「バンクシー展」に行ってきました。
須々木です。
梅雨明けらしい天気で、ようやく夏本番という気分です。
コロナと熱中症に気をつけていざ行かん。
というわけで、「バンクシー展 天才か反逆者か」に行ってきました。
久しぶりの展覧会鑑賞です。
場所は、横浜駅みなみ東口直結「アソビル」です。
近くて最高です。
「バンクシー展」とは?
以下、公式サイトより拝借。
2018年からモスクワ、サンクトペテルブルク、マドリード、リスボン、香港の世界5都市を巡回し、100万人以上の人々を熱狂させた展覧会が日本にやってくる!
イギリスを拠点に活動し、世界で最も注目されているアーティストの一人、バンクシーの70点以上の作品が初上陸。
いったい、彼はアーティストなのかビジネスマンなのか、天才なのかそれとも単なる反逆者なのか。
是非ともその目でお確かめください。
という感じです。
そもそも「バンクシー」が初耳という人は、ググってください。
ざっくり言えば、イギリスを拠点に活動する正体不明のアーティストです。
発表手法は多岐にわたりますが、ストリートでゲリラ的にグラフィティアートを残すやり方がよく知られます。
日本でも、ここ数年で徐々に報じられる機会が増えてきたように思います。
2018年10月に代表作《風船と少女》がオークションで落札された直後、額縁に仕掛けてあったシュレッダーで裁断された事件は、結構記事になっていた気がします(直後に本人が犯行声明的な動画を公開)。
また、2019年1月、都内で見つかったバンクシーのものっぽい作品について小池都知事がツイートしたのも話題になったりしました。
壁面などに描くグラフィティは、無許可なので当然、違法性に問われる恐れがあります。
よって、本人が身分を明かして表に出てくることはありません。
また、作品も、塗りつぶされるなどして、長く残らないことが普通です(単なるイタズラ、単なる落描きと言われればそれまで)。
正体不明のアーティストによる、神出鬼没の作品。
そして、肝心の作品は、時として痛烈なメッセージと問題提起を投げかける。
そんなバンクシーの作品や活動の記録を可能な限りかき集めて開かれているのが、今回の「バンクシー展」です。
ただし、バンクシー公認ではありません。
展覧会自体は、バンクシー本人が関与しているものではなく、バンクシーの合意なしに企画・運営されているものだそうです。
※合意なしの展覧会は、バンクシーによる公式サイトにてさらされています。
撮影OKだったので、適当に写真を貼っておきます。
それぞれの作品は、発表された場所や状況など、周辺情報込みではじめて意味をなすものが多いので、興味のあるものは適当に調べてください。
アプリ(音声ガイド)の解説がかなり充実しているので、興味があればあわせてどうぞ。
展覧会に入ってすぐ。正体不明のアーティストなので、写真や映像をもとに再現したイメージ図みたいなやつ。
《ケイト・モス》
《トロリーズ》
《バーコード》
《キリスト・ウィズ・ショッピング・バッグズ》
《グリン・リーパー》
《フライング・ショッパー》
《セーブ・オア・デリート》
《ブレグジット》
左 《モンキー・クイーン》 右 《モンキー・パーラメント》
《スマイリー・コッパー/フライング・コッパー》
《スノーティング・コッパー》
《ストップ・アンド・サーチ》
《ワン・ネイション・アンダー・CCTV・フォトグラフ》
《ファミリー・ターゲット》
《マイルド・マイルド・ウェスト》
《ラブ・イズ・イン・ジ・エアー》
《ナパーム弾》
左 《ボム・ラブ》 右 《ハッピー・チョッパーズ》
《ロング・ウォー》
2017年3月にバンクシーがオープンした「ウォールド・オフ・ホテル」の再現。ホテルは、パレスチナ自治区内の隔離壁のすぐ隣にある。
2015年8月から9月にかけて5週間限定でイギリスにて開催されたバンクシープロデュースのテーマパーク「ディズマランド」より。
左 《ベルサイズ・パーク・ラット・フォトグラフ》 右《ファリントン・ラット・フォトグラフ》
《ノー・ボール・ゲームズ》
《ガール・ウィズ・バルーン》
以下、思ったことなどをつらつらと。
ちょっとしたメモ書きレベルですが。
格調高い美術館ではなく、アソビルで開催したのは、なかなかマッチしていたように感じました。
アソビルは、横浜中央郵便局の別館をリノベーションした複合型体験エンターテインメント施設で、できるだけ費用を抑えているので、あちこちにかつての趣が残っています。
そのため、全体としてどこか雑然とした雰囲気がありますが、その小奇麗じゃない感じは、今回の展覧会の場所として適したものだったと感じました。
バンクシーの活動の系譜を、できるだけ中立的な立場からに俯瞰する姿勢は良かったと思います。
展覧会タイトルに「GENIUS OR VANDAL?(天才か反逆者か)」とついているとおり、様々な意見を変に統一することなく、思考の材料だけ与え、どちらと言わず問いを投げかけるだけのやり方は妥当と感じました。
バンクシーの活動を見ていると、欧米的なものを鋭く批判する様子が印象的ですが、日本人から見ると、そもそも、その批判の手法自体が非常に欧米的な印象を与える点は興味深いです。
バンクシーは、清く正しいわけでもないけれど、その裏で正体を隠し世の巨悪と対峙する「ハリウッド的ヒーロー像」のようなところも感じさせます。
少なくとも、欧米で彼に対し熱狂している人のうち、一定数がそんな感じに捉えている気がします。
バンクシーの活動の本質は、メッセージにあると思います。
その中の一つ、「世界をよりよい場所にしたいと望んでいる人間ほど危険なものはない」は、別の文脈の中に嵌めても強さをもつメッセージだと思いました。
SNSのログイン画面に強制的に表示したいレベル。
広い意味で、現代の創作活動のいろいろな場面で、バンクシーの活動やそれに対する社会の応答と似た構図を多く感じます。
すなわち、局所的に見て誉められたものではない表現や手法だけど、それ自体は誰かに求められ、誰かに響き、誰かを救い、誰かを動かす。
例えば、漫画などの作品で描かれる行為は、法に反するものがいくらでもあるし、いかにカッコ良く必殺技を叫ぼうと単なる暴力的解決だったりするわけです。
しかし、それらは「正しさ」の名のもとに一掃されるべきなのか。
バンクシーが批判する欧米的価値観は、欧米が頑張って守っている「表現の自由」という整備された庭園の中だからこそ成立するという気もします。
敢えて批判的に言うなら、ある種の茶番劇のような滑稽さは感じられるかもしれない。
経済的に独立していない子供が親に対して向ける反抗のような感じもあります。
別に、それが良いか悪いのかという話ではなく。
小池都知事が以前「東京への贈り物かも?」とツイートしていましたが、このような立場の人は、「バンクシー」との間の距離感に注意した方が良い気はします。
秩序を守る責任をそれなりに持っている人は、安易に肯定してはいけないという気はします。
逆に、分かってやっているなら、バンクシーに対しての皮肉になりそうですが。
「バンクシー」というアーティストでありムーブメントを、一つのパッケージとして評価するというのは、良くないと感じます。
「バンクシー」が持つ、様々な側面について、個別に議論し、思考し、評価するべきだと感じます。
近年、グローバルな種々の問題で、同様の思考の罠が目立つようになっていると思います。
ハッキリとしていて分かりやすい意見は、SNSをはじめとする情報の流れに乗りやすく、極端な言い方はバズりやすい。
しかし、本来の多面性を忘れれば本質からズレた、議論のための議論に陥りやすいと。
「バンクシー」について知っていくと、前のめりで称賛する気にはならないし、有無を言わさず拒絶するのもどうかと思う、そんな絶妙な距離感で楽しみたいタイプの人物だと感じました。
アーティストというよりは、思想家という印象。
あと、商業主義を痛烈に批判するバンクシーの作品展を、本人の許可も得ず商業的にやってしまう展覧会の皮肉が興味深いです(しかも、成功を収めている)。
平たく言えば、「バンクシー」というコンテンツは、非常にキャッチャーなのだと。
匿名性の高い誰かが、世界に向けて発信するという流れは、本当に現代的。
現代的に生産され、現代的に消費されている。
作品がもつメッセージ性には、強さとうまさを感じます。
破壊的なほど強くはないし、稀代の天才というほど尖った才能を感じるわけでもない。
どちらかと言えば、バランス感覚が優れているように感じます(セルフプロデュース能力が高い)。
どの程度の加減だと、「問題提起」を成功させられるか、受け取り手(個人および社会全体)の反応を推測した上でつくられているという印象を受けます。
このバランス感覚は、個人的には、商業的創作の一つの頂点とも言えるハリウッド作品に感じる系統。
逆に、現代的なアートとはかなり距離を感じます。
「バンクシー」というコンテンツの顛末、それに対する社会の応答というのは、一つのモデルケースとして注目に値すると思うし、単純に興味深いです。
今後の展開も静かに眺めていきたいところです。
以上。
9月27日まで開催しているはずなので、興味のある人は是非。
事前予約が必要なのでご注意。
sho