『怪獣』を『チ。』で読む。 | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

『怪獣』を『チ。』で読む。

須々木です。

 

音楽でも聴きながら読んでください。

 

 

 

 

 

 

というわけで、

『怪獣』、良いですね!

 

アニメ『チ。―地球の運動について―』の主題歌ですが、サカナクションとして初のアニメ主題歌だそうです。

 

そもそもサカナクションと『チ。』の相性があまりに良すぎるので、これぞまさにマリアージュという感じです。

 

奇跡のコラボに感謝。
 

 

 

はじめて聞いたときから雰囲気的に好みのど真ん中という感じでしたが、このたびしっかり歌詞を見てさらに良いなぁと思ったので、その思いを書き出しておこうと思います。

 

 

すなわち、『怪獣』の歌詞を『チ。』という作品を通して読み解くという試みです。

ただし、勝手な解釈を多分に含んでいるので、そのあたりはご了承ください。

どう読みどう感じるかは人それぞれなので、あくまで僕の読み方を書き出すだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 以下、『チ。―地球の運動について―』のネタバレを遠慮なく含みます ※

 

 

 

 

 

 

 

 

歌詞はこちら。

 

 

 

 

〈怪獣〉とは何だろうか。

そもそもかなり狂気に満ちた作品なので、怪獣にリンクするイメージは多いわけですが。

 

何度でも

何度でも叫ぶ

この暗い夜の怪獣になっても

ここに残しておきたいんだよ

この秘密を

いきなり核心ですね。

むしろ、作品全体をこれだけシンプルに言い表してしまうのが途轍もないです。

 

たとえそれがどれだけ困難であろうと、真理を求め叫び続ける〈怪獣〉。

その結果が、異端とされ冷たい牢屋に放り込まれること、火刑に処されること、肉体が灰になり“無”になることであったとしても。

そして、〈怪獣〉たちは、未来の誰かに向けて箱に秘密を詰めて残していく。

 

だんだん食べる
赤と青の星々
未来から過去

怪獣が食欲を暴走させるように、人間の知的欲求は時として理性を凌駕してしまう。

「赤と青の星々」は空間的な広がり、「未来から過去」は時間的な広がりを、すなわち、この世の全てを感じさせます。

この世の真理などというものは、途方もなく巨大で、空間的にも時間的にも果てなどなく、それを理解しようというのはある意味で狂気。

でも、暴走した食欲=知的欲求は、止まることを受け入れない。

そう捉えると、作品冒頭に対応している気もしますね。

 

順々に食べる
何十回も噛み潰し
溶けたなら飲もう

真理に迫る道程というのは、実際のところ、凄く地味な営みの積み重ね。

しかし、それでもまず丁寧に嚙み潰さなくてはいけない。

と同時に、真理を追い求めた者たちの末路、すなわち、残虐な拷問により噛み潰される様も連想させます。

 

淡々と知る
知ればまた溢れ落ちる
昨日までの本当

真理を求め近づくと、昨日までの本当=これまでの真理は溢れ落ちてしまう。

あらゆる犠牲を払って近づこうとしているその真理も、いずれ溢れ落ちてしまうかもしれない。

しかし、溢れ落ちるものはそれだけではない。

真理に近づき何かを知れば、新たな命が溢れ落ちる。

 

順々と知る
何十螺旋の知恵の輪
解けるまで行こう

「何十螺旋の知恵の輪」というフレーズは良いですね。

人間の脳味噌を苦しめつつ魅了する知恵の輪と、天体の軌道が複雑に絡み合う天動説のイメージが見事に重なって言い表されています。

そして、その絡み合う天動説をほどいて地動説に至ることを目指すわけです。

 

「螺旋」なので、ただ同じ場所をめぐる繰り返しではなく、徐々に高みに上っていきます。

過去が積み重なり、繰り返しながらも「天」に近づいていく。

 

丘の上で星を見ると感じるこの寂しさも
朝焼けで手が染まる頃にはもう忘れてるんだ

天体を扱う作品なので、人里離れた丘の上から星空を見上げる場面は、印象的なものとして何度も登場してきます。

見上げたときの感情も様々ですが、感動と寂しさを合わせ持った瞳の描写は特徴的です。

そして、朝になればまた星は消えていく。

朝焼けのイメージは火刑の炎とも被ります。

火刑に処され、その人の生命が尽きるのは、朝になり星が消えていくイメージです。

しかし、星は必ずまた空に現れ、真理を探究する者もまた必ず現れます。

 

ところで、この曲には「寂しさ」と「淋しさ」が登場します。

「寂しさ」は、「人や物事の存在がなくなり、その空間や時間が空しく感じられる状態」(物理的さびしさ)。

「淋しさ」は、「人間関係における孤独感や、人々のつながりが希薄である状態」(心理的さびしさ)。

 

この世界は好都合に未完成
だから知りたいんだ

まさに完璧なフレーズです。

全能なる存在が、人間が食いつかずにいられないものとして作り上げたかのような世界。

人間が魅了される条件をあまりに都合よく含み、けっして完成しない真理の大系。

人間はそれを追いかけることを抑えられない。

 

でも怪獣みたいに遠く遠く叫んでも
また消えてしまうんだ

消えてしまうのは、夜空の星だったり、真理の核心に繋がる何かだったり、真理に迫りつつある誰かの命運だったりするのでしょう。

 

だからきっと
何度でも見る

 

この暗い夜の空を
何千回も
君に話しておきたいんだよ
この知識を

勝手に妄想して、自分の頭の中に押しとどめておけば、ある意味で何の問題もないはず。

でも、それはできない。

それはきっと、自らの命が、世界とか宇宙とか真理なんてものと比べれば、本当にあっという間に消えてしまう儚いものだと悟ってしまったから。

だから、君に話しておきたいんだろう。

何かを残しておきたいんだろう。

それは「知識」だけど、同時に遺言なのかもしれない。

 

淡々と散る
散ればまた次の実
花びらは過去

真理を追い求めた者たちは、その死に際して、無駄に喚き散らすこともなければ、無駄にドラマチックなことをするわけでもない。

淡々と散って、過去になっていく。

きっと、何かをやり遂げたと分かっているから。

そして、実は何一つ終わっていないことを知っているから。

次の実から芽吹き、終わることはないから。

 

単純に生きる
懐柔された土と木
ひそひそと咲こう

「怪獣」と読みを被らせているだけと言ったらそれまでですが、「懐柔された土と木」というのは面白い表現です。

その時代、その社会を染め上げる何らかの思想。

土や木がその思想に懐柔され、支配され、染まってしまったとしても、その木から、ひそひそと花は咲く。

できるだけ擬態しようとしつつ、実際には懐柔されていない花が。

そして、その花だけが、次代に何かを伝える実をなすことができる。

 

点と線の延長線上を辿るこの淋しさも
暗がりで目が慣れる頃にはもう忘れてるんだ

薄暗いところで星を結んだり、その線を延ばしたりしていく作業。

それは、真理を追い求める人々を線で結び、その延長線上に見出そうとする営みに似ている。

その過程で数えきれないほどの代償を払い、淋しい喪失を重ねていく。

 

しかし、「いまを生きる人たち」は、もう忘れてしまっている。

そこにどれだけの淋しい喪失があったのかを。

一切の代償は必要なく、ごく当たり前の常識として、我々はその知識を与えられている。

我々の周りに溢れる知識が見出された道程に対し、我々は驚くほど無知なんだ。

 

この世界は好都合に未完成
僕は知りたいんだ

「だから知りたいんだ」ではなく「僕は知りたいんだ」。

より強く意識される自己=主観。

誰かが知りたがっていた真理を、いつの間にか、僕が知りたくなっている。

能動的に真理を探究する歩みが始まる。

 

だから怪獣みたいに遠くへ遠くへ叫んで
ただ消えていくんだ

「叫んでも」と「叫んで」の違い。

たった一文字の違いだけど、この一文字の違いが大きい。

こういうのがいいです。

叫んでもまた消えるのではなく、叫んでただ消えていく。

 

でも

 

この未来は好都合に光ってる
だから進むんだ

 

今何光年も遠く 遠く 遠く叫んで
また怪獣になるんだ

「この世は、最低と言うには魅力的すぎる」――だからこそ、またのちの時代に、この世界の美しさに魅了され、続きを進んでくれる誰かが現れると信じられるのかもしれない。

だから、誰も未来を悲観したりしない。

未来を悲観しないから、誰かが続けてくれるから、どこかの誰かのように、また〈怪獣〉になれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

sho