3.続・スコットランドの歴史 | whisiky pub distillのブログ

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北九州市 小倉北区 Whisky Pub Distill

前回の続きです

なかなかまとめるのが大変でおそくなってしまいました‥

 

スコットランド王であったベイリャルはイングランド北部に侵攻するも、反撃されて降伏しました

そしてその後10年間、スコットランド王の座は空位となります

 

ウィリアム・ウォレスが蜂起し、スターリング・ブリッジの戦いでは大勝利を収めるのですが、

その後のファルカークの戦いで敗れてしまいました

しかし、そのウィリアム・ウォレスの戦いぶりを見て立ち上がった人が居ます

それがロバート・ドゥ・ブルース王です

ではその後の流れを見ていきます

 

1306年  ロバート1世(ロバート・ドゥ・ブルース、ベイリャルの甥)がスコットランド王位を宣言

       イングランド王エドワード1世はすぐにロバート軍を討ったが、ロバートはとにかく逃げ回った

1307年  ロバートのゲリラ戦が功を奏し、再びイングランド王エドワード1世が討伐の為にスコットランドに向かうも、

       途中で病没

       皇太子エドワード2世はロンドンへ引き返す

       これ以降、ロバート1世はスコットランド内のイングランド軍の一掃に取り掛かる

1314年  バノックバーンの戦い

       スコットランド内のイングランド軍の拠点はスターリングとベリックだけになり、

       遂にスターリング南のバノックバーンでロバート1世とエドワード2世の決戦となった ロバート軍が大勝

       ※クレイモア ※ヘイグ(ロバート・ヘイグ)

1316年  ロバートはアイルランドに攻め入り、ロバートの弟がアイルランド王となる

       また、ベリックは1318年に奪回

1329年  ロバート死去 長男のデイヴィッド2世は5歳で王位を継ぐ

(中略)

1371年  ロバート・スチュワートがロバート2世として王位に就く

       ※スチュワート ※スチュワーツ・クリーム・オブ・ザ・バーレー

1390年  ロバート2世死去  ロバート3世が王位に就く

1406年  ロバート3世死去  オルバニー公の摂政政治が始まる

       毎年議会を開き、セント・アンドリューズ大学を創設(1412年)

1437年  ロバート3世の長男でジェイムズ1世が暗殺される

       同時にジェイムズ2世が即位 → 1451年にグラスゴー大学を創設する

(中略)

1542年  ジェイムズ5世死去 生後6日のメアリーが即位

1558年  メアリーはフランス皇太子のフランソワと、パリのノートルダムで結婚する

       イングランドではエリザベスが即位

1560年  フランソワが亡くなり、メアリーは13年ぶりにスコットランドへ戻る(18歳)

1565年  メアリー、ダーンリー卿と結婚するも、半年で不仲に

       イタリア人音楽家のダヴィッド・リッチオと恋仲になる

1566年  リッチオが殺害される (ダーンリー卿が犯人?)

       この時危うく流産しかけた子が、のちのジェイムズ6世であった

1567年  エジンバラの教会 カーク・オ・フィールド(現エジンバラ大学の構内)で何者かによりダーンリー卿が

       爆殺される その3ヶ月後、首謀者と言われたボスウェル伯とメアリー、結婚

1568年  国内の反発を買ったこの結婚により、反ボスウェル伯の貴族らがメアリーを廃位

       メアリーの長男のジェイムズ6世が生後13ヶ月で王位につく

 

       廃位後、メアリーは幽閉(18年)されたが抜け出して兵を起こす

       が、戦いに敗れイングランドに逃げ込みエリザベスに助けを求めた

       しかし1587年、そのエリザベスの暗殺謀議の疑いで捕らえられ処刑された

       ※ハイランドクイーン ※ラングサイド ※ブラッディ・メアリー

1603年  エリザベスが亡くなり、イングランド王ヘンリー7世の血を引く(玄孫)ジェイムズ6世は

       イングランド王を兼ねることになる(ジェイムズ1世として即位)

       同君連合が成立する

       ※クランマクレガー ※オールド・セント・アンドリュース ※ブッシュミルズ

1644年  スコットランド議会、アクアヴィテに初課税

1649年  イングランド・スコットランド王 チャールズ1世(在位1625年~)、清教徒革命により処刑される

       ※オールド・パー

 

一旦休憩(*_*)

皆さんご存知のメアリー女王です

悲劇の女王として有名ですが、確かに生後6日で即位だなんて、初っ端から波乱万丈ですが

こうやって歴史的に起こった事柄だけ(しかもざっくり)見ると、、好感は持てないかなぁ・・(´-﹏-`;)

実際はどんな人物だったのでしょうね

そんなことも気になりつつ、ここからはジャコバイトの戦いが続いていきますよー

慣れないカタカナばかりですが、もう少しお付き合いを。

 

1651年  オランダに亡命していたチャールズ2世がスクーンでスコットランド王に即位する

1688年  カトリック贔屓のジェイムズ2世・7世は、長女のメアリー2世とその夫のウィリアム3世に追放される

       亡命したジェイムズ7世支持派はジャコバイト(ジェイムズのラテン語読み)と呼ばれた

1707年  スコットランド議会が廃止、イングランドに併合される グレートブリテン王国となる

1715年  大僭称者(オールド・プリテンダー)・ジェイムズ8世は、スターリング近郊で兵を挙げるが、

       王位奪還は成功しなかった(“フィフティーン”と呼ばれる)

1745年  ジャコバイトの反乱

       オールド・プリテンダーの長男チャールズ(愛称 ボニー・プリンス・チャーリー)が蜂起する

       が、兵站線が長すぎたのと、フランスからの支援が受けられず撤退した

1746年  カローデンの戦い

       インヴァネスの東カローデン・ミュアで徹底的に敗れる

       スカイ島に渡ったチャールズはフローラ・マクドナルドに助けられ、フランスに脱出した

       この敗戦によって、クラン姓・タータン・キルト・バクパイプ が禁止された

       ※ロングジョン ※100パイパーズ ※ホワイトホース

 

1759年  1月25日 エアシャーでロバート・バーンズ 誕生 (バーンズ・ナイト)

       ※ロバート・バーンズ ※カティサーク ※ウシュクベー

1760年  このころより産業革命が始まる

1822年  ジョージ4世、ハノーヴァー王家として初めてエジンバラを訪問する

       キルト姿で訪問し、公式の場でのキルト着用が再び認められた

       この時スコットランドでは密造が盛んで、取り締まりが強化されていた

       そんな中、密造酒であるジョン・スミスのウイスキーが飲みたいとジョージ4世が言ったため、

       国王が密造酒を認めるという訳にはいかないわけで、翌年酒税法が改正される

       そして1824年 政府公認第1号蒸留所のグレンリベット蒸留所が誕生することになる

1837年  ヴィクトリア女王 即位

1860年  酒税法 改正  ウイスキーのブレンド(異なる蒸留所の)が可能になる

 

ふぅ・・長かったです

とは言え、ひとつの国の歴史ですからね

これだけじゃ1%程度のもんだ と言われてしまいそうですが、とりあえずウイスキー関連で勉強するのであればこんな感じでよいのではないかと思います

 

それでは※の解説を。関連事項のあるものをピックアップしています

 

・クレイモア

 前回にも出てきましたが、戦士たちが使った巨剣のこと

 ブレンデッド銘柄

 

・ヘイグ

 バノックバーンの戦いやフロッデンの戦いに参戦したのがヘイグ家の勇者たち

 そのヘイグ家がウイスキーを手掛けたのが1627年、分家のロバート・ヘイグが最初だった

 ブレンデッド銘柄

 

・スチュワート

 スチュワート王家の名前であり、スコットランドで最もポピュラーな姓がスチュワート/スチュアートで、綴りが2つある

 Stewart が古くからある綴りで、Stuart はフランスの教育を受けたメアリー女王が改めた綴り

 ジェイムズ6世・1世以降は後者の綴りが使われている

 ブレンデッド銘柄(古い綴りのStewart's)

 

・スチュワーツ・クリーム・オブ・ザ・バーレー

 スチュワートと同様、古い綴りを使っている

 ブレンデッド銘柄

 

・ハイランドクイーン

 「悲劇の女王」と言われたメアリー女王のこと

 メアリーがフランスから帰国した際に上陸した場所がリースだったことから、この名前をつけた

 ラベルには白馬にまたがるメアリー女王の姿が描かれている

 ブレンデッド銘柄

 

・ラングサイド

 スターリング北方にある古戦場の名前

 1568年にメアリー女王が反乱軍に対して最後の戦いを挑んだ場所がラングサイドだった

 ブレンデッド銘柄で、南アフリカ向けにつくられたウイスキー

 

・クランマクレガー

 マクレガー氏族のこと アーガイル公キャンベルの政治力の前に追いやられ、1603年 ジェイムズ6世・1世から

 「アウトロー」宣言をされてしまった

 この宣告は1774年に解除されるまで続いた

 ブレンデッド銘柄で、ウィリアム・グランド&サンズ社の1980年代の新しいブランド

 

・オールド・セント・アンドリュース

 スコットランドの国民的スポーツであるゴルフの発祥の地

 イングランドに伝わったのがジェイムズ6世がスコットランド王ジェイムズ1世として即位したとき

 オールド・セント・アンドリュース社は1970年、主に日本への輸出向けの会社として設立された

 ブレンデッド銘柄

 

・ブッシュミルズ

 創業は1608年といわれ、世界最古の蒸留所 と謳っているが、

 正確には 1608年に国王ジェイムズ6世・1世から領主であったサー・トーマス・フィリップスに蒸溜免許が

 与えられた というだけである

 

・オールド・パー

 トーマス・パーという英国史上最長寿の人物のこと

 チャールズ1世が噂を聞きつけ、ひと目会いたいと1635年にトーマス・パー(この時152歳)をロンドンに招いた

 ブレンデッド銘柄

 

・ロングジョン

 ジョン・マクドナルドの愛称で、身長が193㌢だったことから

 ジョンの曾祖父アレクサンダーは狂信的なジャコバイト党で、1715年と1745年のジャコバイトの反乱に参加している

 1745年の際は、ボニー・プリンス・チャーリーの右腕として軍隊を指揮した

 ブレンデッド銘柄

 

・100パイパーズ

 ボニー・プリンス・チャーリー率いるジャコバイトの反乱の際、100人のバグパイパーが先頭に立ち

 兵士の士気を高めたという

 彼らは撃たれても前進を続け、決して演奏をやめることはなかった

 そんなバグパイパーを冠したブレンデッドであり、ラベルにも彼らの姿が描かれている

 

・ホワイトホース

 1742年にエジンバラに創業した酒亭「ホワイトホース・セラー」、その名前をそのまま名付けたブレンデッド

 1745年のボニー・プリンス・チャーリー率いるジャコバイト軍がエジンバラに進攻した際に常宿としたのが

 このホワイトホース・セラーだった

 このブランド名には、スコットランド人の自由と独立への願いが込められている

 

・ロバート・バーンズ

 スコットランドの国民詩人、日本で知られる「蛍の光」の原作者

 バーンズ協会の正式な認可を受けて名付けられた、会のオフィシャルボトル(ブレンデッド)

 同ブランド名でシングルモルトもある

 

・カティサーク

 2013年に限定発売された、カティサークの25年もの「タム・オ・シャンター」

 ロバート・バーンズの代表作のひとつで、カティサークはこの話の中にも登場する

 

・ウシュクベー

 ウシュクベーの「ストーン・フラゴン」と「クリスタル」のそれぞれのボトルの裏にロバート・バーンズの肖像画と、

 代表作「タム・オ・シャンター」の一節が描かれている

 “wi usquaebae, we'll face the devil” (ウシュクベーさえありゃ悪魔なんてへっちゃらさ)

 

 

以上です!

長々となってしまいましたが、スコッチにはスコットランドの歴史が存分に散りばめられていることが

分かっていただけたのではないでしょうか

代々受け継がれている思いや願いや祈りや粋な冗談・・

今後また詳しくやりたいと思いますが、イングランドとの戦いの中でスコットランドのウイスキーは

過剰な程に課税を受けることになります

そのいじめのような課税から逃れるために、山奥へ移り、ウイスキーを樽の中に隠す・・

そう、ここで初めてウイスキーを樽で熟成すると素晴らしい変化を遂げることが発見されたのです

あとから見ると何ともびっくりするような事ですが、

イノベーションは遍く、たまたま偶然に、そして様々な状況が作用しあって起こるのかもしれませんね

 

余談ですが、ドラえもんの誕生も

藤子F先生が、締め切りが迫る中なーんにも思い浮かばなくて

お願いしたら何でも叶えてくれるようなのがあればなぁー とか、もう暴れながら泣きそうになっていて

ついに締め切りの日の朝、もう破滅だと思っていたら娘さんの猫のぬいぐるみが目に入り、

何でも叶えてくれる、、などの今までのアイディアも相まって猫型ロボットなるものに行き着いたのだそうな

 

机の引き出しのくだりも何か聞いたことあるんですが・・忘れちゃった(´_`;)

 

ウイスキーにはまだまだ面白い秘話がたーくさんあるのです( *´艸`)

これからもどんどん記事にしていきたいと思うので、興味のある方はよろしくお願いします

 

それでは今回も。 お粗末さまでした

 

 

参考文献:「シングルモルトウイスキー大全」 「ブレンデッドウイスキー大全」 (土屋 守)

       サイト-スコットランド史  年表