木に学べ(番外編):木組み博物館 | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

興味深い博物館を見付けました。

東京は早稲田の木組み博物館です。

寺院建築に興味を持ち始めたオヤジ。

行かない手はない。😀

 

という訳で、7月20日の猛暑の日に

地下鉄東西線の早稲田駅から

坂を登って博物館を訪れました。

情け容赦なく照りつける太陽が恨めしい。💥

 

 

木造建築は細い木で強固な構造物を造る事。

しかし長い木材の調達が困難な場合は

短い木材を組み合わせます。

それが「木組み」と呼ばれる技法です。

確か、五重塔の心柱あたりでも

活用されていたような・・・・🤔

 

 

木組みの歴史は長い。

上の画像は7年前に訪れた

三内丸山遺跡の‟縄文タワー”です。

この塔にも木組みの痕跡があるといいます。😲

青森県の三内丸山遺跡は縄文中期

つまり、4,000年程前の遺跡です。

確か材料は栗の木だったような・・・・

 

 

そして今回の目的はこれ。↑

薬師寺東塔の軒を支える肘木の模型。

西岡さんの本を読んでますから

自ずと気になります。🤔

 

これは三手先(みてさき)という

軒を支える木組みの手法です。

「こんな手の込んだ組み合わせをするより

一本の頑丈な木材で支えれば良いのに」と

疑問を抱いていたオヤジ。

 

館長さんにお尋ねしたら

軽量化と装飾性を両立しているとのお答。

ちなみに法隆寺の五重塔は‟雲肘木”という

薬師寺に比べて大きな肘木で支えています。

法隆寺の50年後に造られた薬師寺。

既にこの頃は部材によっては

大型木材の調達が難しかったのかも?

「木に学べ」に書いてあったような・・・

 

 

館長さんのご厚意で

槍鉋を見せて頂きました。

薬師寺の伽藍再興に臨んで

西岡棟梁が鍛冶職人の

白鷹幸伯さんに鍛造を依頼したものです。

当時、槍鉋は既に存在しておらず

法隆寺の部材の削り跡から再生したらしい。

刃の切っ先が恐ろしく鋭利で

下手に研ぐと怪我をしてしまう事も。😲

ちなみに槍鉋のサンプルは

正倉院に模型が残されていたそうです。

槍鉋で加工すると水を弾いて

木材が長持ちするといいます。

ちなみに‟刃”は和鉄(たたら鉄)です。

思わず見入ってしまうオヤジ・・・・・😳

西岡さんや白鷹さんの「気」を感じます。

 

 

和釘の数々。↑

これもたたら鉄でして

たたらは通常の高炉で作られたものより

鉄の純度が高い。

純度の高い鉄は自ずと錆に強い訳です。

飛鳥時代の釘は1,000年を超える

耐久性を持つといいます。

本当に驚きですよねぇ~😲

 

 

檜は手触りが心地良い。

それにしても日本の木の文化は奥深い。

合理性を追及する昨今の風潮。

何か大事なものを忘れているような気がする。

 

博物館の館長さんに

高田後胤の座右の銘を教えて頂きました。

「藝に遊ぶ」

「藝」とは知識や教養の事。

 

「藝に遊び我を知る」by オヤジ。