子供の頃から釣りが大好き。
中学校の頃,宮島競艇のボートがお小遣い貯めれば変えそうな値段で出ていて,なんにもわからなかった自分は買う気まんまん。
夏休み。山口県の宇部から廿日市町の母の実家に遊びに来ていた時のことです。
母の兄嫁=私をとってもかわいがってくれた伯母さんに止められました。
「やめときんちゃい。波があったらあの船はすぐひっくりかえるよ。レースの時にもひっくりかえるんぢゃけぇ」
そして,実物を見に連れて行ってくれたのです。
人一人がやっとすわれるだけ,ポコポコ音のする薄い板でできた船体。
伯母のいう事に納得しました。血のつながりはなかったけれど,優しい伯母でした。
釣りがしたくて,ヨット部に入りました。
最初の練習日。釣り竿を持っていったら,キャプテンに「ナニをしにきたんや」といきなりおこられました(笑)
ヨット部は,ヨット競技をする部だったのです(大笑)
1984年夏 OBとして合宿に参加した時に撮った写真
ヨット部練習中
FJ級
なんやかんやでヨット部を続けました。
その後の人生でヨットの知識・技術は大きく役立っています。
ローブワーク等の具体的な技術等もですが,それよりも準備と後片付けの大切さ。
船上での整理整頓の大切さ。それら基本的な事が出来ていないと命にかかわる場合がある事。
数行では語りつくせません。
合宿は楽しかった。宇品にあった動物園の象の家で寝た事。包ヶ浦の防空壕で寝ていたら顧問の先生が私が居なくなったととても心配された事。浜の石についていた岩ガキや線のあるアサリみたいな貝を焚火して焼いて食べた事。
そして,狭い木造のスナイプの中で寝たりもしました。
OBが19ftのクルーザで来た時には,定員3名のキャビンの中で4人くらい折り重なるようにして寝ました。
船に乗りたい・欲しい病はますます強くなっていきますwww。
ヨット部を引退してから,数年間はセーリングクルーザのクル~。
カネはあるけど暇がないオーナー。
カネはないけど暇はあるクルー。
利害関係一致して,オーナーはお金を出す。
クルーは労働力を提供する。
社会人になる迄は,そうやってセーリングを愉しんでいました。
江波の港・地御前の港に係留していたセーリングクルーザ。
後には,宮島ボートレース場の横にあった海楽園ヨットハーバー。
毎週のように行って,艇のキャビンで先輩たちと楽しい時を過ごしました。
宮島沖を帰航
そして,レース。高校のヨット部の時のような競技としてのレースとはまた一味違ったクルーザのレース。
徳島阿波踊りレース。
広島別府レース。
安居島ラウンド。
SKKカップレース。
行き帰りのクルージングも楽しかった。
1976年
安居島レースにて
徳島阿波踊りレース帰路にて
続く