「がっこうぐらし!」見ましたので、つらつらと。
須々木です。
録画していたTVアニメ「がっこうぐらし!」をバババンと見たので、それについて。
この作品は、『まんがタイムきららフォワード』(芳文社)にて連載している漫画をアニメ化したもので、今年の7月から9月まで全12話が放送されました。
とりあえず第1話の概要(コピペ)と動画(ニコニコ無料配信)を↓
ゆき(丈槍由紀)とくるみ(恵飛須沢胡桃)、りーさん(若狭悠里)、みーくん(直樹美紀)の4人は、「学園生活部」の仲良しカルテット。この部活の目的は「授業だけでは触れられない学園のさまざまな部署に親しむ」こと! 今日も、おいしいパスタに舌鼓を打ったり、園芸部の屋上庭園でプチトマトの収穫に励んだり、あるいは授業で居眠りしたり。なんだかんだと賑やかに、毎日を楽しんでいる。そんなある日、学園生活部のマスコット的存在、柴犬の太郎丸が行方不明に。学校中を探してまわるゆきたちだったが……?
(脚本:海法紀光〈ニトロプラス〉 絵コンテ:安藤正臣 演出:安藤正臣 総作監:飯野誠)
以下、本作品についてつらつらと書いていきますが、アニメを見ていない人は、少なくとも第1話のラストまで見ておくことを激しくおススメします。
さて、これから書いていくのは「面白かった!」とか「可愛かった!」とは少し方向の違う備忘録のようなものです。
あくまで個人的見解ですので、予めご了承ください。
あと、ネタバレに配慮していませんのでご注意。
さて、この「がっこうぐらし!」という作品。
一見すると、昨今よくある日常系の萌えアニメなわけですが、これがなかなか興味深い作品でした。
そこで、作品単体としての好みやクオリティーといった、単純な鑑賞における評価とは別の次元で触れていこうかと思います。
まず本作品のジャンルについてですが、通してみると、非常に多くの要素を含んでいることが分かります。
・萌え(女の子ばっかり)
・日常系(ゆるっと)
・サバイバル(ゾンビ、パンデミック)
・学園(部活動)
主要なものだけでもこのような感じです。
そして、これだけ見ると、特に真新しさはありません。
それぞれがすでに市民権を得た、ごくありふれたジャンルです。
個々に見ればすでに真新しさのない要素を、これまでにないような組み方をして一つの作品としている・・・というのが本作品のざっくりとしたポイントでしょう。
かなり異質なものどうしをハイブリッドしていることもあり、どこに重点を置いているのか分かりにくいという不安定さはありますが、ある意味でそれが現代的とも言える気がします(そして、好みが分かれるのもこの点かと)。
「カワイイ」という要素さえあれば最低限どうにかできるという世相、そしてネタの枯渇(特に、組み合わせ方のネタ切れ)の両方を受けての実験的な試みであったと推測されます。
当然、ストーリーより表面的な「萌え」のみを追求しているように見せて、視聴者を油断させておくという手法については、「魔法少女まどか☆マギカ」の影響は無視できないでしょう。
また、テレビ画面にうつしだされるのは客観的情報であるという暗黙の了解を逆手に取った叙述トリック(所謂「信頼できない語り手」)は、「ひぐらしのなく頃に」の影響を多分に感じるところでしょう。
主人公たちが学校にいる時点で悲劇が始まり、身近な人を手にかける必要を迫られる展開、そしてそれが屋上でなされる(より広く状況を理解するためのストーリー的要請はあるものの)という点については、「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」とも重なりますが、本作ではバイオレンスは主軸ではありません。
ただ、いずれにせよ、「がっこうぐらし!」を構成する各要素は、すでに何度も描かれ語り尽されている感があります。
その他の切り口として、ビジュアル的なところで言えば、主人公のキャラデザは少々気になる点もあります。
主人公・丈槍由紀のキャラクターデザインは、「Kanon」のメインヒロイン・月宮あゆを連想させるところがあります。
白い羽根が両サイドにあるリュックを背負っている点、猫耳のように尖がりがある帽子を被っている点は、ほぼそのまんまです。
むしろ、それを逆手にとって、「実は主人公に見えているものがおかしいのではなく、周囲の人物こそがおかしい(実在しない主人公を存在しているように感じている)」という方向へのミスリードを誘っているような気もします(ミスリードのための仕掛けなのか、単なるオマージュなのかは、実際には分かりませんが)。
そもそも、天使の羽根というのは、無駄にシンボリックなパーツであり、先読みや解釈をあおるところがありますし(実際、放送からの流れを見るに、ネットではまんまと乗せられた感がある)。
そして、ストーリーとしては悲劇的な状況であるにもかかわらず、学校という場を非常にポジティブに――率直に言えば、「違和感を覚えるほどポジティブに」――捉えようとする姿勢が特徴的だと感じました。
学校というのは、一般社会から切り離されたある種の異空間(作中では、「まるで一つの国みたい」とも言及される)ですが、これは視聴者が生きる現実世界に対してのメタファーとなっているとも言えそうです。
すなわち、「実在する世界」と「実在すると願いたい世界」です。
この両者は、しばしばすれ違いを起こし、そのギャップに人は苦悩したりするわけですが、「がっこうぐらし!」ではこの点を非常にストレートに描いていて、視聴者に響くところなのだろうと。
ただし、この点について、単純な共感を誘うというのではなく、少々刺激的な形で視覚化しているのは新しいところかもしれません。
「実在/非実在」を「見えない/見える」に大胆に変換しているのは、伏線的効果も発揮しています。
というか、そもそも「日常系」というジャンルそのものを伏線にしているようなものであり、既存の「日常系」を逸脱する作品の可能性を示してくれました。
これらについて、表面的にはテーマとして据えられていませんが、このような二項対立構造は、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」との相関を見出すことができる気がします。
視聴者が生きていて感じるような二項対立を作品に織り込むことで、全体としてメタフィクショナルな骨格を与えているのかと。
要約すると、ベースとなる「単なる日常系萌えアニメ」を一度分解し、その他にいくつか既存のサブカル要素を持ってきて、メタフィクショナルなフレームに組み直すという、かなりやりたい放題の作品となっているように思います(制作サイドがどの程度まで意図していたのかは知らないが)。
そんなわけで、現在そこかしこで量産されている、「萌え」や「日常系」がその後に進みうる方向性の一つを垣間見たような気がして、興味深い作品でした。
そして、このような作品が登場したという現象そのものが興味深いところだと感じました。
TVアニメ「がっこうぐらし!」公式サイト
http://gakkougurashi.com/
sho
録画していたTVアニメ「がっこうぐらし!」をバババンと見たので、それについて。
この作品は、『まんがタイムきららフォワード』(芳文社)にて連載している漫画をアニメ化したもので、今年の7月から9月まで全12話が放送されました。
とりあえず第1話の概要(コピペ)と動画(ニコニコ無料配信)を↓
ゆき(丈槍由紀)とくるみ(恵飛須沢胡桃)、りーさん(若狭悠里)、みーくん(直樹美紀)の4人は、「学園生活部」の仲良しカルテット。この部活の目的は「授業だけでは触れられない学園のさまざまな部署に親しむ」こと! 今日も、おいしいパスタに舌鼓を打ったり、園芸部の屋上庭園でプチトマトの収穫に励んだり、あるいは授業で居眠りしたり。なんだかんだと賑やかに、毎日を楽しんでいる。そんなある日、学園生活部のマスコット的存在、柴犬の太郎丸が行方不明に。学校中を探してまわるゆきたちだったが……?
(脚本:海法紀光〈ニトロプラス〉 絵コンテ:安藤正臣 演出:安藤正臣 総作監:飯野誠)
以下、本作品についてつらつらと書いていきますが、アニメを見ていない人は、少なくとも第1話のラストまで見ておくことを激しくおススメします。
さて、これから書いていくのは「面白かった!」とか「可愛かった!」とは少し方向の違う備忘録のようなものです。
あくまで個人的見解ですので、予めご了承ください。
あと、ネタバレに配慮していませんのでご注意。
さて、この「がっこうぐらし!」という作品。
一見すると、昨今よくある日常系の萌えアニメなわけですが、これがなかなか興味深い作品でした。
そこで、作品単体としての好みやクオリティーといった、単純な鑑賞における評価とは別の次元で触れていこうかと思います。
まず本作品のジャンルについてですが、通してみると、非常に多くの要素を含んでいることが分かります。
・萌え(女の子ばっかり)
・日常系(ゆるっと)
・サバイバル(ゾンビ、パンデミック)
・学園(部活動)
主要なものだけでもこのような感じです。
そして、これだけ見ると、特に真新しさはありません。
それぞれがすでに市民権を得た、ごくありふれたジャンルです。
個々に見ればすでに真新しさのない要素を、これまでにないような組み方をして一つの作品としている・・・というのが本作品のざっくりとしたポイントでしょう。
かなり異質なものどうしをハイブリッドしていることもあり、どこに重点を置いているのか分かりにくいという不安定さはありますが、ある意味でそれが現代的とも言える気がします(そして、好みが分かれるのもこの点かと)。
「カワイイ」という要素さえあれば最低限どうにかできるという世相、そしてネタの枯渇(特に、組み合わせ方のネタ切れ)の両方を受けての実験的な試みであったと推測されます。
当然、ストーリーより表面的な「萌え」のみを追求しているように見せて、視聴者を油断させておくという手法については、「魔法少女まどか☆マギカ」の影響は無視できないでしょう。
また、テレビ画面にうつしだされるのは客観的情報であるという暗黙の了解を逆手に取った叙述トリック(所謂「信頼できない語り手」)は、「ひぐらしのなく頃に」の影響を多分に感じるところでしょう。
主人公たちが学校にいる時点で悲劇が始まり、身近な人を手にかける必要を迫られる展開、そしてそれが屋上でなされる(より広く状況を理解するためのストーリー的要請はあるものの)という点については、「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」とも重なりますが、本作ではバイオレンスは主軸ではありません。
ただ、いずれにせよ、「がっこうぐらし!」を構成する各要素は、すでに何度も描かれ語り尽されている感があります。
その他の切り口として、ビジュアル的なところで言えば、主人公のキャラデザは少々気になる点もあります。
主人公・丈槍由紀のキャラクターデザインは、「Kanon」のメインヒロイン・月宮あゆを連想させるところがあります。
白い羽根が両サイドにあるリュックを背負っている点、猫耳のように尖がりがある帽子を被っている点は、ほぼそのまんまです。
むしろ、それを逆手にとって、「実は主人公に見えているものがおかしいのではなく、周囲の人物こそがおかしい(実在しない主人公を存在しているように感じている)」という方向へのミスリードを誘っているような気もします(ミスリードのための仕掛けなのか、単なるオマージュなのかは、実際には分かりませんが)。
そもそも、天使の羽根というのは、無駄にシンボリックなパーツであり、先読みや解釈をあおるところがありますし(実際、放送からの流れを見るに、ネットではまんまと乗せられた感がある)。
そして、ストーリーとしては悲劇的な状況であるにもかかわらず、学校という場を非常にポジティブに――率直に言えば、「違和感を覚えるほどポジティブに」――捉えようとする姿勢が特徴的だと感じました。
学校というのは、一般社会から切り離されたある種の異空間(作中では、「まるで一つの国みたい」とも言及される)ですが、これは視聴者が生きる現実世界に対してのメタファーとなっているとも言えそうです。
すなわち、「実在する世界」と「実在すると願いたい世界」です。
この両者は、しばしばすれ違いを起こし、そのギャップに人は苦悩したりするわけですが、「がっこうぐらし!」ではこの点を非常にストレートに描いていて、視聴者に響くところなのだろうと。
ただし、この点について、単純な共感を誘うというのではなく、少々刺激的な形で視覚化しているのは新しいところかもしれません。
「実在/非実在」を「見えない/見える」に大胆に変換しているのは、伏線的効果も発揮しています。
というか、そもそも「日常系」というジャンルそのものを伏線にしているようなものであり、既存の「日常系」を逸脱する作品の可能性を示してくれました。
これらについて、表面的にはテーマとして据えられていませんが、このような二項対立構造は、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」との相関を見出すことができる気がします。
視聴者が生きていて感じるような二項対立を作品に織り込むことで、全体としてメタフィクショナルな骨格を与えているのかと。
要約すると、ベースとなる「単なる日常系萌えアニメ」を一度分解し、その他にいくつか既存のサブカル要素を持ってきて、メタフィクショナルなフレームに組み直すという、かなりやりたい放題の作品となっているように思います(制作サイドがどの程度まで意図していたのかは知らないが)。
そんなわけで、現在そこかしこで量産されている、「萌え」や「日常系」がその後に進みうる方向性の一つを垣間見たような気がして、興味深い作品でした。
そして、このような作品が登場したという現象そのものが興味深いところだと感じました。
TVアニメ「がっこうぐらし!」公式サイト
http://gakkougurashi.com/
sho