【第4回RWラリー小説】そして、旅は (つづき)
ハイ須々木です。
第4回ラリー小説のペナルティー消化ということで、前のエントリーの続きです。
続きです。
続きですよ。
ではどうぞ。
============(ここからラリー小説後半!)=============
懐中電灯の明かりに照らされた顔面は、本当に蒼白で、蒼白すぎて……生者のそれではなかった。
「クソ!!」
俺は懐中電灯を投げつけた。目の前の何者かは、物凄い反射神経でそれをかわすが、俺はその隙に背後をとり、関節を固めた。
かなりの力で抵抗する身体を必死に押さえ付けながら、恐る恐るその首筋に触れた。
「脈が……ない」
頸動脈はピクリとも動いていない。その周辺も探るが、どこにも鼓動を感じられる場所はなかった。
俺は思わず息を飲む。そして、そのわずかな沈黙でもう一つ気付いてしまう。
息使いがまったく感じられない。これだけ激しく抵抗しているにもかかわらず、呼吸する気配がない。
そして、何より、その身体は異様なほど冷たかった。こちらの体温が奪われていってしまうほどに。
ああ……。
ヤバい……力が抜けていく。
体温と一緒に、気力や体力までもが身体から流れ出ていくようだ。これだと押さえ続けていることはできない。それはわかっている。でも、どうしようもない。
そう思ったときには、地面が頭上に見えた。身体は逆さに宙を舞っていた。
体勢を整える間もなく激しく硬い岩肌に打ちつけられる。
受け身をとることすらできず、息が詰まる。遅れて激しい痛みが全身を襲った。
「クソ……クソ……なんでだよ……どういうことだよ……」
地面に両手を突いたまま、顔を上げることができない。視界はぼやけ、地面に滴が落ちていく。身体の震えと嗚咽を必死に抑える。
ザリ……ザリ……。
視界の隅に、ブレッドの靴が見えた。そのまま視線を上に辿っていく。
滲んだ月の光を背負ったブレッド……の姿をした何者かが、人の頭より一回りも二回りも大きな岩を掲げていた。
その岩は、もちろん目的があって持ち上げられているわけで、否が応でも凄惨な状況が頭をよぎってしまう。
しかし、その想像はどこか現実味がなくて、自分に差し迫った危機だと感じることができなかった。
そんな不思議な心地。
ああ、死ぬんだな、俺は……。
わけのわからないまま、何もかも終わってしまうんだ。
つまらない反抗心で家出同然に飛び出してきたけれど、結局、俺たちは何をしたかったんだろう?
ザリ……ザリ……。
一歩ずつ近づいてくる。
もう少しで、あの岩が俺を殺すんだろうな。
掲げられた岩が、ちょうど夜空に浮かぶ月と重なった。
その瞬間、世界は驚くほど暗くなった。
俺は完全に闇の中にいた。
「………」
目の前の人影は、その場で不自然に動きを止めた。
……どうしたんだ?
不思議に思い、よく目を凝らして見る。
そいつは、動こうとしているように見えた。でも、なぜか微動だにできないでいる。
その身体には、所々淡くきらめくものが見えた。非常に細い何かが絡みついているようだった。
これは、糸……?
次の瞬間、高く掲げられていた岩は、弾けるようにバラバラと砕け散っていた。鋭利な切断面を見せながら地面に拳大の破片が転がる。
本当に一瞬の出来事で、何が起きたのかまったくわからなかった。ただ、砕けた岩塊の向こうに現れた月は、痛いほど目に焼きついた。
「来い!」
急に強烈な力を受ける。身体が跳ね上がるように地面を離れた。
みぞおちのあたり強い圧力を受け、身体が二つ折りになるような感じ。
腹のあたりには……誰かの太い腕があった。誰かに片腕で抱え上げられているようだ。
俺は少しずつだけれど、状況を飲み込めてくる。
「とにかくこの場から離れるぞ」
俺の身体を軽々と抱えて駆ける男が言った。
「ま、待ってくれ……」
男は立ち止まった。俺は、ふらつきながらも自らの二本の足で身体を支えた。
そして、目の前の男を見上げた。
風貌から察するに、自分よりはだいぶ上だけれど、親父よりは若そうな、いかにもという感じの旅人のようだった。使い古したマントを巻いているが、その下の屈強な体躯を完全に覆い隠すことはできない。動くと、革の軋む音、金属の擦れる音が聞こえる。相当な装備をしているようだ。
「どうした。自分で走るのか?」
男の声は、感情の起伏に乏しかった。だが、それでも突き放すような冷たさは感じない。
「いや、あいつ……。ブレッドを助けないと……」
男は自らの目で、その姿を改めて確認する。
「お前の仲間なのか?」
「そうだ。だから、助けないと……」
俺は、ブレッドの姿をした何者かの方へ向かって行こうとする。向こうもこちらに向かって来ている。
「待て」
男は、そんな俺の腕を強く掴んだ。無駄な力を込めない口調とは違い、男の手は指の先端まで力が込められていた。ギリギリ食い込むような強さで、俺の身体はピクリとも動かなくなる。
心臓を握られるようなプレッシャーを感じる。少しでも気を抜けば、考えることをやめてすべてに屈してしまいそうになる。だから、そんな気持ちを振り払うように、振り絞るように語気を強めた。
「離してくれ! 大事な友達なんだよ!! 俺が助けなきゃいけないんだよ!!」
「友達……か」
男は、少しだけ言葉に詰まりながら、掴んでいた手の力を抜いた。
「悪いが……あれはもうお前の知っているやつじゃないんだ」
「は? どういうことだよ!! あれはブレッドだ!! お前に何がわかる!?」
俺は振り返り、突進するような勢いで男に食ってかかった。沸き上がる何かを塗りつぶすように。
しかし、男は告げた。突き刺すような視線を向けながら。
「〈魂〉を持っていかれている。あれは、限りなく死者に近い存在だ」
「ハハハ。何を言ってるんだよ……。だって、俺と会話して……」
「あの状態でも、しばらくは〈魂〉の残滓でそれっぽく振舞うことがある」
「何の根拠が……」
「少なくとも、お前よりは物を知っている」
「そんなこと……そんなわけ……はじめて会ったやつの言うことなんて信じられるかよ! 俺はこれからもアイツと旅を続けるんだ!!」
「旅か……」
「そうだ。俺たちは、誰の指図も受けずに好きなように旅を続けるんだ!!」
「おい、ガキ……」
男は、大きく吸い込んだ息と一緒に、腹の底から声を張り上げる。
「ガキがピクニック気分で旅なんてするんじゃねえ!!」
その覇気に気圧され、足が竦んでしまう。
「来い!」
そのまま襟首を掴まれた。
「アイツが〈魂〉を持っていかれたのはいつだ?」
「いつって……」
「何かが近くをかすめていかなかったか?」
「そう言えば……。30分くらい前だ。でも、一瞬のことだったし、触れてもいない」
「それはお前の感覚だ。ヤツらにとっては、それで十分な時間だし、〈魂〉に手の届く距離でもある」
「なあ、いったい……どういうことなんだよ?」
自分でも焦っているのが分かる。どんどん追い詰められていくようで、早鐘を打つ心臓を吐き出してしまいそうだ。でも、聞かないわけにはいかない。
男は、淡々とした調子で答える。
「お前の友達は、そのとき〈魂〉をかすめ取られたんだ。残った〈身体〉の方には、そこらへんの怨念めいたものが入り込んで、好き勝手振舞っている」
「そんな……。でも、それなら、〈魂〉を奪っていったやつを見つければ!」
「どっちに向かったかわかるか?」
「たぶん森の方だと思うけれど、それ以上は……」
「それで十分」
男はすぐに森に向かって走り出した。
俺は一瞬だけ振り返る。
「必ず助けてやるから、ちょっとだけ待っててくれ」
そう小さく呟くと、俺も男のあとに全力でついて行った。
男は何を頼りにしているのかわからなかったが、ほとんど立ち止まることなく森の中を進んでいった。俺は言われたとおり、その背中から離れないことだけに集中した。
やがて、男は立ち止まり右手を上げた。
「よし、お前はここで待っていろ」
男はマントの中に手を入れて何かをいじる。それからその場で両手を素早く複雑に動かした。
「すぐに戻るが、いま立っているところから一歩も動くな。絶対にだ」
男はそのまま真っ直ぐ森の一番暗い所に入っていった。
俺は不気味な森の真ん中で、ただ一人で立ち尽くした。言われなくても、一歩も動くことなんてできない。
木々のこすれる音、小さな羽虫の飛ぶ音も、妙に反響して聞こえる気がした。背中に嫌な汗が噴き出してくる。
男は言った通り、ほどなくして戻って来た。遠目に見たところ、何も変わった様子はない。
そのことを問い質そうとしたところで、男がその右手のやや下に、黒い靄のような何かを連れていることに気がついた。
男はそれを俺の前に持って来て見せた。ただでさえ暗いのに、その中で黒い靄の様子を正確に観察することは困難だったが、その様子から察するにその動きは男に封じられているようだった。
でも……。
「俺たちをかすめたやつには、確か手足があった。もっと人間みたいな形をしていた気がする……」
男は黙ったまま、両手を再び複雑に動かした。そのたびに、靄は濃淡を変え、形状を変えた。手の動きに同調し、共鳴しながら、徐々にその振れ幅を大きくしていく。
やがて黒い靄は、内部から湧き出すように膨らみはじめた。みるみるうちに大きくなり、それは人間とほぼ同じ形状になった。不気味にのっぺりした様子は、もちろん人間であるはずなどないのだが、背格好は完全に人間だった。
俺は目の前で起こるすべてに呆気に取られながらも、どうにか答える。
「こ、これだ……。コイツに間違いない!」
「そうか……」
「早く〈魂〉を取り返さないと!!」
せかす俺を見つめながら、落ち着いた様子の男は、さらに落ち着いた口調で言う。念を押すように。
「今から、お前の友達の〈魂〉を吐き出させる。いいか?」
「当たり前だ。早く!」
男は、みたび両手を中空に彷徨わせた。何かを描くようでいて、蝶が舞うような捉えどころのない動き。
正直、その動きが何のためのものなのかはさっぱり分からなかった。ただ、人の形をした黒い靄は、伸びたり折れ曲がったりしながら、男の手の動きに呼応するように形状を変えていった。声はまったくあげないが、悲鳴をあげながらもがき苦しんでいるようにも見えた。
「出てくるぞ」
男は何かの感触を得たようで、静かに告げる。
俺は、瞬きするのも忘れて見つめる。
それは拍子抜けするほど小さな、滴のような形をしていた。
ガラス玉よりもはるかに透明で、それなのにそれ自体が仄かに光っているように見えた。
黒い靄から零れ落ちるように出てきたそれは、雨粒が落ちる速度よりもはるかにゆっくりと落ちていく。
スローモーションで落ちていく。
時間の感覚をどこかに置き去りにしてきたように。
俺は、そこで手を伸ばしたかったのかもしれない。
もしくは、何か声を発したかったのかもしれない。
でも、何一つできず、ただそれが落ちていくのを見ていた。
ただ見ているだけの自分を感じていた。
滴は静かに音もなく地面に到達した。
その瞬間、無理やり留められてきた時間が一気に押し寄せてきたかのように、何かが身体の中を突き抜けていった。光と時間が爆発したようだった。いきなり昼になったような光の圧力を全身に感じた。
―――ライス……。
ブレッド?
―――悪かったな……。
声は聞こえなかった。
でも、声は確かに届いた。
それは、まさしくブレッドのものだった。
光の波は、退くときも急激だった。
あたりは、ただの暗い森になっていた。あの黒い靄は完全に消えていた。
「ブ、ブレッド……?」
俺と目の前の男以外、なんの気配もなかった。
「ブレッド? ブレッドは? ブレッド……?」
俺は、すがりつくような、懇願するような視線を男に向け、うわごとのように繰り返した。男は表情を変えず、何も答えなかった。
「お、おい! どういうことだよ? ブレッド……ブレッドは?」
「何て言っていた?」
「え? ……悪かったな……って?」
「そういうことだ」
男は、静かに俺の双眸を見下ろしていた。
俺は、男のマントを両手で掴みながら別の答えを求める。
「え……? なんだよ、それ? わかんねえよ?」
「お前は、友達の最期の言葉を聞き届けたんだ」
「は? な、なんだよ? 話が違うだろ!? ウソだろ!?」
「〈魂〉は、〈身体〉から切り離されたら、ほぼそれで終わりなんだ」
「助けてくれるんじゃなかったのかよ!?」
「俺は…………お前と同じくらい無力なんだ」
「こんな……。だって、こんなに町の近くで……」
「町?」
俺は地図を差し出した。
「これは古い地図だ。ここに書いてある町はすでに滅んでいる」
「ウソだ! 明かりだって見えていた!」
「あれは、生者を取り込もうとする生霊たちのものだ」
「俺は、お前らの不用心な焚き火に気付いて遠くから観察していたが、生霊しかいない町に向かって歩き出したのを見て急いで駆けつけたんだ。友達については、気の毒だった」
「な、なんで……」
すべてを失い、すべてを否定された気がした。この理不尽にどう向き合えば良いのか、まったくわからなかった。
「なんで、俺じゃなくてブレッドが……」
「一緒にいたのなら、それはただの運だ。確率的には半々」
運……だって? そんなあやふやなもので、ブレッドは……。
「自分が死んだ方が良かったか?」
「ああ。その方がマシだった」
「そうか。でも、生き残ったのはお前だ」
誰か……嘲笑って罵って怒鳴りつけて殴りつけてくれ……。
「クソ……。俺がくだらないことでアイツを連れださなければ……。ガキっぽい反抗心で旅に出たりしなければ」
「“そこ”にお前らの居場所はなかったのか?」
「そんなもの、なくたって……」
生きていける。少なくとも死ぬことはない。それで良かったじゃないか。
「いや……」
男は短く否定した。俺は、うつろな瞳を男に向ける。
男はその視線をしっかり受け止めながら言った。
「居場所がないとき、そこから逃げるのは別に悪いことではない。でも、逃げるというのは、戦場から離れて安全地帯に駆け込むことじゃない。新しい戦場に自ら突っ込んでいくということなんだ」
新しい戦場……。
「ただ、お前は知っておくべきだった。無知は人を殺すということを」
無知。
そう、俺は、俺たちはあまりに無知だった。馬鹿で無知で、実際は覚悟なんてものは何もないまま、こんなところまで来てしまったんだ。古い地図なんて握りしめて得意げになって、結局、大事なものは何一つ持っていなかったんだ。
本当に……救いようのない、馬鹿だ。
「クソ……クソ、クソ!! ウオオォォォォ!!!」
「おい、そんな大声をあげると生霊たちが集まってくるぞ」
「ウワァァァ!!!」
「チッ……。せいぜい泣きつくせ」
男はそれ以上は何も言わなかった。
周囲の闇という闇の中から、姿のはっきりしない禍々しい気配が噴き出してきた。男は、吠えることしかできない俺を脇に抱え、片手でそれを薙払っていく。
自分が迷惑だけをかけ、そしてさらに人を窮地に陥れようとしているのはわかっていた。でも、吠えることをやめられなかった。息をしなければ死ぬように、今の俺は、叫び続けなければ完全に壊れてしまう。
俺は、ただただ狂ったように意味を成さない声で喚き散らしていた。
「アアァァァァァ!!!」
――――――。
街道沿いの小さな茶屋の外に設けられた長椅子。
俺は視線を上に滑らせる。日は徐々に傾き、浮かぶ雲の断片が淡く紅に染まり始めていた。
「もうあれから一年か……」
「どうした? 日が暮れる前に峠を越えるぞ」
「はい、師匠」
俺は立ち上がった。そして、これから進む道の先を見据えた。
ブレッド――。
俺は性懲りもなく旅を続けているよ。
いつか、あのころの無知で無力で馬鹿な俺たちを見つけ出し、ぶん殴ってやるために。
そして、旅は――旅は続く。
(おわり)
============(以上です。以下、あとがき!)=============
ツイッター上で書かれたヤツが含んでいた要素を拾いながら、ちょっとダークファンタジーよりの少年漫画冒頭のようなノリで書いてみようと思って、そんなこんなでイヤハヤまいりました的な。
イヤハヤまいりました。
*裏設定*
主人公ライスの師匠の名はポテイト。
これから仇敵のパスタを倒すため、彼らは旅を続けます。
この炭水化物帝国に真の平和は訪れるのでしょうか?
決め台詞は、「お前らまとめて茹で上げてやんよ」
続く第二編では、タンパク連合国、神聖脂肪国との三つ巴の戦端が開かれる。
しかし、その背後には、ヴィタミンと呼ばれる謎の暗殺集団の影が。
いにしえより絶対中立を貫き、その存在がすでに伝説視されているミネラルの民が何かカギを握っているようだが?
sho
第4回ラリー小説のペナルティー消化ということで、前のエントリーの続きです。
続きです。
続きですよ。
ではどうぞ。
============(ここからラリー小説後半!)=============
懐中電灯の明かりに照らされた顔面は、本当に蒼白で、蒼白すぎて……生者のそれではなかった。
「クソ!!」
俺は懐中電灯を投げつけた。目の前の何者かは、物凄い反射神経でそれをかわすが、俺はその隙に背後をとり、関節を固めた。
かなりの力で抵抗する身体を必死に押さえ付けながら、恐る恐るその首筋に触れた。
「脈が……ない」
頸動脈はピクリとも動いていない。その周辺も探るが、どこにも鼓動を感じられる場所はなかった。
俺は思わず息を飲む。そして、そのわずかな沈黙でもう一つ気付いてしまう。
息使いがまったく感じられない。これだけ激しく抵抗しているにもかかわらず、呼吸する気配がない。
そして、何より、その身体は異様なほど冷たかった。こちらの体温が奪われていってしまうほどに。
ああ……。
ヤバい……力が抜けていく。
体温と一緒に、気力や体力までもが身体から流れ出ていくようだ。これだと押さえ続けていることはできない。それはわかっている。でも、どうしようもない。
そう思ったときには、地面が頭上に見えた。身体は逆さに宙を舞っていた。
体勢を整える間もなく激しく硬い岩肌に打ちつけられる。
受け身をとることすらできず、息が詰まる。遅れて激しい痛みが全身を襲った。
「クソ……クソ……なんでだよ……どういうことだよ……」
地面に両手を突いたまま、顔を上げることができない。視界はぼやけ、地面に滴が落ちていく。身体の震えと嗚咽を必死に抑える。
ザリ……ザリ……。
視界の隅に、ブレッドの靴が見えた。そのまま視線を上に辿っていく。
滲んだ月の光を背負ったブレッド……の姿をした何者かが、人の頭より一回りも二回りも大きな岩を掲げていた。
その岩は、もちろん目的があって持ち上げられているわけで、否が応でも凄惨な状況が頭をよぎってしまう。
しかし、その想像はどこか現実味がなくて、自分に差し迫った危機だと感じることができなかった。
そんな不思議な心地。
ああ、死ぬんだな、俺は……。
わけのわからないまま、何もかも終わってしまうんだ。
つまらない反抗心で家出同然に飛び出してきたけれど、結局、俺たちは何をしたかったんだろう?
ザリ……ザリ……。
一歩ずつ近づいてくる。
もう少しで、あの岩が俺を殺すんだろうな。
掲げられた岩が、ちょうど夜空に浮かぶ月と重なった。
その瞬間、世界は驚くほど暗くなった。
俺は完全に闇の中にいた。
「………」
目の前の人影は、その場で不自然に動きを止めた。
……どうしたんだ?
不思議に思い、よく目を凝らして見る。
そいつは、動こうとしているように見えた。でも、なぜか微動だにできないでいる。
その身体には、所々淡くきらめくものが見えた。非常に細い何かが絡みついているようだった。
これは、糸……?
次の瞬間、高く掲げられていた岩は、弾けるようにバラバラと砕け散っていた。鋭利な切断面を見せながら地面に拳大の破片が転がる。
本当に一瞬の出来事で、何が起きたのかまったくわからなかった。ただ、砕けた岩塊の向こうに現れた月は、痛いほど目に焼きついた。
「来い!」
急に強烈な力を受ける。身体が跳ね上がるように地面を離れた。
みぞおちのあたり強い圧力を受け、身体が二つ折りになるような感じ。
腹のあたりには……誰かの太い腕があった。誰かに片腕で抱え上げられているようだ。
俺は少しずつだけれど、状況を飲み込めてくる。
「とにかくこの場から離れるぞ」
俺の身体を軽々と抱えて駆ける男が言った。
「ま、待ってくれ……」
男は立ち止まった。俺は、ふらつきながらも自らの二本の足で身体を支えた。
そして、目の前の男を見上げた。
風貌から察するに、自分よりはだいぶ上だけれど、親父よりは若そうな、いかにもという感じの旅人のようだった。使い古したマントを巻いているが、その下の屈強な体躯を完全に覆い隠すことはできない。動くと、革の軋む音、金属の擦れる音が聞こえる。相当な装備をしているようだ。
「どうした。自分で走るのか?」
男の声は、感情の起伏に乏しかった。だが、それでも突き放すような冷たさは感じない。
「いや、あいつ……。ブレッドを助けないと……」
男は自らの目で、その姿を改めて確認する。
「お前の仲間なのか?」
「そうだ。だから、助けないと……」
俺は、ブレッドの姿をした何者かの方へ向かって行こうとする。向こうもこちらに向かって来ている。
「待て」
男は、そんな俺の腕を強く掴んだ。無駄な力を込めない口調とは違い、男の手は指の先端まで力が込められていた。ギリギリ食い込むような強さで、俺の身体はピクリとも動かなくなる。
心臓を握られるようなプレッシャーを感じる。少しでも気を抜けば、考えることをやめてすべてに屈してしまいそうになる。だから、そんな気持ちを振り払うように、振り絞るように語気を強めた。
「離してくれ! 大事な友達なんだよ!! 俺が助けなきゃいけないんだよ!!」
「友達……か」
男は、少しだけ言葉に詰まりながら、掴んでいた手の力を抜いた。
「悪いが……あれはもうお前の知っているやつじゃないんだ」
「は? どういうことだよ!! あれはブレッドだ!! お前に何がわかる!?」
俺は振り返り、突進するような勢いで男に食ってかかった。沸き上がる何かを塗りつぶすように。
しかし、男は告げた。突き刺すような視線を向けながら。
「〈魂〉を持っていかれている。あれは、限りなく死者に近い存在だ」
「ハハハ。何を言ってるんだよ……。だって、俺と会話して……」
「あの状態でも、しばらくは〈魂〉の残滓でそれっぽく振舞うことがある」
「何の根拠が……」
「少なくとも、お前よりは物を知っている」
「そんなこと……そんなわけ……はじめて会ったやつの言うことなんて信じられるかよ! 俺はこれからもアイツと旅を続けるんだ!!」
「旅か……」
「そうだ。俺たちは、誰の指図も受けずに好きなように旅を続けるんだ!!」
「おい、ガキ……」
男は、大きく吸い込んだ息と一緒に、腹の底から声を張り上げる。
「ガキがピクニック気分で旅なんてするんじゃねえ!!」
その覇気に気圧され、足が竦んでしまう。
「来い!」
そのまま襟首を掴まれた。
「アイツが〈魂〉を持っていかれたのはいつだ?」
「いつって……」
「何かが近くをかすめていかなかったか?」
「そう言えば……。30分くらい前だ。でも、一瞬のことだったし、触れてもいない」
「それはお前の感覚だ。ヤツらにとっては、それで十分な時間だし、〈魂〉に手の届く距離でもある」
「なあ、いったい……どういうことなんだよ?」
自分でも焦っているのが分かる。どんどん追い詰められていくようで、早鐘を打つ心臓を吐き出してしまいそうだ。でも、聞かないわけにはいかない。
男は、淡々とした調子で答える。
「お前の友達は、そのとき〈魂〉をかすめ取られたんだ。残った〈身体〉の方には、そこらへんの怨念めいたものが入り込んで、好き勝手振舞っている」
「そんな……。でも、それなら、〈魂〉を奪っていったやつを見つければ!」
「どっちに向かったかわかるか?」
「たぶん森の方だと思うけれど、それ以上は……」
「それで十分」
男はすぐに森に向かって走り出した。
俺は一瞬だけ振り返る。
「必ず助けてやるから、ちょっとだけ待っててくれ」
そう小さく呟くと、俺も男のあとに全力でついて行った。
男は何を頼りにしているのかわからなかったが、ほとんど立ち止まることなく森の中を進んでいった。俺は言われたとおり、その背中から離れないことだけに集中した。
やがて、男は立ち止まり右手を上げた。
「よし、お前はここで待っていろ」
男はマントの中に手を入れて何かをいじる。それからその場で両手を素早く複雑に動かした。
「すぐに戻るが、いま立っているところから一歩も動くな。絶対にだ」
男はそのまま真っ直ぐ森の一番暗い所に入っていった。
俺は不気味な森の真ん中で、ただ一人で立ち尽くした。言われなくても、一歩も動くことなんてできない。
木々のこすれる音、小さな羽虫の飛ぶ音も、妙に反響して聞こえる気がした。背中に嫌な汗が噴き出してくる。
男は言った通り、ほどなくして戻って来た。遠目に見たところ、何も変わった様子はない。
そのことを問い質そうとしたところで、男がその右手のやや下に、黒い靄のような何かを連れていることに気がついた。
男はそれを俺の前に持って来て見せた。ただでさえ暗いのに、その中で黒い靄の様子を正確に観察することは困難だったが、その様子から察するにその動きは男に封じられているようだった。
でも……。
「俺たちをかすめたやつには、確か手足があった。もっと人間みたいな形をしていた気がする……」
男は黙ったまま、両手を再び複雑に動かした。そのたびに、靄は濃淡を変え、形状を変えた。手の動きに同調し、共鳴しながら、徐々にその振れ幅を大きくしていく。
やがて黒い靄は、内部から湧き出すように膨らみはじめた。みるみるうちに大きくなり、それは人間とほぼ同じ形状になった。不気味にのっぺりした様子は、もちろん人間であるはずなどないのだが、背格好は完全に人間だった。
俺は目の前で起こるすべてに呆気に取られながらも、どうにか答える。
「こ、これだ……。コイツに間違いない!」
「そうか……」
「早く〈魂〉を取り返さないと!!」
せかす俺を見つめながら、落ち着いた様子の男は、さらに落ち着いた口調で言う。念を押すように。
「今から、お前の友達の〈魂〉を吐き出させる。いいか?」
「当たり前だ。早く!」
男は、みたび両手を中空に彷徨わせた。何かを描くようでいて、蝶が舞うような捉えどころのない動き。
正直、その動きが何のためのものなのかはさっぱり分からなかった。ただ、人の形をした黒い靄は、伸びたり折れ曲がったりしながら、男の手の動きに呼応するように形状を変えていった。声はまったくあげないが、悲鳴をあげながらもがき苦しんでいるようにも見えた。
「出てくるぞ」
男は何かの感触を得たようで、静かに告げる。
俺は、瞬きするのも忘れて見つめる。
それは拍子抜けするほど小さな、滴のような形をしていた。
ガラス玉よりもはるかに透明で、それなのにそれ自体が仄かに光っているように見えた。
黒い靄から零れ落ちるように出てきたそれは、雨粒が落ちる速度よりもはるかにゆっくりと落ちていく。
スローモーションで落ちていく。
時間の感覚をどこかに置き去りにしてきたように。
俺は、そこで手を伸ばしたかったのかもしれない。
もしくは、何か声を発したかったのかもしれない。
でも、何一つできず、ただそれが落ちていくのを見ていた。
ただ見ているだけの自分を感じていた。
滴は静かに音もなく地面に到達した。
その瞬間、無理やり留められてきた時間が一気に押し寄せてきたかのように、何かが身体の中を突き抜けていった。光と時間が爆発したようだった。いきなり昼になったような光の圧力を全身に感じた。
―――ライス……。
ブレッド?
―――悪かったな……。
声は聞こえなかった。
でも、声は確かに届いた。
それは、まさしくブレッドのものだった。
光の波は、退くときも急激だった。
あたりは、ただの暗い森になっていた。あの黒い靄は完全に消えていた。
「ブ、ブレッド……?」
俺と目の前の男以外、なんの気配もなかった。
「ブレッド? ブレッドは? ブレッド……?」
俺は、すがりつくような、懇願するような視線を男に向け、うわごとのように繰り返した。男は表情を変えず、何も答えなかった。
「お、おい! どういうことだよ? ブレッド……ブレッドは?」
「何て言っていた?」
「え? ……悪かったな……って?」
「そういうことだ」
男は、静かに俺の双眸を見下ろしていた。
俺は、男のマントを両手で掴みながら別の答えを求める。
「え……? なんだよ、それ? わかんねえよ?」
「お前は、友達の最期の言葉を聞き届けたんだ」
「は? な、なんだよ? 話が違うだろ!? ウソだろ!?」
「〈魂〉は、〈身体〉から切り離されたら、ほぼそれで終わりなんだ」
「助けてくれるんじゃなかったのかよ!?」
「俺は…………お前と同じくらい無力なんだ」
「こんな……。だって、こんなに町の近くで……」
「町?」
俺は地図を差し出した。
「これは古い地図だ。ここに書いてある町はすでに滅んでいる」
「ウソだ! 明かりだって見えていた!」
「あれは、生者を取り込もうとする生霊たちのものだ」
「俺は、お前らの不用心な焚き火に気付いて遠くから観察していたが、生霊しかいない町に向かって歩き出したのを見て急いで駆けつけたんだ。友達については、気の毒だった」
「な、なんで……」
すべてを失い、すべてを否定された気がした。この理不尽にどう向き合えば良いのか、まったくわからなかった。
「なんで、俺じゃなくてブレッドが……」
「一緒にいたのなら、それはただの運だ。確率的には半々」
運……だって? そんなあやふやなもので、ブレッドは……。
「自分が死んだ方が良かったか?」
「ああ。その方がマシだった」
「そうか。でも、生き残ったのはお前だ」
誰か……嘲笑って罵って怒鳴りつけて殴りつけてくれ……。
「クソ……。俺がくだらないことでアイツを連れださなければ……。ガキっぽい反抗心で旅に出たりしなければ」
「“そこ”にお前らの居場所はなかったのか?」
「そんなもの、なくたって……」
生きていける。少なくとも死ぬことはない。それで良かったじゃないか。
「いや……」
男は短く否定した。俺は、うつろな瞳を男に向ける。
男はその視線をしっかり受け止めながら言った。
「居場所がないとき、そこから逃げるのは別に悪いことではない。でも、逃げるというのは、戦場から離れて安全地帯に駆け込むことじゃない。新しい戦場に自ら突っ込んでいくということなんだ」
新しい戦場……。
「ただ、お前は知っておくべきだった。無知は人を殺すということを」
無知。
そう、俺は、俺たちはあまりに無知だった。馬鹿で無知で、実際は覚悟なんてものは何もないまま、こんなところまで来てしまったんだ。古い地図なんて握りしめて得意げになって、結局、大事なものは何一つ持っていなかったんだ。
本当に……救いようのない、馬鹿だ。
「クソ……クソ、クソ!! ウオオォォォォ!!!」
「おい、そんな大声をあげると生霊たちが集まってくるぞ」
「ウワァァァ!!!」
「チッ……。せいぜい泣きつくせ」
男はそれ以上は何も言わなかった。
周囲の闇という闇の中から、姿のはっきりしない禍々しい気配が噴き出してきた。男は、吠えることしかできない俺を脇に抱え、片手でそれを薙払っていく。
自分が迷惑だけをかけ、そしてさらに人を窮地に陥れようとしているのはわかっていた。でも、吠えることをやめられなかった。息をしなければ死ぬように、今の俺は、叫び続けなければ完全に壊れてしまう。
俺は、ただただ狂ったように意味を成さない声で喚き散らしていた。
「アアァァァァァ!!!」
――――――。
街道沿いの小さな茶屋の外に設けられた長椅子。
俺は視線を上に滑らせる。日は徐々に傾き、浮かぶ雲の断片が淡く紅に染まり始めていた。
「もうあれから一年か……」
「どうした? 日が暮れる前に峠を越えるぞ」
「はい、師匠」
俺は立ち上がった。そして、これから進む道の先を見据えた。
ブレッド――。
俺は性懲りもなく旅を続けているよ。
いつか、あのころの無知で無力で馬鹿な俺たちを見つけ出し、ぶん殴ってやるために。
そして、旅は――旅は続く。
(おわり)
============(以上です。以下、あとがき!)=============
ツイッター上で書かれたヤツが含んでいた要素を拾いながら、ちょっとダークファンタジーよりの少年漫画冒頭のようなノリで書いてみようと思って、そんなこんなでイヤハヤまいりました的な。
イヤハヤまいりました。
*裏設定*
主人公ライスの師匠の名はポテイト。
これから仇敵のパスタを倒すため、彼らは旅を続けます。
この炭水化物帝国に真の平和は訪れるのでしょうか?
決め台詞は、「お前らまとめて茹で上げてやんよ」
続く第二編では、タンパク連合国、神聖脂肪国との三つ巴の戦端が開かれる。
しかし、その背後には、ヴィタミンと呼ばれる謎の暗殺集団の影が。
いにしえより絶対中立を貫き、その存在がすでに伝説視されているミネラルの民が何かカギを握っているようだが?
sho