ようやく「鬼滅の刃」を読んだぞ!
どうも遊木です。
太陽に恐怖を覚える今日この頃です。
さて、今更も今更の話ですが、先日3日間ぐらいかけてようやく『鬼滅の刃』の漫画&アニメを一気見しました。
実は一巻か二巻あたりがジャンプで連載されていた頃、ちょっとだけ読んでいた記憶があるのですが、しばらく見ない間に人気になってしまい、しかももうすぐ最終回じゃね?的な雰囲気だったので……もうこれは終わるまで見るのは待とうと、ずるずるここまで来たわけです。(そう決めてから最終回までそこそこありましたが)
というわけで、ちょっろっと感想でも書こうと思います。
そんなにネタバレはないと思いますが、未読の人は注意。
個人的には、『進撃の巨人』ほどのインパクトはありませんでした。
進撃の場合は、アニメを数話見たら我慢できなくなって、翌朝、アニメイトへ開店と同時に乗り込み、既刊を全部買ってその日のうちに読破しましたが、鬼滅にはそこまでの吸引力は感じなかったです。
一方で、読み返して味が出てくるのは鬼滅かなと思いました。目的も設定も、特に目新しい要素があるわけではないし、進撃のように読者の裏をかくような展開があるわけでもない。それでもこれだけ人気になったのは、ひとえに炭治郎のキャラ性と、作中での優しさや絆の表現がとても丁寧に描かれていることが関係しているのかなぁと思いました。そして、その表現は何度か読み返すうちに良さが増していく気がします。
炭治郎は、一見Dグレの初期アレンに近いようなキャラに見えなくもないです。が、実際は結構違いますよね。
アレンは最初からアクマを救ってあげたいという気持ちで戦いますが、炭治郎は戦闘中は本当に鬼を殺してやろうと思っているわけです。そこに不純物はない。それでも、死にゆく鬼から悲しみの臭いをかぎ取ったら、自分も悲しくなってしまう。その等身大の優しさが炭治郎の魅力の気がしました。
アレンの優しさは、見方によっては上から目線、傲慢とも取れる部類のものです。一方で炭治郎の優しさからは、一切の同情を感じない。鬼の悲しみはその鬼のもので、別に同調したり強い共感を覚えているわけでもない、でも、目の前に悲しんでいる人がいたら自分も悲しくなってしまう、みたいな。
アレンの優しさを、スキのある脆い優しさとするなら、炭治郎の優しさはスキがなく、硬くて強い優しさのイメージです。
“優しい性質のキャラ”なんて古今東西腐るほどいますが、その中でも炭治郎ほどスキのない優しさを持つキャラはなかなかいない気がします。どんなに筋が通っているように見えても、優しいキャラというものには必ずスキがあって、敵キャラはそこに漬け込むというのが定石です。るろ剣がわかりやすいですよね。言わずもがな剣心は優しいキャラですが、その優しさは結構脆く、志々雄にはそれを否定されたわけです。多分和月先生も思うところがあり、志々雄編を「志々雄は倒したが、時代は結局富国強兵へと進んでいく―――」という、シビアな終わらせ方にしたんだと思います。
あとは、禰豆子の魅力も強いですよね。ヒロインのわりにそんなに画面上に出てこないのですが、出演ポイントはしっかり押さえているし、ヒロイン兼マスコット兼一種の最強キャラでもある。そして普通にかわいい。
あと、鬼滅人気に火をつけたと思われるアニメですが、普通にクオリティが高い。絵、音楽、演出、どれもUfotableの本気を感じます。進撃のアニメもそこそこクオリティが高かったし、立体起動の動きはやっぱりアニメの方が映えていたけど、鬼滅のアニメはそれを上回って、原作を食ってる勢いです。すごい。
余談ですが、海外の方が日本のアニメを見てるときの反応が面白い……みたいなコンテンツがYouTubeに上がっているのですが、最近、それの鬼滅verを見て、ちょっと心がほっこりしました。
海外の方ってめっちゃ素直に褒めてくれたり驚いたりしてくれますよね。リアクションはわざとオーバーにしている人もいると思いますが、コメントが良いんですよ。「こんな美しいアニメつくりやがって…」とか、作中のキャラが主人公に「期待してますよ」っていうと、「俺もだ」って返したりとか。
日本の作品が褒められていると、こっちもなんだか嬉しくなります。
ジャンプのキーワード「努力」「友情」「勝利」は、最近では受けなくなっていると言われている中で、鬼滅は見事にこの三つで押し切っているわけですが、そういう作品がまだちゃんと人気になることは、物語を創る人間からするとちょっと救いになる気がします。
aki