
それが今に残っているもので、9代の皇帝の墓の他、
家臣の墓もあり、200以上見つかっています。

おわん型の陵墓は高いもので20mほど、西夏王陵は全体で10万平方mもあります。



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この王墓はかつては瑠璃瓦で覆われていた。

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銀川市内を承天寺塔(西塔)から眺める。往時がしのばれるようだ。

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承天寺塔(西塔)は西夏王国が栄え、西夏文化が花開いた1050年
の創建と伝えられる。清の時代に地震で崩れたが再建された。
内部11層の塔は高さ64.5m、西夏時代の仏教の聖地だった。

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銀川は寧夏回族自治区の区都だが、その名の通り回教(イスラム教)の色彩も濃い。
そのひとつ南関清真寺。 


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玉皇閣(四つ角の真ん中にあり、鐘楼も兼ねていたかも?)


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       この旅のもう一つの収穫は近くに、古い朽ちかけた万里の長城が
       見られた事でした。天気がいまいちでガスがかかっていましたが
        妙に修復されていないのが、かえって良かったです。



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