ショーン・タンの世界展-どこでもないどこかへ | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

ショーン・タンの世界展-どこでもないどこかへ

どうも遊木です。

灼熱の日々も過ぎ、だんだん創作向きの季節になってきましたね。

 

実はそこそこ活発に活動しているのですが、すぐに公表できるものがなく、若干冬眠気味に思われている気がします。

ちなみに毎週ひとつふたつ、妙に期間が集中して開催される各展覧会にも行っているので、それなりにアクティブでもあります。

どの展覧会も、コロナ対策の関係で人数制限をしていますが、その影響でいつもよりストレスがない状態で作品を見られるのが、なんとも皮肉というかごにょごにょ

 

というわけで、最近見に行った中で興味深い展覧会があったので、今回はそれをご紹介。

 

そごう美術館で開催中の『ショーン・タンの世界展 どこでもないどこかへ』(~10/18まで)です。

近くに横浜美術館という立派な美術館があるので、差別化を図るためか、そごう美術館は前々からザ・美術というものからは少し外れた展覧会を開くイメージがあります。

例えばアーティストとして王道であるダ・ヴィンチを扱うときも、作品そのものではなく、彼の開発者としての顔に注目し企画を練ったりしていました。

そして、それらの企画展が結構刺さるんですよね。私に。ありがたいこっちゃ。

 

前置きはここまで。以下企画展の感想です。

 

 

 

ショーン・タンの世界展 どこでもないどこかへ

 

 

ショーン・タンはオーストラリア出身、絵本制作を中心に幅広い創作活動をするアーティストです。

私自身は「あれ、この作品見たことあるな?」程度にしか知らない作家でしたが、今回の展覧会ですっかり虜となりました。

妙に日本人に刺さるというか、親近感を覚える作品が多いなぁと感じましたが、作者曰く、出身のオーストラリアは多文化主義で、特に作者のいた西オーストラリアはかつて日本人が真珠産業のために移住し、現在もその名残が街にあるようです。また、手塚治虫や宮崎駿、村上春樹の影響も受けているとのことで、なるほど、この親近感は日本を代表する巨匠や歴史の影響故なのだな、と。

 

数点作品を見ただけでひしひしと感じるのが、作者の真面目さと誠実さです。

尖った拘りを感じるアーティストは沢山いますが、ここまで丁寧に、そして誠実に何かを表現しようとする気持ちが伝わってくる作風はなかなかないと感じました。

油絵も鉛筆画も柔らかいタッチで、それが作者の表現する、優しさや少しの切なさを孕んだ物語と非常にマッチしています。

一見突飛な世界観や登場キャラクターであっても、共感できる感情の流れや、嫌味がない風刺的な表現は、鑑賞者に寄り添った作品作りを思わせます。

 

例えば、移民を題材に制作された『アライバル』では、言葉が一切使われていません。

文字表現のないまま物語は進み、しかし、登場キャラクターがそのとき何を考え、何に驚いたのか、しっかりと伝わってきます。ともすれば重いテーマになりがちな移民問題を、必要な重さは残しつつも、主人公が人として当たり前に感じる切なさや驚き、喜び、未知との遭遇、それらが胸にストンと降りてくるような表現でまとめられ、緻密な描写で制作されています。

 

また、会場で放映されていた『ロスト・シング』(15分程度の短編アニメ映画)は、未知の生物の迷子をあるべき場所に帰してあげるという、単純なストーリーでありながらも、現代、現実を生きる我々の感情を揺さぶる要素が沢山散りばめられていました。

そもそも未知の生物を認識できない人々、邪魔者扱いする主人公の家族、ガラクタ管理局のほの暗い闇、そして迷子を帰したのち、時間の経過とともに“彼ら”を認識できなくなっている主人公の、無常に対する寂しさと少しの諦め。

ファンタジーな設定、世界観でありながらも、作中に在るものはどれも現実の私たちが日常の中で、存在を認識しつつも見ないふりをしている沢山のものです。

しかし、迷子と主人公の別れ際、手を振ってもとある場所に帰っていくシーンは、寂しさだけでなく、不思議と優しい気持ちにもなれる。それがショーン・タンの人柄を表しているようにも感じました。

 

 

 

 

 

造形については好みの問題もあるでしょうが、私の場合はストライクでした。

「うわー…こういうの考えたことあるぅ」みたいな気持ちにさせます。滲みでいているスチームパンク感も良いです。

そして個人的な話ですし、恐れ多いですが、『ロスト・シング』の油絵の塗り方、『アライバル』の鉛筆画の雰囲気がすごく自分のタッチと似ていたのも、親近感を覚えた理由かもしれません。

ショーン・タンは物語によって描き方も使い分けており、そもそも非常に画力が高い作家ですが、その中に自分と近い描き方があったことがちょっと嬉しく感じました。

私の場合は選んでその画風にしたというよりは、とびぬけた色彩感覚や独自の画法を見つけられなかっただけで、とにかく空白を塗りつぶすためにひたすら筆を動かしていた、という感じですが……。

会場に展示されていた作者の言葉で、「インスピレーションが突然降ってくることなどない。筆をとにかく動かし、その中から見つけるのだ」というニュアンスの言葉があり、あぁ、自分がやっていたことは非凡な方法ではなかったかもしれないけど、間違っていたわけでもなかったんだなぁと。

 

画集も良いですが、やはり生の作品を見ることをお勧めします。特に油絵はその厚みや表面の質感によって、全然絵から伝わってくるエネルギーが違います。

 

デジタルツール、オンラインサービスが活発になってきている現在、皮肉にもコロナ禍によって、生で見ること、実際に体験すること、直接会えることの重さやありがたさを見直している人も多いのではないでしょうか。

テレワークなど、「別にこの先もオンライン中心で良いのでは?」と感じるものも多々ありますが、便利さや合理的なシステムが発展しつつも、“なまのもの”が押しつぶされず、共存できる社会であれば良いと思います。

 

 

 

aki