金井東裏遺跡:甲を着た古墳人 | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

榛名山周辺の散策の続きです。

 

水沢うどんを頂いた後は

群馬県埋蔵文化財調査事業団に向かいました。

ここには「発掘情報館」という施設があって

渋川市の金井東裏遺跡の出土品が展示されています。

上の画像は情報館の傍で撮影した榛名山。

その形から過去には途方もない噴火を引き起こした事が

容易に想像出来ます。

 

 

お目当ては平成24年に発見された甲(よろい)を着た古墳人。

上の画像がそのレプリカです

6世紀前半に榛名山の火砕流の犠牲となった

古墳時代の人骨が奇跡的に発掘されました。

当時の状況を画像から推測すると

膝を折って右側の頭部に両手を添えていたようです。

猛烈な速さで迫る超高温の火砕流。

これが火山災害の恐ろしさだと思う。

 

 

情報館で予習した後

実際の現場に出かけてみました。

上の画像が榛名山と遺跡の位置関係です。

榛名山の二ツ岳が噴火を起こし

画像下側の白い三角点で描かれた被災場所まで

火砕流が流れて来たそうです。

 

 

実際の現場はこんな(↑)感じ。

遺跡の上を上信自動車道が走っています。

この道路の建設計画が持ち上がり

遺跡の調査が行われる事になったとか。

 

 

これ(↑)は調査中の遺跡見取り図。

一枚上の画像と比較しますと

上信自動車道が見取り図上部を

左側から右方向へ跨ぐ位置関係になります。

ちなみに右側二つの円形構造物は古墳。

火砕流により古墳も削られたそうです。

凄まじい破壊力ですね。

 

 

詳細な説明版が設置されていました。

火砕流で亡くなった人骨

しかも古墳時代のものは全国的にも珍しい。

火砕流に襲われた後に

再度の噴火が起き、遺体を覆った火山灰が

奇跡的に乾燥した空間を作りだした訳です。 

 

 

遺跡では成人男女一名づつと

幼児と乳児の計4名の人骨が発見されました。

DNA鑑定の結果、成人の男女は他人。

上の画像は頭蓋骨から復元された想像図です。

男性は渡来系で女性は地元の古墳人との説も。

恐らく二人は夫婦で子供二人と災害に巻き込まれた可能性があるのでは?

男性の推定年齢は40代だといいます。

 

 

人骨が発見された場所には目印があります。

甲を着た古墳人(成人男子)の場所。(↑)

(画像五枚目見取り図の黄色のポイント)
その奥は乳児の頭蓋骨が発見された位置です。

 

 

こちらは(成人女子)が見つかった場所です。

(画像五枚目見取り図の白いポイント)

首の周りから、管玉とガラス小玉を連ねた首飾りが見つかり

「首飾りの古墳人」と名付けられました。

推定年齢は30代で、妊娠の経験がある事まで分かっているといいますから

何でも分かるんだなぁ~

 

 

実は現場から噴火した二ツ岳は見えません。

遠くから火砕流が斜面を下る様を察知する事が出来ないので

いきなり襲われたのだと思う。

しかし、火砕流が流れてくる前に噴火による火山灰が降り積もり

その上を避難する人々や馬の足跡まで残されています。

成人男性は村の首長的な存在で

村人を避難させた後に自分達に悲劇が襲ってきとの説も。

 

災害が頻発する日本の中で

この遺跡はもっと注目されても良いと思う。

地形の事が分かり始めると

災害教育の重要性を痛感します。

 

あまりこういう事をクローズアップすると

不動産屋さんが困るから下手な事が言えないのかなぁ?

人々は災害よって命を失うのではなくて

利権に殺されるのかもしれない。

そう思いたくないけれど・・・・・・・😫

 

榛名山関係の記事はこれにておしまいです。