全国コミュニティFM91局ネット『大石吾朗 Premium G』

俳優の大石吾朗さんがパーソナリティを務めるラジオ番組のアシスタントを蘭華が務めています。

先週に引き続き、今日の放送では、今年デビュー45周年(ソロデビュー40周年)のアニバーサーイヤーを迎えられる増田惠子さん(ピンク・レディー)をお迎えして、新春スペシャル版でお送りしていますニコニコ

ピンク・レディー時代の沢山のエピソードも話してくださいました。皆さん、お楽しみにアップ

日時:1月3日&10日(日)18:00〜18:55

お近くの放送局や、下記サイトからもサイマル放送で全国からお聴きになれます音譜音譜



1973年、増田惠子(ケイ)さんは同級生だった根本美鶴代(ミー)さんと共にヤマハ主催のオーディションに合格。


1974年、ピンク・レディーの前身となるフォークデュオ「クッキー」を結成し、ポプコンの東海地区予選に出場、地区予選の決勝まで進みました。


その後、1976年「スター誕生!」決戦大会でスカウトを受け、「ペッパー警部」でデビュー。続く「S・O・S」「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」といずれの楽曲もチャートの1位を獲得しています。


大胆なコスチュームと過激な振付けで歌うアップテンポな曲は、子供から大人まで、世代を超えて支持され、多くの女の子がその振付けを真似るなど社会現象を巻き起こしました。



9曲連続1位(「S・O・S」~「カメレオン・アーミー」)のほか、10曲連続でミリオン(「ペッパー警部」~「カメレオン・アーミー」)を達成するなど各賞を総なめに。


1979年にはアメリカにも進出し、「Kiss In The Dark」はビルボードチャートで37位を記録しています。


1981年3月31日、後楽園球場でファイナルコンサートを開催。4年7ヶ月の活動にピリオドを打つことになりました。


増田さんは、その年、中島みゆきさんプロデュースの楽曲「すずめ」でソロデビューすると、40万枚のヒット。また女優としても数々の作品に出演するなど活躍の場を広げられます。



ちなみに私のマネージャーは、徳間ジャパン名古屋で働いていた頃、増田惠子さんが1990年にリリースされたKei名義のアルバム「Voice Cologne」でプロモーションを担当されていたそうです。スタジオで再会できることを楽しみにしていたマネージャーですが、体調不良で収録に来れなかったので残念がっていました。


大スターにも関わらず、とても謙虚な方で、少女時代から今も尚、歌うことが本当に大好きというのが伝わってきました。シャンソンもお好きなようで、今年リリース予定のアルバムが楽しみですドキドキ