昨日店に来たお客さんの相談に乗って。


みんななんでそんなに真面目でそんなにひとつのことばかり考え込んでしまうんだろう。ぜったいにできない。考えるのを1つに絞れなくて泣きながら同時にブイヤベースのこと考えてるようなわたしからしたら尊敬。


相談することで相手に憂鬱がうつることを恐れ、結果として自分で抱え込んでしまう優しすぎる人たち。


他者の一挙一動に敏感に反応することは素晴らしい、けれどそこから先の思考が深過ぎて、きっとそれはもうずっとひとりで遠くに行ってしまっているから、たぶんほんとうの答えとずれている。1°ずれた直線みたいに、あるいは迷路かもしれない。


責任感が強いから、自分ひとりで答えを出したがるのもひとつの性質かもしれない。自分ひとりで出せるなら出したいもの。だけど、解答冊子のなくなった問題集みたいな問いを、四六時中考え抜いている。考えなくていいと思った。ほんとうの答えを知る術はない場合でも、もう十分すぎるぐらい考えている。


相手の些細な表情の変化に、何ヶ月も苦しめられることない。だって相手はきっとそんなこと忘れてる。それにだれかに相談したっていい。あなたのことが大切な人なら、相談されて嫌とは思わないはず。少なくともわたしの場合はそう。で、一緒になって解決策を考えてくれる人もいれば、ひたすら共感して、頷いて、受け入れてくれる人もいる。相談の乗り方は人それぞれ。うちの父親みたいに勢いを与え笑い飛ばしてくれる人もいれば、「大丈夫」と支えてくれる親友もいるじゃないか。


ひとりで考えなくていい。相談していい。ひとりじゃない。

そんなひどい相手の言葉も考えなくていい。


相手はきっとあなたに考えて欲しくて「自分で考えろ」なんて言ったのではなく、単にコミュニケーションを断つ言葉としてそれを言い放ったと思う。あなたと違ってとっても無責任な言葉を投げた。そんな奴に言われた言葉通りにしなくていい。


自分ひとりの思考パターンにはおそらく限界があって、そういう時のために周りの人がいるんじゃないか。あなたを親友だと思っている人々にとっては、頼られないことはむしろ寂しいことなんだ。


それでもやっぱり、親友には心の負担を持って欲しくないというのであれば、むしろ何にも関係ない人、たとえばわたしとか、この店で出会ったひとたちに相談したっていいと思う。たとえば知恵袋とかって相手のそういうこと気にしなくていいじゃない。そんな感じ。


そういうことを喋りながらも、わたしはまた高校の頃に流行ったキャラクターのことを思い出したりとかして、やっぱり自分は薄情だと思う。1つのことをひたすら考えられるのはやっぱり尊敬する。互いに気づいてることかもしれないけど、思考をコントロールするのは難しいし、わたしは自分にめちゃくちゃショックなことが起こってもヨーグルトの桃のこととか思い出してしまう奴だけど、一種それぐらいの空きスペースを持つことは大事かもしれないと思ってて。自分ひとりでそれをつくるのはきっと難しいので、誰かの話を聞いて、なるべく頭の中の「ひとりで考えたこと」が占めるスペースを小さくしていくことが必要だと思う。


と、足りない脳みそと薄情な心が感じて、支離滅裂ながらも述べた。


優しい人はほんとうに優しい。そういう人が苦しんでいるのはやっぱりいやだし、おかしい。傷つけた側はのんきだ。無責任だ。きちんと伝わっただろうか。

彼は帰り際に、ありがとう、とわたしに声をかけて帰っていった。その夜が前の日よりも少しでも穏やかであるように願って見送る。


無力を感じた。