奈良県天理市萱生町ヒエ塚にある大型の前方後円墳。

 

大和古墳群萱生支群を構成。

 

3世紀後半-4世紀前半(初頭)、古墳時代前期前半築造。
 

 

後円部南側一部と前方部北西端が削平されています。

 

墳丘には東西1.9m、南北10.6mの「コ」の字形の木造建物跡を検出。

旧大和海軍航空隊大和基地(柳本飛行場)の関連施設との指摘もあります。

 

 

2014、2017年発掘調査により、葺石や盾形周濠、外堤の痕跡など確認。

埴輪は見つかっていません。

 

ノムギ古墳と共に奈良県道51号天理環状線建設に伴う調査でした。


すぐ西隣にはノムギ古墳。

 

■奈良県道51号天理環状線

 

前方部南西角。

県道脇に旧道が沿っています。

 

前方部西辺中央。

 

 

 

前方部北西角。

 

龍王山から西に伸びる尾根上に立地しています。

 

全長129-130mの前方後円墳。

後円部径60-69m、高さ10m。

前方部幅55m、高さ7m。

 

後円部3段、前方部2段築成。

墳丘は前方部が撥型に開いており、中山大塚古墳、箸墓古墳と類似。

 

周濠は底幅4-5.8m、上幅10m、深さ0.5m。

 

墳丘北側全景。柿畑に囲まれています。

 

墳丘中央、後円部と前方部を分断する農道。

 

室町時代に既に墳丘くびれ部を農道が縦断していました。

果樹園や畑地にかなり改変。

 

後円部北側。

 


 

後円部東側。

 

 

未調査のため内部構造不明。

明治時代に勾玉、管玉、金環、土器など出土。

 

初期ヤマト王権と関わりが深く、大王に次ぐ有力者の墓と想定。

 

 

 

 

墳丘くびれ部の農道。

 

前方部墳頂を東側より。

 

後円部南西側、くびれ部付近には作業小屋が一棟。

 

後円部南西側。

 

墳丘南側全景。

 

前方部南東側。

 

 

 

 

節分の柊鰯。

 

かきもち。