『ジュラシック・ワールド/炎の王国』見てきた。 | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

『ジュラシック・ワールド/炎の王国』見てきた。

須々木です。

 

先日、コスタリカのイスラ・ヌブラル島に行ってきました・・・と思ったら、あっという間に渡米する羽目に。

 

 

 

というわけで、「ジュラシック・ワールド/炎の王国」見ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ここより先、遠慮なくネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

毎度のごとく、個人的に感じたことをまとまりなくつらつらと書き散らしていきます。

 

なお、前作「ジュラシック・ワールド」の記事の続きと思って読んでもらえると良いかもしれません。

 

 

 

さて、本作「ジュラシック・ワールド/炎の王国」は、2015年に公開された「ジュラシック・ワールド」から再スタートした3部作の真ん中にあたる作品です。

 

「ジュラシック・パーク」シリーズとしては5作目。

 

圧倒的知名度を誇る不朽の名作を長いブランクを経て繋げていくことはラクなことではないと思いますが、それをうまくやって見せたと言える前作から、さらなる歩みをどう進めるのか?

 

 

 

見終わった直後に取りあえず思ったのは「最初から最後まで、本当に休む暇のない怒濤の展開だったなあ」というもの。

 

「ジュラシック・パーク」シリーズは、パニック映画としての要素は見せ場として盛り込まれる一方で、ほどよく休める場面というのも組み込まれていた気がします。

 

それが今回はほとんどなかった・・・

前作でパークは崩壊しているので、パークを周遊するワクワクパートも勿論ありませんし、島の火山が噴火しているので、最初から切羽詰まった状況です。

 

本作は構図的に「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」(シリーズ2作目)と類似点が多くなっていますが、人の力ではどうしようもないレベルのリミットはなかった点で、本作の方が最初から飛ばし気味です。

 

島に上陸してからは、結局ラストまで突っ走ります。

 

これだけずっと突っ走り続けるというのは結構驚きで、これが本作の最大の特徴と思えました。

 

 

 

 

 

 

で、ここから本題に入っていきます。

 

 

以下、マイナス評価っぽい内容も含みますが、僕自身、純粋におおいに楽しめた映画です。

 

その前提で。

 

 

 

 

この映画、見終わって冷静になって振り返ると、今までで一番、「ジュラシック」じゃなかったという気もしました。

 

こんなにずっと走り回って逃げ回る作品だったっけな?と。

 

特に、島を離れた後、映画の後半部は丸ごと純粋にただのパニック映画だった気もします。

 

そもそも「炎の王国」という日本語副題はどうかと(ちなみに原題は「Jurassic World: Fallen Kingdom」)。

 

後半は「炎の王国」の要素はなく、丸ごと「恐怖の館」ではないか。

 

 


・・・と言いつつ、シリーズの原点を純粋に追求していったら、展開的にはこうなるのかなという気もしました。

 

5作目であり、ネタ的に相当消費してきているし、さらに3部作の間に挟まれた作品という難しい位置づけ。

 

止むを得ないのか・・・。
 

それを考えると、今までがむしろ凄く難しいバランス感覚でやっていたのかもしれないなと。




前作「ジュラシック・ワールド」は、シリーズ第1作「ジュラシック・パーク」のスケールアップ版。

 

そして、今作は、シリーズ第2作「ロスト・ワールド/ジュラシック・ワールド」のスケールアップ版という印象は強く受けました。

 

パーク崩壊後の恐竜が闊歩する島。

その島から恐竜を連れ出そうとする勢力とそれに立ち向かう主人公たち。

実際に連れ出して痛い目にあう人間たち。

 

ただ、今回は、周辺の利害関係がより現代的かつ複雑になってきています。

 

旧シリーズの流れもしっかり汲んだうえで、ネタは最新のものをどんどん取り入れています。

 

なお、旧シリーズは、結果的にシリーズとなっていますが、どの作品も続編制作を前提としていない作品なので、しっかり最後は決着をつけるスッキリ感がありましたが、新3部作は最初から3部作の前提で制作されているので、そこは大きな違いであるように思えます。

 

つくる側としては、伏線を回収しきらなくて良いので、自由度が高くなる気がしますが、かわりに冗長になってしまっている感はありました。

 

3作かけて一つのストーリーを完成させれば良いという状況の難しさとも言えます。

 

 



新三部作は、旧シリーズと違って、「ハイブリッド恐竜」がいます。

 

旧シリーズからのファンとしては、掟破りという感じもありますが、よくよく考えれば、最初の時点から、遺伝子工学で欠損したDNAを現代種で埋めているわけだし、厳密には旧作から恐竜はハイブリッドとも言えます。

 

ただ、旧作が「ありのままの恐竜を忠実に再現するための最小限の干渉」だったのが、新シリーズは「より欲望に忠実な干渉」になっています。

 

より強力な技術を手にした人間、同時に肥大する傲慢な欲望は、旧シリーズの根底にあるテーマを現代によみがえらせるには、必要なピースだったとも言えそうです。


そして、旧作では「ちょっと未来の話」ですんだのが、20年ほど経過し、作品の根底にある科学技術が「ごく日常的な話」になってしまっている点も見逃せません。

 

フィクションとリアルの距離間が変わった以上、それは作品に反映されてしかるべきでしょう。



一方、「ハイブリッド恐竜」は、ある意味でただの「モンスター」です。

 

恐竜は「実際にこの地球上にいた」(過去に実在)というのが最大の魅力なので、その意味で、恐竜の魅力に傷をつける存在ではあります。

 

しかし、より広い視野に立って、「実際にこの地球上に生み出せる」(将来実在?)と捉え直せば、許容できる一貫したテーマは感じます。

 

ただ、「ジュラシック」シリーズにおいて新要素ではあっても、「モンスター」的存在は映画の世界ではあまりにも使い古されていて、逆にシリーズの強みを弱めてしまっている可能性はある気がします。



 

「ジュラシック・パーク」以来の看板恐竜と言えば、ティラノサウルスとヴェロキラプトルです。

(本シリーズのヴェロキラプトルは、実際にはヴェロキラプトルよりデイノニクスに近い描写と言われているが、それはさておき)

 

「ジュラシック・ワールド」以降、このヴェロキラプトルが味方っぽい立ち位置になりやすいのが、旧シリーズとの大きな違いです。

 

たぶん「ハイブリッド恐竜」と「人間寄りなヴェロキラプトル」というのは、旧シリーズとの差別化をはかるため意図的にやっていることだと思いますが、個人的には、ヴェロキラプトルはあまり馴れ合いが過ぎないのが好みだったりします。

 

多少懐くという程度だったらまだしも、明確に共闘するというのは小さくない違和感がありました。

 

好きなシリーズですが、そもそも恐竜自体も好きなので、やっぱり恐竜は恐竜として描いて欲しかった。

 

現実に確かに存在した生命に対し、もう少しリスペクトが欲しかった。

 

人間の都合で科学的に無理のある次元で改変されるのは、結構モヤモヤしてしまいました。

 

 

 

「ゴジラシリーズ」でも、ゴジラが実質的に「人間サイド」として話が進むタイプの作品がいくつもありますが、個人的にはどれもあまり好きではありません。

 

だからと言って、「人間vsゴジラ」というのが好きなわけでもありませんが。

 

「ゴジラとしては、人間などお構いなし。自分が好きなように動く。人間はそれに翻弄されるだけ」というパターンがしっくり来ます。

 

「ジュラシックシリーズ」も同様で、恐竜が人間にとって都合よく味方、もしくは都合よく敵として描かれるのは、単純にご都合主義に感じます。

 

今までのシリーズ作品が守ってきたリアリティーのバランスは、本作では結構崩れてしまっているように思えました。

 

 

関連する話ですが、必要以上に恐竜にキャラクター性を盛り込もうとしているのも少し気になってしまいました。

 

同じ恐竜なのに、敵、味方というような立ち位置を分かりやすく規定しようとするやり方は、たぶんアメリカ的には普通なんでしょうけれど。

 

人間の生存本能と、恐竜の捕食本能がぶつかり合うなら良いのですが(生物としてフェアであり、ある意味でリアル)、その範疇を超えた制作サイドの意図が見え隠れするキャラ付けは、旧シリーズのバランスを崩している感がありました。

 

恐竜にキャラ性を求めるのは、本シリーズとしてあまり必要なこととは思えませんし。

 

ディズニーが恐竜を題材に作品をつくるなら分かりますが・・・
 

 

 

シンプルに二元論でとらえたがるのがアメリカ的エンターテインメント大作なのかもしれませんが、その中にあって、繊細に二面性(多面性)を拾い上げていたのがスピルバーグの良さであり、本シリーズの良さだったと思います。

 

それが今回、乱された感があったのは少々残念でした。

(その予兆は前作にもありましたが、前作はそれを気にしなくても良いくらいのコンセプトが貫かれていた)

 



平たく言うと、登場人物の視点(研究者だったり、私利私欲を抱えた人だったり、子供だったり)で楽しんでいた従来作品に対し、本作は、所々、制作者の意図が露骨に前面に出てしまっているように感じられました。

 

これがあとから少々気になってしまいました。





映像としてのスケールは勿論大きいのですが、より本質的な意味では、スケールが大きいのか、小さいのかは、何とも言い難い作品です。

 

作品の舞台という意味では、明らかに狭い範囲で話が進行していったので、その点においてもシリーズでも異色の作品と言えます。

 

ジョン・ウィリアムズの雄大なテーマ曲が最も似合わない作品でした。


 

本作における着地点は、思っていたのとかなり違うところだったわけですが、次作でいったいどうするというのか。

 

偉大なシリーズだからこそ、観る者を純粋に魅了し、ワクワクさせる作品を期待したいです。


 

 

 

 

 

sho