800年の時を超える祈りの物語 ~ アニメ「平家物語」見ました。 | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

800年の時を超える祈りの物語 ~ アニメ「平家物語」見ました。

須々木です。


2022年1~3月に放送されたテレビアニメ「平家物語」を見ました。
(2021年9月よりFODで先行配信)





制作はサイエンスSARU。

テレビアニメの制作は「映像研には手を出すな!」に続き2作目です。


※過去ブログ ⇒ アニメ「映像研には手を出すな!」、良いな。 (2021-09-30 by sho)








※※ 以下、核心的ネタバレあり ※※








全11話。

短い尺でありながら、圧巻の完成度で駆け抜けました。

そんな本作について、あれこれ感じたことを書き残していこうと思います。

調べが足りないところや独自解釈などあるので、その点はご了承を。

 

 

 

平家物語。

しっかり読んだことはありませんが、それでもあの序文はあまりに有名です。

数百年を経てもまったく色褪せない圧倒的存在感。

数百年経ても劣化しないというのは、まさに普遍性の証明という気がします。

なお、同じく無常観を伝える「方丈記」の序文もとても有名でカッコ良いです。

アニメ第1話、冒頭。
平清盛が家紋として使用していた「揚羽蝶」のゆったりとした羽ばたき。

沙羅双樹とも言われるナツツバキの白い花。
非常に暗示的な導入部から、本来の「平家物語」にはないパートが描かれ、本来の「平家物語」のはじまりである「祇園精舎の鐘の声」の語りへ。

テレビアニメ「平家物語」は、日本人であれば誰でもその結末を知っている「平家物語」を題材としつつ、人間ドラマに重きを置いた構成になっているところが特徴です。

結末が分かっているからこそ、そこに至る過程を丁寧に描くことが重要とも言えそうです。

 

登場人物の人間性を丁寧に描くことで、叙事から抒情になり、作品はより主観的なものになる気がします。

しかし、むしろそれが現代に通ずる新たな普遍性を生んでいるように感じます。

普遍性を見出そうとする過程では、客観的な情報に還元することが普通だと思いますが、本作は逆のアプローチでそれを成し遂げている点が興味深いです。

すなわち、「平家にあらずんば人にあらず」ではなく「平家も“ただの人”だった」という反転こそが本作の軸なのではないかと感じました。

結局、“ただの人”だったからこそ、驕った末に滅び、その過程で人間らしく嘆き儚んだと。

 

この点は、オープニングアニメーションにも反映されています。

そこで描かれる様子は「軍記物」というより「日常系」。

高慢な者たちの栄枯盛衰ではなく、ごく普通の人たちが平和な日々を楽しんでいます。

 

日本人の精神性に深く根差す「無常観」。

どこか超然とした印象を与えるこの価値観に、「祈り」という非常にパーソナルなキーワードを添えて、より身近に感じられる群像劇にまとめあげた本作は、最初から最後まで非常に上質なものでした。




どのキャラクターも憎むことができないというのは本作の大きな特徴でしょう。

諸悪の根源と言えそうな平清盛ですら、どこか憎めない魅力的なキャラクターとして描かれています。

 

また、どのキャラクターもヒーローにならないというのも特徴です。

現代人が「源平」という安易な二項対立でとらえる平安末期を、実際はそんな単純なものなどではないというふうに描いています。
これは、あらゆる場面で二極化が深刻なレベルに至っている現代にこそ示すべき価値観。

はびこるレッテル貼りによる単純化への警鐘(または祈り)と感じます。

「平家物語」における複雑な人間関係を丁寧に読み解き、一人一人を「人間」にしていった手間の末にこの強いメッセージ性が立ち現れているのだと思います。

これは言うほど簡単な作業ではないはずです。

なぜなら、作品においてキャラクターはどうしても記号的にならざるを得ないからです。

これは、まさに「レッテルによる単純化」です。

記号的というのは、「レッテルを貼る」というのとそう遠い概念ではありません。

だから、現実におけるレッテル貼り(度を超えれば「差別」)の文脈が、ポリコレとしてフィクションへ影響したりするのでしょう。

実際、現実のレッテル貼りに敏感な人は、フィクションに対してもポリコレを求める傾向が強いように感じます。

本作でも記号的なキャラ表現というのはいくらでもありますが、深みのある心情描写を重ねていくことで、アニメ表現との間の難しい両立を見事に成し遂げており、この点が本作の素晴らしさに繋がっていると思います。

この意味においてテレビアニメ「平家物語」は、成立した鎌倉時代における「平家物語」の単純なアニメ化ではなく、令和時代にふさわしい補正を加えた「平家物語」と言えるでしょう。

本作は改めて言うまでもなく、現代の価値観、現代の視聴者を前提として構築されています。

「なぜ今更、平家物語?」という問いに真摯に向き合い、いま新たに語るべき「平家物語」となったわけです。

(多少の補正を加えただけで800年のギャップを超えられる「平家物語」自体の力も凄いが)



主人公「びわ」について。

本作の大きな特徴は、原作にいない「びわ」というキャラクターを主人公に据えている点です。

アニメ性を担保し、現代を生きる視聴者の視点に寄り添う役割を担っています。

一方で、冷静にとらえ直すとかなりミステリアスで、はっきり言えば「超越者」のようにも感じられます。

超常の目を持つことはさることながら、他の登場人物たちと違い外見上の成長がほぼ見られない点も異様です。

11話のなかで10年以上経過する作品であり、実際、他の若いキャラクターたちはその後の登場時に外見的に成長しています。
第5話冒頭で、重盛の目を受け継いだかのように目の色が変わったびわに対し、資盛が「お前もしかして、物の怪じゃ。体だって大きくなんないし」と言っているので、作画の都合ではないようです。

時々挿入される、琵琶を弾く白髪姿は明らかに「びわ」ですが、ストーリー上は一切登場せず、背景情報も与えられません。

あくまで勝手な推測ではありますが、「びわ」は「八百比丘尼」なのかなと思います。

八百比丘尼は「白比丘尼」とも言われますし、白のイメージとは繋がります。

また、びわの母と関連のある越後や丹後にも八百比丘尼の伝説が残ります。

その名の通り800歳まで生きたという伝説も残ります。

そして、そもそも「平家物語」で語られる内容は今から800年余り昔の話です。

びわが八百比丘尼として悠久の時を生き「平家物語」を語り継いだと考えても筋が通ります。

 

一方で、時間の流れにとらわれず我々に語り掛けているということを考えれば、時を超えて伝わる「平家物語」という物語そのものの擬人化と捉えることもできる気がします。

我々は「平家物語」が現代に伝わったからこそ、知ることができます。

その伝える役割を担っているのが「びわ」(琵琶法師=語り継ぐもの)です。


 

「びわ」とともに、作中において異様さを感じたのが第6話より登場の「白猫」です。

最終話まで見ても、少なくともストーリー上の意味を持っていないように思うこの白猫ですが、単なるマスコットとは思えない描かれ方をしています。

純白の動物ということで、やはり「神」に近しい存在なのでしょうか。

そして、その両目は、びわの右目(未来を見る)と同じ「浅葱色」をしています。

ということは、「未来を見る猫」なのでしょうか。

顔つきもどこか白髪姿のびわに似た印象を受けます(特に「眉」は本編のびわより白猫に近い)。

本作で目の色は重要な意味を持つので、浅葱色の目を持った猫を何の考えもなしに登場させるとは到底思えません。

というか、そもそも「びわ」の本名が「あさぎ」ですし。

さらに突っ込んで言えば、「びわ」+「白猫」=「白いびわ」という気もします。

この構図は、すでに「初期びわ」+「重盛」=「びわ」という形で描かれているので、突拍子もないものではありません。

びわは重盛を取り込むことで平氏と無関係ではいられなくなったのと同様、白猫(神の使い?)を取り込むことで、平家物語を後世に伝える「白いびわ」(八百比丘尼?)となったのではないでしょうか。

(つまり、歳をとって白髪になったわけではないのかもしれない)

目に関する描写でもう一つ印象的だったのが、最終話、壇ノ浦の戦いの決着の場面です。

徳子を海から引きあげてのち、入水していく平氏たちを眺める「びわ」の両目はすでに色を変えています。

おそらく見るべきものを見届けて盲目(琵琶法師=あとは語り継ぐのみ)になっているのでしょう。

(このタイミングは、平家断絶で終わる「十二巻本」に対応していると思われる)

 

 

 

主人公びわと白猫以外、基本的に本家の平家物語を踏襲しているアニメ「平家物語」ですが、実はもう一つ(たぶん)オリジナル部分があります。
それは、本来の平家物語では死ぬはずの資盛が生き延びているというものです。

実際、奄美群島に逃げ延びたという伝説があるそうですが、件のシーンでハイビスカス(ブッソウゲ)と思われる花が描かれているので、この伝説をモデルにしているのでしょう。

 

この短い「原作改変」シーンは、実は結構深い意図が込められているように感じます。

それは、作中で何度も強調された「未来は見えても決して変えることはできない」という大原則に反するものだからです。

「未来」は「本来の平家物語」のはずです。

しかし、そこに介入したびわの行動の末に、滅びゆく定めを負う平氏の一人資盛が命を繋ぐことになったわけです。

「未来は変えがたいかもしれないが、変える余地はある」という希望のメッセージのように感じます。

「800年の時を超える祈りの物語」。

盛者必衰の理、無常観を乗り越えていくための「祈り」というメッセージ。

800年の重みを繊細に読み解き生まれた、素晴らしい作品でした。




余談ですが、テレビアニメ「平家物語」の制作と同じサイエンスSARUによる長編アニメーション作品「犬王」(湯浅政明監督)が2022年公開予定です。

原作はこれまたテレビアニメ「平家物語」の原作と同じ古川日出男「平家物語 犬王の巻」です。

直接的に続くことはないと思いますが、何か仕掛けくらいはあるのでしょうか。

興味を惹かれるところです。




sho