新館
1F ガラス作品展示室
エミール・ガレの作品が多かったように思います。
2F 薩摩焼展示室・マイセン磁器展示室
細かい絵付けの金襴手薩摩焼は豪勢で見事でした。
「薩摩 金襴手 花瓶」が見事でした。
陶磁器の命名ルール 【産地・窯】 + 【装飾・技法】 + 【器の種類・形】薩摩焼の(産地)金彩を贅沢に使った(技法)花を生ける器(形)
16世紀末、文禄・慶長の役に参陣した薩摩藩主・島津義弘が、朝鮮半島から陶工たちを連れ帰ったことで始まりました。藩の御用窯として手厚く保護され、大名への献上品や観賞用として発展しました。幕末から明治時代にかけて、パリ万国博覧会などに出品され、海外では「SATSUMA」の名で高く評価されました。
続けて、マイセン磁器の展示室があるのですが、薩摩焼の絵付けなどがマイセン磁器にも影響を与えているようで、興味を持ちました。
薩摩焼の歴史・変遷。
そしてマイセン磁器の歴史変遷について、情報をあつめてみることにしました。
google AIによると、
金襴手(きんらんで)の薩摩焼は、象牙色の白薩摩に色鮮やかな絵付けをし、さらに金泥で豪華な装飾を施した伝統的な技法・様式です。幕末から明治時代にかけて欧米に大量に輸出され、「SATSUMA」の名で世界中に大ブームを巻き起こしました。
主な特徴絢爛豪華な金彩装飾赤、緑、青、黄などの色絵具の上に、細筋の純金(金泥)で縁取りや立体的な模様(盛上げ金彩)を重ねる非常に緻密な技法です。極細密な描き込み器の表面を埋め尽くすように、仏教の羅漢(らかん)、日本の武士や浮世絵風の美人、花鳥風月などが針の先ほどの細かさで描かれています。美しい「貫入」の背景土台となる「白薩摩」の表面には、細かく美しいひび模様(貫入)が入っており、これが金彩の輝きをより上品に引き立てます。
歴史と世界的なブーム江戸時代後期の誕生19世紀前半、薩摩藩(現在の鹿児島県)の苗代川(なえしろがわ)窯などで、京都の雅な色絵技術を取り入れて作られ始めました。当初は藩主への献上品や贈答用で、一般には流通しない最高級品でした。
パリ万博での衝撃(1867年)幕末のパリ万国博覧会に薩摩藩が独自に出品すると、その圧倒的な美しさが「極東の宝石」と称賛され、ヨーロッパでジャポニスム(日本趣味)の火付け役となりました。世界中での増産と広がり明治時代に入ると海外からの注文が殺到し、本元の鹿児島(本薩摩)だけでなく、京都(京薩摩)、横浜、神戸、大阪など日本各地で輸出用の金襴手薩摩焼が競うように作られました。

