ソウルフードとしての牛丼 | Punipuny HighJink Zephyrぷにぷに

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私の想い出の味ソウルフードといえば・・・。

山口県宇部の豚骨ラーメンは,中学校時代のソウルフード。

高校時代は,鷹野橋の焼肉屋「養老」の昼定食がソウルフード。

大学時代のソウルフードと言えば,吉野家の牛丼かもしれません。

 

私と同世代の方ならばよくご存知の事と思います。

昭和50年頃,積極的な店舗展開と「ここは吉野家・味の吉野家牛丼一筋80年」のCM>

そして,「早い!安い!美味い!」というキャッチフレーズで大ブレークしました。

 

 

しかし,数年たたないうちに会社更生法の申請。

理由の一つは,でたらめともいえる店舗展開がありました。

 

人気が出て,どのお店も満員状態が続いた時期,次々に店舗展開。

広島市西部から五日市・廿日市についていうと,国道2号線沿いの西広島から宮島口にかけての10数キロの間に,最多の時は7店舗以上あったと思います。

 

メニューは牛丼のみで,トッピングも生玉子くらいだったかなあ。

とにかく,確かに,早い・安い・美味い。だったのです。

 

早く出すためのカウンター形式の店舗も画期的でした。

 

余りに急速な,そして大規模な店舗展開で,味にも変化があったのかもしれません。

倒産であちこちのお店が閉店して,食べられなくなった時にはとても残念に思いました。

 

その頃と味は多少変わっているかもしれませんが,牛丼は吉野家の牛丼が一番好きです。

 

ずっと時代は下って,牛丼戦国時代。

2000年くらいからかなあ。

 

職場の近くにすき家があったので,すき家には良く行きました。

カミさんか一緒の時には,牛丼が好きでないカミさんはカレーを食べればよいので,すき屋に入っていました。

 

職場の近くのすき屋。ご飯が美味しくなかった。

いわゆるホッチンというバサバサなきちんと炊けていない白飯。

 

その後,労働条件の悪化で,店に入ってもなしのつぶて,店員から全く無視された時には,さすがに頭にきて,すぐに店を出ました。

外食店で,何もせず,何も言わずにお店を出たのはこの時が初めてです。

 

ちなみに,松屋はあまり入った事がありません。

 

次男のアパートが大阪の石橋駅付近に会った時には,同じ系列の松のや=トンカツのお店には良く行きましたが。

 

今はどこのお店も安定しているようで,安心しては入れるようですね。

でも,どれか一つ選ぶ場合は,吉野家の牛丼並なのです。

 

今日の昼ご飯は吉野家の牛丼

 

 

 

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