先日、仲間たちと弟と福島へ炊き出しに行ってきました。
福島県郡山市。原発から約58キロの県のほぼ中央に位置し、連日2.0マイクロシーベルト前後の放射線量が測定されるなど市民の不安は募る一方です。しかしながらここでもまた、原発付近から避難に訪れた多くの人々が不便な生活を送っています。郡山市内で、最も避難者数が多い「ビックパレットふくしま」には、富岡町と川内村から約700人が避難しています。彼らはどのような思いで避難生活を送っているのでしょうか。
![$蘭華オフィシャルブログ「夢の途中」Powered by Ameba](https://stat.ameba.jp/user_images/20110726/21/rankaranka/4c/01/j/t02200165_0800060011375492882.jpg?caw=800)
避難場所は広いホールの中にあるのかと思いきや、1階の避難エリアは通路にありました。通路といっても、空間が広く、床は絨毯使用で冷房設備が整っています。段ボールで区切りがされ、なんとかプライベート空間を作ろうという努力がそこかしこに見られます。
富岡町からお越しの60代の男性は、息子さん達とは離ればなれで、現在、借り上げアパートで奥さんと娘さんと生活しているそうで、不自由なことはないですか?と聞くと、やはり支給されるお金だけでは足りない為、食事に不自由していることと、早く職を見つけたいと話してくれました。施設内にはハローワークのコーナーもありました。
50代の女性は、本当に辛い。息子は昨年家を建てたばかりだったけど、こればかりはどうしようもないと。誰に怒るでもなく静かに、時には笑みを浮かべながら。終始優しい表情は、悲惨な現実からはあまりにもかけ離れていて、その表情を思い出す度に、原発事故が夢だったら良いのにと願わずにいられません。
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その日の郡山市は炎天下の33℃。パトロール中の警察の方も、気を付けてくださいねと心配してくださるほどの暑さ。でも、泣く泣く故郷を離れることになってしまい、悲しい思いをしている皆さんに、栄養のある食事をお腹いっぱい食べて、少しでも笑顔になってほしいとボランティアの皆さん達と一緒に頑張りました。
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お米を大量に持ってきてくださった福島の農協の皆さん。熱い釜戸から、何度も何度もご飯をよそってくださいました。
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今回の炊き出しで忘れられないことがあります。
私達の暑さを心配して、ホースで水撒きをずっとしてくださっていた年配の男性がいました。市の職員の方か、ボランティアの方だと思っていたのですが、後でお話をさせてもらった時に、富岡町から避難されてきた方だったと知りました。ありがとうございますと伝えても、照れ臭そうに笑うだけ。当たり前のことだからといった感じで口数の少ない男性。きっと、私達へのありがとうの気持ちを伝えたくての行動なんだと思うと誰かが言っていましたが、思わず、胸がいっぱいになりました。あんなに心優しい人達にこれ以上、辛い思いをさせたくないなあ。
避難所でお話しした方達に、別れ際、ずっと応援していますと言うと、少し寂しそうな顔をされました。また来れるかはわからないけれども、また来たいと思ったので、また炊き出しに来れるように頑張ります!と伝えて、福島を離れました。
先が見えない避難生活の中で、人々は生活への手がかりをなんとか見つけようとしています。他県へ避難した先では差別され、子供たちは学校ではいじめられるなど、行き場のない悔しい思いをする避難者が多いようです。皆さんのお近くに福島県から避難される人がいましたら、正確な知識の元、どうか温かく接して頂けたらと思います。
帰りの高速SAでは、福島の名産の桃ジュースやお菓子を買って。これからも微力ながら、福島、東北の復興を応援していきたいと思います。
福島県郡山市。原発から約58キロの県のほぼ中央に位置し、連日2.0マイクロシーベルト前後の放射線量が測定されるなど市民の不安は募る一方です。しかしながらここでもまた、原発付近から避難に訪れた多くの人々が不便な生活を送っています。郡山市内で、最も避難者数が多い「ビックパレットふくしま」には、富岡町と川内村から約700人が避難しています。彼らはどのような思いで避難生活を送っているのでしょうか。
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避難場所は広いホールの中にあるのかと思いきや、1階の避難エリアは通路にありました。通路といっても、空間が広く、床は絨毯使用で冷房設備が整っています。段ボールで区切りがされ、なんとかプライベート空間を作ろうという努力がそこかしこに見られます。
富岡町からお越しの60代の男性は、息子さん達とは離ればなれで、現在、借り上げアパートで奥さんと娘さんと生活しているそうで、不自由なことはないですか?と聞くと、やはり支給されるお金だけでは足りない為、食事に不自由していることと、早く職を見つけたいと話してくれました。施設内にはハローワークのコーナーもありました。
50代の女性は、本当に辛い。息子は昨年家を建てたばかりだったけど、こればかりはどうしようもないと。誰に怒るでもなく静かに、時には笑みを浮かべながら。終始優しい表情は、悲惨な現実からはあまりにもかけ離れていて、その表情を思い出す度に、原発事故が夢だったら良いのにと願わずにいられません。
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その日の郡山市は炎天下の33℃。パトロール中の警察の方も、気を付けてくださいねと心配してくださるほどの暑さ。でも、泣く泣く故郷を離れることになってしまい、悲しい思いをしている皆さんに、栄養のある食事をお腹いっぱい食べて、少しでも笑顔になってほしいとボランティアの皆さん達と一緒に頑張りました。
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お米を大量に持ってきてくださった福島の農協の皆さん。熱い釜戸から、何度も何度もご飯をよそってくださいました。
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今回の炊き出しで忘れられないことがあります。
私達の暑さを心配して、ホースで水撒きをずっとしてくださっていた年配の男性がいました。市の職員の方か、ボランティアの方だと思っていたのですが、後でお話をさせてもらった時に、富岡町から避難されてきた方だったと知りました。ありがとうございますと伝えても、照れ臭そうに笑うだけ。当たり前のことだからといった感じで口数の少ない男性。きっと、私達へのありがとうの気持ちを伝えたくての行動なんだと思うと誰かが言っていましたが、思わず、胸がいっぱいになりました。あんなに心優しい人達にこれ以上、辛い思いをさせたくないなあ。
避難所でお話しした方達に、別れ際、ずっと応援していますと言うと、少し寂しそうな顔をされました。また来れるかはわからないけれども、また来たいと思ったので、また炊き出しに来れるように頑張ります!と伝えて、福島を離れました。
先が見えない避難生活の中で、人々は生活への手がかりをなんとか見つけようとしています。他県へ避難した先では差別され、子供たちは学校ではいじめられるなど、行き場のない悔しい思いをする避難者が多いようです。皆さんのお近くに福島県から避難される人がいましたら、正確な知識の元、どうか温かく接して頂けたらと思います。
帰りの高速SAでは、福島の名産の桃ジュースやお菓子を買って。これからも微力ながら、福島、東北の復興を応援していきたいと思います。