線に“それ”は乗っているか。
どうも遊木です。
1年ぶりぐらいに〆切がない生活を送っているので、お出かけをしたりサークルの雑事を片づけたり、そこそこ有意義な生活を送っております。
7月の頭には、そごう美術館で開催された「水木しげる 魂の漫画展」に行ってきました。
非常に面白く、自分にとってかなりの刺激となる展覧会でした。「魂の漫画展」と言うのも納得できる内容です。
本当にすごいと思いますが、水木先生の原稿からは執念が見えるんですよね。「そこまで描くのか!」とツッコミを入れたくなるほど、線と点を積み重ねて、極限まで物の細部を表現している。妖怪を愛し、描くことを愛した芸術家の神髄を見た気がします。
そして、水木先生の作品を鑑賞して、やはり自分も「線を描きたい人間」なんだなぁと実感。美しい原稿を見る度に、「そう!これなんだよ!」と謎の納得を感じました。
私が漫画の作画をするとき、何の作業が一番楽しいかと言うと、実はハッチングで物の質感を描き入れてるときなんです。線とかカケアミとかを駆使して「っぽく見せる」ことに成功した瞬間が、一番の快感です。
たとえば、去年制作した「黒い塔」は商業も何も意識しない自由創作だったので、ここぞとばかりに沢山線を描き入れて、好き勝手に制作しました。(商業にアプローチする場合は、人物を簡略化するなどどうしても“見やすさ”を意識しなくてはいけない)
私は漫画制作の際、基本的には作画よりネームまでの下準備の方が楽しい人間なのですが、この作品は作画が非常に楽しかったことを覚えています。
ふと、自分がなんでこの描き方になったのか思い返してみたのですが、おそらく、高校のときに習っていた絵画教室が影響しているんだと思います。ちなみに私は、普段は地元の教室に通い、長期休暇の時だけ予備校の講習を受けていました。
経験者の方はわかると思いますが、絵の勉強は基本デッサン、デッサン、そしてデッサン、時々着彩です。デッサンといえば大体木炭か鉛筆を使いますが、私も例にもれず鉛筆を使っていました。 そして、デッサンで陰影をつける際、多くの場合は布なのでこすって“ぼかし”をつくり、質感を出していきます。(少なくとも予備校ではそう教えていた)
しかし、私が習っていた先生は布を使うことを認めず、「固いものも、柔らかいものも、すべて線で表現できるようになりなさい」という指導方針だったのです。つまり、陰影、物の質感、それらすべてをハッチングで表現しろ、という方針でした。
先生曰く、「すべてを線で表現できる技術があれば、布を使った方法などすぐにマスターできるが、逆は出来ない」とのことでした。
ということで2年間、私はひたすら線を描き続けたわけです。幸いなことにこの「線での表現」は、漫画制作との相性がとても良かったんですよね。その頃からデッサン以外のお絵かきでも、線を重ねて影を描き入れたり、“質感”を意識するようになった気がします。
デッサンは集中力と忍耐力が必要なので、楽しかったかと聞かれると正直「う~ん」となってしまいますが、初めてハッチングを使って「っぽく見える」ものが描けたときは、なかなかに感動しました。その感覚が、今の私にも根強く残っているのだ思います。
水木先生の展覧会をきっかけに、自分の漫画やそのルーツについて考える機会がもらえました。近いうちにまた、〆切に追われる生活が再開すると思います。しかし、次作の制作では以前より、線を描き入れるときに「この線に自分の積み重ねた経験、そして魂は乗っているか」と考えるようになるかもしれません。
私も水木先生のように、見た人が執念を感じるような作品を残せたらと思います。
aki