トリエンナーレ2017感想~1=1ではもはや満足できないアート展~ | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

トリエンナーレ2017感想~1=1ではもはや満足できないアート展~

どうも遊木です。

数日前、中規模の修羅場より脱しました。

 

先日、超久しぶりにCOMITIAに一般参加してきたのですが、RWが最後にサークル参加したときより規模が倍くらいに広がっており、ここ数年の一次創作の発展を目の当たりにしたようで驚きました。またサークル参加したいなぁ…。

COMITIAには一応理由があって参加したので、そちらについては別記事でまとめようと思います。

 

今回は…そうです。ようやく、ようやくトリエンナーレ関連の記事ですよ。展覧会を見に行ってからもう3ヶ月半経ちますけどね、やっぱり一応は書いておかないと…。

まぁこんだけ経ってしまったので、前回のように前後編に分けるような長々としたものは書きませんが、いくつか思ったことだけまとめたいと思います。

そして毎度のことですが、この感想は素人による超主観的なものです。専門知識などはまったく持っていないので、相応のものとしてお読みください。しかも今回に限っては感想よりグチに近いです←

 

 

 

ヨコハマトリエンナーレ2017

島と星座とガラパゴス

 

 

先に言い訳をさせて貰いますが、感想記事をあげるのになぜこんなに時間がかかったかというと、実は展覧会に対していろいろ思うことがあり過ぎて、上手くまとまらなかったからです。決して忘れてたわけではありませんよ!

 

私は、横浜美術館、赤レンガ倉庫、開港記念館、全エリアに2回行きました。3会場とも二周かけてじっくり見させて貰いましたが、どの作品も独自の面白さを感じる一方、観覧中もその後も、どこか腑に落ちない違和感がずっと残っていました。

この違和感は一体なんだー!となったので、何となく前回のトリエンナーレ時に書いた自分の感想ブログを読んだのですが…それで気付きましたよ。

ずばり、私が感じた腑に落ちないもやもや感は「キュレーションに納得がいかない」、これに尽きるのではないかと。

 

私は前回の「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」の担当ディレクターの方はすばらしかったと思っています。

展覧内容を見る前はこの長々しいタイトルに「???」状態な人も多かったと思うんですよ。でも、すべての展覧会場を回ると、確かにトリエンナーレ全体が「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」に集約されている。あの規模の現代アート展を、最終的にしっかりとひとつのテーマにまとめ上げるのはとても大変なことだと思うのですが、前回のトリエンナーレはその点が見事になされていました。

何より「焚書」という切り口が面白く、古さと新しさを兼ね備えたオリジナリティ溢れるものでした。フィナーレイベントで本を燃やすところまで完璧なキュレーションだったと思います。

 

そのイメージがあったからこそ、余計に今回のキュレーションの荒が見えてしまったのかなぁと。

2017年トリエンナーレは、「接続性」と「孤立」がテーマでしたが、私はこの時点でテーマの古臭さを感じてしまったわけですよ。接続と孤立、ネットワークの拡大、情報の氾濫、個人と社会……どれもこの10年ぐらいで(もしくはもっと前から)、あらゆる分野の人達が研究し、テーマとして取り扱ってきたものです。当然芸術の分野でも、沢山のアーティストがこれらと似た切り口で創作をしてきました。故に感じてしまう「使い古された」感。つまり「え?なんで今さらこのテーマ出してきたの?」です。

別に現代アート展だからと、最先端の価値観をテーマにするべきだとは思いません。前回の「焚書」のように、時代に左右されないものでも、時代を意識したものでも良い。しかし「今さら」なものを取り扱うのなら、相応の理由を提示する必要はあったのではないでしょうか。私はその“理由”がわからず、もやもや~が残ってしまったのだと思います。

ついでに言うと個人的には「ヨコハマラウンド」にも古さを感じてしまいました。対話、議論によるアプローチって、すでに大学でも当然に組み込まれているプログラムですよね。それをなぜ、この国際展でやらなければならなかったのか、その理由がやっぱり腑に落ちなかったなぁと。しかも、議論するのはほとんどが有識者なわけで、これが大学で催される講義イベントならともかく、アート展で何故やったよ、と思ってしまったわけです。

あと、これは偏見なのかもしれませんが、ディレクターの3人のうち2人が横浜美術館の館長と副館長というのも、どうなのかと思いました。先にも言った通りヨコハマトリエンナーレは国際展なわけで、横浜美術館の特別展ではなく、あくまでも場を提供しているだけのはず。より刺激的で面白いアプローチの展覧会にするなら、日常的に展覧会場と深い繋がりがない人間をディレクターに据えた方が、固まったイメージに囚われない自由な表現と客観性を兼ね備えた展覧プロデュースが出来たのではないでしょうか。

「現代の世相をそのまま表現した、ある意味今の時代にふさわしいテーマ」と言えばそれも一つの捉え方だとは思いますが……なんていうんでしょうね?すごく曖昧な表現ですか、今回のトリエンナーレからは古臭さと連動して、こじんまり感と言いますか、どこかお行儀良く無難にまとめている感じがして、せっかく三年に一回の国際展なのになぁ、というがっかり感がどうしても拭えませんでした。

タイトルの「島と星座とガラパゴス」は前回に比べて非常にわかりやすいものではありました。しかし、このタイトルと比べてそれ以上でもそれ以下でもないまとめ方が、捻りのない、深みと広がりに欠いた展覧会というイメージを残してしまった一因でもある気がします。

 

と、ここまで散々な感想を書きましたが、作品自体はおもしろいものが多かったです。

個人的に印象に残っているのは、横浜美術館正面ホールに展示されていたジョコ・アヴィアントの≪しめ縄≫、アン・サマットの≪酋長シリーズ≫、ザ・プロペラグ・ループ、トゥアン・アンドリュー・グエンの≪AK-47vs.M16≫、イアン・チェンの≪使者は完全なる領域で分岐する≫、マーク・フスティニアーニの≪トンネル≫≪穴≫、赤レンガ倉庫のクリスチャン・ヤンコフスキーの≪重量級の歴史≫、宇治野宗輝の≪プライウッド新地≫、ラグナル・キャルタンソンの≪ザ・ビジターズ≫、開港記念館の柳幸典の作品群などです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BankART LifeV 観光

前回この展覧会を見たのは3年前のトリエンナーレのときでしたが、かなりイメージが変わりました。

私が最後に見たときは、矛盾しているような言い回しですが「古典的な現代アート的手法」を用いている作品が多く、五美大展のようなイメージに近かったのですが、今回の作品にはプロジェクションマッピングを使用するなど、どこかメディア芸術祭のような風味を取り入れた作品が増えたように思えます。

アートも日々変わっていくものなんだと実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

黄金町バザール2017

ものすごく映像作品が増えた印象です。

私は映像作品は嫌いじゃないのですが、ちょっとこのバザールで増えるのはどうかなぁと思わなくもないです。

映像作品って画面、音、光、物語、複数の要素を割と簡単に組み合わせられるし、見栄えも良いような気がしますが、その反面内容をしっかり見て貰えないケースが多いと思うんですよね。単純に見るのに時間がかかるから。

簡単に使える動画制作ツールが増えてきてはいますが、個人的には安易に手を出すべき媒体ではない気がします。私もAfter Effectsをいじるので動画制作が楽しいのはわかるのですが、ある程度の長さがあっても最後まで見て貰えるレベルの作品を生み出すのは、かなり大変なんだろうなぁと実際に展示されていた作品を見て思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな感じで、かなり端折りましたがトリエンナーレ+αの感想でした。

この後は、修羅場(本番)に入りますよー!うへへへーい。

 

のりきるど。

 

 

aki