きっと何者にもなれない | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

きっと何者にもなれない

どうも遊木です。

先日は夏野ちゃんと旧メンバーの魁ちゃんと飲み会をしました。
フランクなことからディープなことまでいろいろ話ましたが、まぁ私は始終笑っていたような気がします。真面目なミーティングの場より、実は遊びや酒の席の方が相手の性格や嗜好ってわかりますよね。こういう場は定期的に持ちたいです。…ただ私の場合はやり過ぎると己のアホさを露見させる危険性があるギャフン



そしてようやっと輪るピングドラムを全部見ました。
自分は事前に少女革命ウテナを知っていたので、独特の演出や物語構成を割とすんなり受け入れられましたが、アレ、慣れていない人はどんな感想を抱くんでしょうね?そのへん、ちょっと興味あります。
内容は、キャラの雰囲気や舞台のような演出、所々のシュールさはそのままに、物語構成やキャラ同士の人間関係は現代に寄せてきているなと思いました。でも後半になるにつれて難解な要素が多くなる点や、ラストスパートに向かう流れはそのまんまウテナのときと同じ感覚になりましたね。ただピングドラムの方がウテナより、全体的にやや難解だった気がします。個人的には、銀河鉄道の夜の引用がちょいちょいされているのが良かったです。
あと、決め台詞である「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」って言い回しが好みです。巷では「生存戦略、しましょうか」の方が何かと取り上げられますが、ウテナの「世界を革命する力を」のように、物語の象徴を表現している台詞は“生存戦略”より“きっと何者にもなれない”の部分なのではないかと思いました。

まだ一周しかしてないので見落としている部分も多々あると思いますが、とりあえず幾原監督は「世界を革命する」とか「運命を乗り換える」とか、今ある世界の概念を人間の何かしらの強い意志を持って再構築する、みたいな雰囲気に思い入れがあるのでしょうか。
ウテナもピングドラムも、登場人物は世界を創りかえる、世界に根付いている形のない概念的なものを覆す力を得る、みたいなものを目指していますが、最終的にはどちらも世界が変わるというよりは、結果的にそれを目指していた人間の方が変化し、故にその人が与えていた周囲への影響も変化する。そして結局は世界は何も変わらずに、そこに存在していた人間が変化の影響を受け、世界が元とは違ったものに見えるようになった…という雰囲気ですよね。
そしてウテナもピングドラムも共に最後は、世界の変革を求めた主人公たちは“元いた場所”から去っていきます。私は個人的にこの演出を、そのキャラクターの精神的な成長、もしくは凝り固まった自己からの解脱、みたいなニュアンスで捉えていますが、HOLiCの10巻で「君は気付いた。だから気付かなかった頃には、もう戻れない」という言い回しがあるように、成長する、変わる、ということは、必ずしも多くの何かを得られるようになるわけではなく、むしろ損なうものの方が多いのではないか、という暗示のようにも思えます。自分は気が付いた。そして成長した。変わってしまった。だからもう元の姿には戻れない。元のように生きることはできない…というポジティブな要素とネガティブな要素が、表裏一体となって演出されているうまいやり方だなぁと思いました。

難解なところや説明不足だと感じる点もありましたが、個人的には非常に興味深い作品でした。
しかしピングドラムを見ると、今度はウテナを見直したくなりますな…。


aki