「言の葉の庭」感想 | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

「言の葉の庭」感想

遊木です。
最近はずっとAfter Effectsの話ばっかりだったので、ここでちょっと先日見た作品について書こうかと。

見よう見ようとは思っていたのですが、先送りにしていた新海誠監督『言の葉の庭』をようやく見ました。実は、新海監督の作品って『彼女と彼女の猫』以外しっかりと見たことがなかったのですが、何気なくYouTubeで↓↓を見たら無性に見たくなってしまい即行動。偶然『言の葉の庭』だけは手元に円盤があったので、思った瞬間PCに突っ込んで再生しましたよね。その間約5秒。







正直、感想を書くのがとても難しい作品でした。
多分私の文章力では伝えたいことの1割も表現できないと思います。
気になる人は、ぜひ作品の方をしっかりと見て下さい。


以下、ネタバレも含まれますので注意。






一言で表現するのなら、「美しい物語」だと思いました。
良い話とか、おもしろいとかではなく、ただただ透明で、美しい話だなぁと。

登場人物の設定などは、フィクションとしては決して珍しいものではありません。
夢を追って努力する少年と、女子生徒からのイジメにあって疲弊した女教師。


秋月の、苦労しているからこその夢へのひたむきさや、名前も歳も職業もずっとわからないままだった雪野へ対する、15歳ならではの不格好で、それでもひどく純粋な心。
雪野の、大人だからこその苦悩や慰め、立ち振る舞い、葛藤…27歳になっても全然賢くなれない自分の弱さへの無自覚な諦め。

それらが、絶妙なニュアンスで表現されていたと思います。



結論から言うと、これは2人が結ばれるための物語ではありません。

歳の差の問題か…というと私は個人的に、そうではないと思っています。そもそもこの2人の間に生まれたものは、「憧れ」だったのか「恋」だったのか「癒し」だったのか…もしくはもっと他の、それこそ名前も付けられないようなものだったのかもしれない。
でもそれらは、おそらく「15歳の、ひたむきに夢を追っている秋月」と、「疲弊して、一人で歩く練習をしていた27歳の雪野」だからこそ生まれたものだと思います。

もっと歳が近かったり、教師と生徒の関係じゃなかったり、違う出会い方をしていればとか、そういう要素を付加していったら、多分この物語の様な2人にはならなかったのではないかと。

このとき、この瞬間、このタイミングで出会った2人だからこその物語だと感じました。

まさに彼らが「それぞれの道を歩くために練習をしていた物語」だったのだと思います。




個人的に、靴を作ることが好きな秋月に雪野が、「私はあそこで一人で歩くための練習をしていた…靴がなくても」と返すのが印象的でした。

結局ラストまで2人の関係を明確に表現するような描写はありませんでしたが、その曖昧で、不明瞭で、不明確なつながりこそが、この物語の「美しさ」を創り上げているのではないかと思います。
ただどんなつながりであろうと、秋月が雪野に「惹かれていた」ことも、雪野が秋月に「癒されて」いたことも事実で、そして真実だったのだろうなと。




『彼女と彼女の猫』を見た時から、新海さんの世界観は好きだなぁというか、私の好みの波長だったというか、「自分が作ってみたい」と思うものにすごく似ていたので、今回は本能に従って即行鑑賞して良かったです。機会があったら是非みなさんも見てみて下さい。



aki