2020=新緑の播州三木句会下見行 見水 | 神戸RANDOM句会

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見水の俳句紀行

   新緑の播州三木句会下見行

新型コロナウイルス感染拡大で、4月21日に予定していた神戸ランダム句会を中止。波平さんが愛妻のために準備してこられ、吟行で立ち寄る予定だった三木市立堀光美術館の「柳本富子の足音」展も、残念ながら直前でお流れになりました。
外は春だけど静かな昼ごはん 一風
緊急事態宣言が出され、繁華街はどこも外出自粛要請で一変し、人影無し。以下は、まだ余裕のあった2月中旬に一風幹事長と出かけた三木の下見の記録です。

     
コロナ禍にマスク着用あなた誰
「やあ、おはよう」
声をかけられるまで気づかなかった。猛威をふるう新型コロナと寒さに備え、一風さんは完全防備のマスクと帽子姿。周りの席も皆マスク。令和2年2月18日(火)午前9時9分、神戸電鉄「鈴蘭台駅」の粟生行の先頭車両で、一風幹事長と合流した。
4月下旬に開催予定の春の神戸RANDOM句会の吟行先を神戸の北隣の三木と決め、本日はその下見。晴れ男の2人、雪の天気予想ははずれて晴天だが寒い。
電車が動き出すと、早速、句会の懸案。
「句会場の会議室は予約した。けど、歩く距離が長くないか心配」
「今日、歩いてみて判断しましょ」
三木への足は神戸電鉄粟生線。単線で昼間は3両編成が1時間に1~2本しか走っていない。1日がかりの日帰り旅となる。何十年ぶりかに乗る粟生線の沿線風景は新鮮で、こんな景色だったのかと、眺めていて興味が尽きない。
鈴蘭台から約30分で三木上の丸駅前に到着。木造の小さな駅。句会の集合予定場所。
「待合も小さいな。雨やったらここでの待ち合わせは10人でもきつい」
「堀光美術館に一番近いのはここ。次の三木駅まで行くと遠くなる」
春めくや小さな駅で待ち合わせ


 駅をぐるっと回って細い坂道を登りきると「金物資料館」の建物。手前に「村のかじやの碑」がある。
文部省唱歌「村の鍛冶屋」は1912年から愛唱されてきたが、時代に合わなくなり、1985年に教科書から消えた。三木で金物を作ってきた人々は、この唱歌が消えていくのを惜しみ、1978年に歌碑を設置したという。


   しばしも休まず槌うつ響き/飛びちる火花よ はしる湯玉

資料館の入口に入館無料の表示がある。
「入ってみよか」
入口のドアを開けると、他に見学者はいないが、係の人が出てきて原料の鉄の産地などの説明をしてくれる。
三木市はかつて城下町で、京・大坂と播磨以西を結ぶ交通の要衝地だった。
江戸時代には全国的に金物の町として大いに栄えた。資料館には精緻を極めた大工道具などがぎっしりと展示され、懐かしい肥後守のナイフもいろいろ。一つ一つ見ていたら切りがない。
水温む三木は金物小野算盤
「屋外で定期的に古式鍛錬の実演もやってんねんで」
たびたびここを訪れた一風さん、詳しい。
「せっかくなので城跡の上の丸も見ときましょか」


日脚伸ぶわが青春の城下町
城跡には案内表示も設置され、よく整備されている。地元のライオンズクラブが寄贈した最後の城主・別所長治の馬上の立像が凛々しい。眼下には、きらきらと美嚢川が流れ、三木の町並が広がる。
1578年、播州を支配する諸国の重臣達による「加古川評定」の結果、織田側から毛利側に寝返った若い城主・別所長治は、城山(釜山)に7500人の一族郎党・三木の領民(門徒)とともに籠城して「三木合戦」が始まり、指揮官の秀吉や軍師の竹中半兵衛、黒田官兵衛を悩ませる。
案内板の三木城の配置図によると、城の範囲はこの三木城址だけでなく、裏山の現在の市庁舎や文化会館、中央図書館の一帯を含む広大なエリアだったようだ。
奥方はまだ二十歳前冬の月
籠城は2年に及び、この間、山中鹿之助の守る上月城の落城や荒木村重の謀反と黒田官兵衛の有岡城への幽閉があり、今の神戸の市域でも丹生山、淡河城、端谷城などが攻め落とされる。ついに食糧が尽き、1580年の年明け、平井山に陣を敷く秀吉は城主らの自害を条件に、籠城した人々の助命を約束し、城に酒肴を運び入れる。開城により播磨は平定され、秀吉は町の復興に努め、後に三木は金物の町となる。
城主・長治は23歳。夫人は20歳前だった。長治は辞世の句を残した。
  今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば 
城の近くに別所長治と夫人の首塚や碑が残され、平井山にはここで病死した竹中半兵衛の墓を立て、440年を経て今なお地元で共に慕われ続けている。


上の丸の南側の二の丸跡には「みき歴史資料館」と「三木市立堀光美術館」が並んで建っている。いずれも入館無料。
「みき歴史資料館」は図書館だった建物。図書館が新築移転した後、2016年に歴史資料館に改装。三木で出土した土器や古文書、近現代の郷土資料を展示している。圧巻は極彩色で細かく描かれた「三木合戦軍図」(複製)。じっくり回れば何時間もかかりそう。向かいの「三木市立堀光美術館」へ。この美術館は、実業家で三木町長を務めた堀田光雄氏が三木市に寄贈した建物とコレクションをもとに1982年に開館。受付を抜けると1階と2階に展示室があり、この日は地元出身アーティストの個展をやっていた。
薫風に足音を聴く美術館
この美術館で、4月11日から5月10日まで、神戸RANDOMメンバー・波平さんの一昨年12月に亡くなられた奥様の遺作展・特別企画「柳本富子の足音」展が開催される。柳本富子さんは日本画の大家の先生方に師事して独自の画境を開かれ、今回の展示は日本美術院の院友として「院展」に出品した作品や、画想を求めてはるかインドやネパールを訪ね、慈しむように人々を描いた絵の数々を出展される。(4/7中止決定)


「当日はこの後、三木山森林公園に移動するので、ここにタクシーを1台呼んどこか」
美術館を出て三木山森林公園に向かおうとすると、付近で工事をしている。後で調べると、国史跡の三木城跡の遺構の保存と活用に向けた整備を進めていた。今やっている工事は旧三木市役所上の丸庁舎の取り壊しで、このあと発掘調査を行うという。美術館の隣に朽ちかけた堀光美術館の別館がある。この建物は元は1932年に建てられた三木高等女学校の校舎。これも2021年度に撤去の予定。上の丸にある保育所も閉園して撤去し、数年後には本来の三木城の遺構が解明され、「三木合戦」がよりリアルにイメージできるようになる。


三木山森林公園に向かう。民家の間に池と細い道がある。通りがかりの人に近道かどうか確認して、三木市役所や文化会館、中央図書館の建物の並ぶ一画を通り抜ける。三木市役所の庁舎は、かつては美嚢川沿いの本町にあったが、1993年にここに新築移転。建物の斬新なデザインは三木城をイメージしているという。
道路をそのまま進むと、視界が開け、左手にスポーツ施設や屋外遊具が配置された三木山総合公園、右手に三木山森林公園の緑の山が広がる。感じのいいイタリアンレストランがポツンと建っている。
「歩いてみたら、思てたより近い。このレストランは、以前、家内とよく来た」
「4月下旬は新緑の季節。ハイキング気分で皆さん一緒に歩きましょ。歩きながらいい句が浮かぶかも。今度の句会は『新緑の播州三木句会』ですね」
五月には萌える新緑寒雀
目的地のレストランや句会場の会議室のある「森の文化館」は三木山森林公園の南の端にある。このあたり一帯の地名は「福井」というらしい。歩いた距離は2~3kmだったが、久しぶりに森林浴を楽しんだ。


森の文化館に到着。
兵庫県立三木山森林公園は、面積80haの広大な森林公園。1993年に開園。2015年には、環境省が全国500か所を選定した生物多様性保全上重要な里地里山(重要里地里山)に、ここも指定された。


受付で係の人を呼び、句会場に予約した会議室を案内してもらう。窓いっぱいに外の景色が広がっている。新緑の頃なら、気持ちよく句会ができそうだ。
一風さん、係の人にダメ元で聞いてみる。
「ここで尺八を吹いてもいいですか」
「楽器の演奏はできません。音楽ホールが別にあります」
と、そっけない返事。
「タクシーは呼べますか」
「公衆電話の所にタクシー会社の掲示があります。ご自分で呼んでください」
と、またそっけない。タクシー会社に電話すると、神戸電鉄「三木駅」までは10分、料金は1000円ほどだという。
「当日は午後5時にこの前にきてもらうよう連絡して、全員タクシーで移動しよ」


冬ぬくし地産地消のバイキング
そろそろ、お昼。
「試食を兼ねて、レストランで昼食にしましょか」
レストランは広くてガラス張りで周りの緑の風景に溶け込み開放的。この日は平日だが子供から高齢者まで訪れていて、席がかなり埋まっている。シニアを証明する健康保険証を提示すると割安料金。メニューは和風バイキング(ビュッフェ)のみだが、選べる料理の種類は多くてなかなか充実している。
地元で採れる里芋、蓮根、牛蒡、きのこなどの煮物や天ぷら、鹿肉の汁物やちらし寿司、茶わん蒸しなど、わらび餅やぜんざい、アイスクリームなどのデザートや食後のコーヒーもいろいろ種類がある。
よく歩いてお腹もすかしておいたので、大満足。
「値段の割に豪華で美味しい。これでビールがあれば充分満足してもらえるで」
10数人囲める席を確保してもらうことで、当日の昼の12時で係の人に予約をした。


白球を追ってゆきたい枯野原
昼食を終えて、屋外に出た。芝生は一面枯れ、樹々は葉を落としているが、はるか先まで視界が開けていてゴルフコースにいるようである。歩くのが好きな人にはたまらないだろう。池を越えて林の中に踏み込むと、野外イベントや音楽会のできる広場もある。子供と一緒に木工作品が作れるクラフト館や茶室、美術館、展望台、バーベキュー場もあって、豊かな自然の中で1日たっぷり遊べる。
「今日は時間もあるし、これから三木駅まで歩こか」
晴天だった空は雲が出てきたが、三木山森林公園を出て、歩いてきた道を再び引き返し、神戸電鉄「三木駅」まで歩くことにした。


春隣昭和の町をそぞろ行く
三木城跡まで戻り、長治らの首塚のある雲龍寺などを見て、麓に降りると、「ナメラ商店街」があるので覗いてみる。どの店も古い建物である。洋品店や呉服店などがあるが人通りは少ない。市役所が美嚢川河畔の本町にあった頃は、この商店街も賑わっただろうが、生活スタイルが変わった現在の三木では、郊外の大型ショッピングセンターや飲食店で、買い物も食事も済ませてしまうだろう。
三木の特産品や土産物がないか見てみたが、どうも無さそう。「長治せんべい」は175号線沿いの「道の駅みき」で売られているらしい。商店街のカーブを見ていると、ふと、映画「ALWAYS・三丁目の夕日」で茶川竜之介が淳之介を全力で追いかける姿が浮かんだ。映画は岡山市西大寺の五福通り商店街でロケされた。五福通り商店街のようなモダンな町並ではないが、同じ昭和のにおいがした。
商工会館の隣に国登録有形文化財「旧玉置家住宅」がある。江戸末期に切手会所(現在の銀行)として建てられ、明治時代に増築された。三木の町のかつての繁栄が偲ばれる。
「火曜日は休館。残念やけど今日は閉まってる」
税務署へ冬ざれの道急ぐ人
鴨の群れが浮かんでいる美嚢川の長い橋を渡り、句会解散予定場所の神戸電鉄「三木駅」へ。駅前に大衆居酒屋のような「直らい」の場所はないか探す。店内で食事もできるテイクアウトの軽食屋の人に尋ねると、
「ここは昼間だけの営業です。後ろの建物に夜だけ開けているスナックがありますよ」
と、シャッターの前まで案内してくれた。が、アフターファイブは寂しい町のようだ。確定申告の時期なので、税務署の駐車場に車がひっきりなしに出入りしている。
三木駅で時刻表を見る。粟生方面行は昼間帯は1時間に1~2本だが、夕方の5時台は4本。新開地方面行は昼間帯は1時間に2本だが、夕方の5時台は3本、6時台は4本と、仕事を終えて帰る人に便利なようにダイヤを組んでいる。
1日歩き回ってほぼイメージがつかめたので、下見は終了。一風さんと帰途についた。
駅から東を望むと、真正面に黒々とした城山(釜山)が、でんと座っていた。
上の丸二の丸黒し冬銀河

(追記)
三木市立堀光美術館の「柳本富子の足音」展はかなり先に延びそうですが、新型コロナが終息して開催が決まればぜひ見に行きたいと思います。句会と日程が合えばなおいいのですが。
外出自粛要請の中、買い出しに行く道で見た今年の桜の見事なこと。
こんな句を思い出しました。
大不況桜かってに咲いて散る 弥太郎

                                                                                                                                                       (2020.4 見水記)