最後に紹介する総社古墳群の墳丘は
蛇穴山(じゃけつやま)古墳です。
7世紀後半築造の一辺が約44mの方墳。
愛宕山の55mから宝塔山の66mと
拡大基調だった墳丘のサイズも
古墳終末期には大幅に縮小します。
各地で寺院が建立され始め
古墳の役割が終焉を迎えようとする時期。
為政者のカリスマ性の演出は
寺院に取って代わられる事になる。🤔
この頃になると構造は至ってシンプル。
ただ工作精度は益々高くなるので
古墳の質感レベルは上がっています。
墳丘は二重の堀で囲まれており
被葬者が‟やんごとなき人物”である証です。
南を向いた石室の入口には
川原石を敷いた前庭が広がります。
更に入り口の天井部分には
格狭間(こうざま)状の装飾が備わる。
宝塔山古墳同様、仏教の影響でしょうね。
玄室の両側壁、奥壁そして天井石は
それぞれ一枚の巨石で作られています。
この巨石の組み合わせは一見の価値ありです。
宝塔山古墳と比較しても
明らかに工作精度が進歩しています。
wikiによりますと
石室の石材は輝石安山岩の切石だいいます。
凝灰岩ならともかく
安山岩をここまで加工するとは
相当ハイレベルの加工技術でしょう。
真ん中の石は砂岩でこしらえた棺台です。
やはり安山岩よりも風化が進んでいます。
蛇穴山古墳に続く大型方墳は作られず
山王廃寺が一族の御霊を祭る事になります。
(おそらく)
石室の精巧な加工技術は山王廃寺の塔心礎との
類似性を指摘する説もあるそうです。
上野国の古墳一族は保渡田古墳群がNO.1でしたが(独断と偏見)
榛名山の噴火で滅亡しました。🌋
代わって、リーダー的な存在になったのは
総社古墳群の一族だったのかなぁ?
そんな気がします・・・・・
総社古墳群散策のネタはこれでおしまいです。