思考しましょう
どうも、絶賛原稿中の遊木です。
もう~い~くつ寝~~る~と~締~め~切~り~だぁ~♪って感じです。
さて、昨日は須々木氏が議長のミーティングでしたが、久しぶりに大学の講義室の様な空間を体験しました。この歳になるとすごく思いますけど、すぐ近くに教えてくれる人がいるっていうのは恵まれた環境ですよね。
学生はもっと良い意味で先生を利用出来れば良いんですけど、そういうのって自分が学生のうちはぴんと来ないものですよねぇ。
今月は、昨日の須々木氏議長のミーティングと、前半には凜ちゃん議長のミーティングがありました。
そっちでは課題に沿った作品制作があったので、それについてさらっと紹介をば。
☆課題;浦島太郎のエンディングを考える
亀を助けて竜宮城へ行く浦島太郎。帰りに乙姫に玉手箱を貰う…この続きを考えること。
①玉手箱の中に入っているものは何か
②地上に戻ったのち、浦島太郎はどうなったのか
※浦島太郎の内容については、このサイトのものを軸とする。
ようするに浦島太郎のオチを自分で考える、というものだったのですが、私は漫画ネームを提出しました。

pixivにうpしてるので、内容はそちらからご覧になれます。
読んで頂ければわかると思いますが、私が何も計算しないで話を考えると、基本こういう雰囲気になります。別に病んでるのとかバッドエンドを好き好んでいるわけじゃないのですが、本能に従うとこっち系になります。
実は恋愛系でも悲恋要素がある作品が好きなのですが、私はどうやら「敵」や「人知を超えた何か」に敗れるのではなく、登場人物たちが「彼らの現実に負ける」というシチュエーションが好きなのかもしれません。いや、好きと言うよりは、納得すると言う方がニュアンスとして正しいでしょう。
(だからこの浦島太郎のネームもちょっと納得できていないというか、もっとうまい表現ができれば良かったんですけどね…こう、本当は不条理の要素を前面に出したかったわけじゃないのですが)
例えば中村明日美子先生の同級生(卒業生)とか、すごい好きです。
あの作品は別に悲恋ではないですが、ラストが「好きだから、卒業してもずっと一緒だよ」ではなく、「好きだけど、それぞれの進路がある。夢がある。それを目指すために、今は一緒にはいられない」という終わり方がすごいしっくりきました。
あそこで佐条と草壁が、「卒業」という現実に無力な表現がされていることで、物語全体にぶれない重さが出たというか…なんだかそんな印象があります。
現実的な作品が好きなのか、というと別にそんなことないのですが、私は多分物語の登場人物たちに根付いた現実に対して、筋が通った物語が肌に合うのでしょう。
フィクションなんだから筋とかそこまで気にしなくても良いのでは、という人もいると思いますが、私は「筋を通す」ということは創作において重要な要素だと思っています。筋が通っているからこそ、その筋から外れた時に物語の面白さが出るし、筋があるからこそ物語には終わりがあるのだと思っています。
と、そんなことをつらつら語っても別に私が浦島太郎のEDを↑↑のようにした理由はこれっぽっちも出てこないわけですが、制作したことを機に考えた内容をちょっと書いてみました。
昨日のミーティングは、「思考実験」というコンセプトでしたが、物事に対して思考するというのは大切なことだなぁと思います。特に私は直感力があるタイプじゃないので、何かを考えていないとアイデアの引き出しが干からびるんですよね…おふぅ。
では、原稿作業に戻ります~
締ーめー切ーりー!!
aki
もう~い~くつ寝~~る~と~締~め~切~り~だぁ~♪って感じです。
さて、昨日は須々木氏が議長のミーティングでしたが、久しぶりに大学の講義室の様な空間を体験しました。この歳になるとすごく思いますけど、すぐ近くに教えてくれる人がいるっていうのは恵まれた環境ですよね。
学生はもっと良い意味で先生を利用出来れば良いんですけど、そういうのって自分が学生のうちはぴんと来ないものですよねぇ。
今月は、昨日の須々木氏議長のミーティングと、前半には凜ちゃん議長のミーティングがありました。
そっちでは課題に沿った作品制作があったので、それについてさらっと紹介をば。
☆課題;浦島太郎のエンディングを考える
亀を助けて竜宮城へ行く浦島太郎。帰りに乙姫に玉手箱を貰う…この続きを考えること。
①玉手箱の中に入っているものは何か
②地上に戻ったのち、浦島太郎はどうなったのか
※浦島太郎の内容については、このサイトのものを軸とする。
ようするに浦島太郎のオチを自分で考える、というものだったのですが、私は漫画ネームを提出しました。

pixivにうpしてるので、内容はそちらからご覧になれます。
読んで頂ければわかると思いますが、私が何も計算しないで話を考えると、基本こういう雰囲気になります。別に病んでるのとかバッドエンドを好き好んでいるわけじゃないのですが、本能に従うとこっち系になります。
実は恋愛系でも悲恋要素がある作品が好きなのですが、私はどうやら「敵」や「人知を超えた何か」に敗れるのではなく、登場人物たちが「彼らの現実に負ける」というシチュエーションが好きなのかもしれません。いや、好きと言うよりは、納得すると言う方がニュアンスとして正しいでしょう。
(だからこの浦島太郎のネームもちょっと納得できていないというか、もっとうまい表現ができれば良かったんですけどね…こう、本当は不条理の要素を前面に出したかったわけじゃないのですが)
例えば中村明日美子先生の同級生(卒業生)とか、すごい好きです。
あの作品は別に悲恋ではないですが、ラストが「好きだから、卒業してもずっと一緒だよ」ではなく、「好きだけど、それぞれの進路がある。夢がある。それを目指すために、今は一緒にはいられない」という終わり方がすごいしっくりきました。
あそこで佐条と草壁が、「卒業」という現実に無力な表現がされていることで、物語全体にぶれない重さが出たというか…なんだかそんな印象があります。
現実的な作品が好きなのか、というと別にそんなことないのですが、私は多分物語の登場人物たちに根付いた現実に対して、筋が通った物語が肌に合うのでしょう。
フィクションなんだから筋とかそこまで気にしなくても良いのでは、という人もいると思いますが、私は「筋を通す」ということは創作において重要な要素だと思っています。筋が通っているからこそ、その筋から外れた時に物語の面白さが出るし、筋があるからこそ物語には終わりがあるのだと思っています。
と、そんなことをつらつら語っても別に私が浦島太郎のEDを↑↑のようにした理由はこれっぽっちも出てこないわけですが、制作したことを機に考えた内容をちょっと書いてみました。
昨日のミーティングは、「思考実験」というコンセプトでしたが、物事に対して思考するというのは大切なことだなぁと思います。特に私は直感力があるタイプじゃないので、何かを考えていないとアイデアの引き出しが干からびるんですよね…おふぅ。
では、原稿作業に戻ります~
締ーめー切ーりー!!
aki