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もう一回だけ、小説「いねむり先生」のつづき。
「先生」は「ギャンブルの神様」とよばれた稀代の雀士だった。![]()
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「先生」は「麻雀放浪記」いう本を書いた小説家で、ペンネームは阿佐田哲也だった。アサダテツヤ、とは「朝だ、徹夜」だ。
実は、わたしは麻雀が好きだ。なので、小説の中で主人公が麻雀をとおして色々な人間に出会うところが特に素晴らしい、と思っている。同感する場面がたくさんあるのだ。
わたしにとって、麻雀は賭け事ではなく、人と一緒に楽しむ趣味だ。これまでに色々な国に勤務し、いつも日本人のどなたかと麻雀をしていた。プロ並みのグループで打つ時もあるし、初心者の方を交えて和気あいあいと遊ぶ時もあるし、外国人の方を招待して文化体験会のような時もあるし、なんだかんだと楽しく健全な麻雀を30年以上続けている。![]()
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そんなわたしが、麻雀どころではなくなったのが、乳がん告知から半年間くらい。「がん」の事しか考えていなかった。
全摘手術を終えて、スイスの先生たちの表情が少し緩やかになって、ハーセプチン投与に入ったころ、突然、我に返って、「麻雀」を思い出した。ずっと打ってない。
仕事もまともにできないし、飛行機にも乗れないし、食べられないものが増えたし、体力も落ちたし、あまり何もできないけれど、麻雀ならできる。そうだ。忘れていた。
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持ち歩いている牌はあるから、あと3人見つければ、できる。
という事で、スイスの某街に住む日本人に声をかけた。4人目を探すのが大変だったけれど、何とかわたしの小さなアパートで「麻雀」が実現した。
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大げさではなく、夢のようだった。
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最初の日は、とても疲れた。人と接することがこんなに刺激で、体力を要するとは、自覚していなかった。
もちろん、心優しい3人の友人は、わたしの状況を承知で付き合ってくれた。何時間も遊んだのは久しぶりだった。楽しかったので、月に一回続けることになった。
今から思えば、あの時、月一で麻雀をする事がスイスでの治療生活後半のかなめになっていた。少しずつ身体も慣れてきて、社会復帰がスムーズになったような気がする。
わたしの場合はたまたま「麻雀」だったけれど、好きで夢中になれる事ならば、別に何でもよかったのだろう。
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「病気」や何か辛い事どっぷりの世界から、ひょいと別の世界に飛び出すきっかけを与えてくれる。たぶん。
あまり意識していなかったけれど、趣味や特技は貴重だ。若い時にもっと試せばよかった、と後悔している。子供の頃からバイオリンや柔道や何かを好きでずっと続けているものがある人がうらやましい。
もちろん、大人になってからでも色々できる。とくに治療が終わってからは、本当に自分が好きな事を優先して時間を作ろうと決めた。しかし、これは「言うは易く行うは難し」だ。ついつい、普段のとおり仕事やネットで時が過ぎてしまう。
最近、謎の国でも麻雀をしている。最初の一歩は少し大変だったけれど、楽しく続いている。これは、うれしい。
読んでいただいてありがとう。
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