そこに宝があるはずなのだよ!
「キセキがばらばらになるなんて……!!
黒子っちがかわいそう……!!!」
と、漫画を読んだ勢いそのままに友人にLineを送り大爆笑されました。
コミックス派なのですが新刊が出るのがとても怖いです。
幸せな日々が壊れていく様を読むのが怖いんだよー……!!
夏野です、こんばんは!
今日は月に一度のRW飲み会でした。
今年の冬に私が入った時、私は十人目のメンバーでしたが、
そこから三人卒業してしまったので、今、RWのメンバーは全部で七人です。
旅立ちは素敵なことですが、やっぱり少しさみしいですね!
新しい仲間が増えるといいなーって、最近ちょくちょく思ってみたり。
さて。
突然ですが、人と一緒に物を創るというのは、とても難しいなーと思います。
集団制作という形になってくると、個人制作とはかなり勝手も違いますし。
私は大学で集団制作を中心に学んでいるのですが、
入学して初めての課題で、崩壊したグループが二つもありました。
全部でグループは五つだったので、崩壊率40%ということになりますね。
当時は「そりゃ出会ったばかりのクラスメイトとチーム組むんだからなかなか難しいよな」と思ったのですが、実際はそうではありませんでした。
友人としてクラスメイトと交流を深めても、集団制作というのは楽にならなかったからです。
むしろ相手のことを大事に思うが故に、
やりづらい一面というのも出てくるぐらいです。
そして、ひょんなことから監督、つまりチームのリーダーをやったとき、
私は集団制作の難しさを強く実感しました。
まず、リーダーというのは、チームを走らせなくてはなりません。
こういうことをしよう、という目的を与えて、
それに向かって努力してもらわねばなりません。
しかも学校の課題の一環です。お金が出る訳ではありません。
私にできることは、みんなに「こういう作品が創りたいんだ」と提示し、
それがいかに魅力的かを説明することだけでした。
きっといい物ができるから、そのために力を貸してほしいのだと。
宝の地図を書いて、この宝を探しにいこう、と仲間を探す作業でした。
これも大変なことでしたが、ここまではなんとかなりました。
しかし、いざ企画が走り出すと、
私は「いい物を創る」というよりも「完成させる」ということで手一杯になりました。
次から次へと「ここはどうしたらいい!?」と指示を仰がれる中で、
時間やお金といった「現実」と戦っていた覚えしかありません。
現場という海はいつでも大荒れで、経験が少ない私たちの船はすぐに沈みそうになりました。
右だ左だ、やれ波が来た、雨が降った、陸が見えないと、
船の上はいつも大騒ぎで、私はとにかく舵から手を離さないようにしようとそればかりでした。
船が港にたどり着くそのときまで、私には舵をきり続ける責任がありました。
ビジネスではない、ということが、航海を難しくしていたと思います。
港に辿り着けば褒美が出る訳ではない、宝探しの旅だったからです。
宝が見つからなくては船旅そのものの価値がぐんと下がってしまいます。
宝の在処について、私たちは何度も話し合い、時に衝突しました。
皆の考えや主張を取捨選択し、判断し、指示を出すのが私の仕事でした。
けれど結果的に、私は船旅を終えることで精一杯でした。
最終的に、私は強固に港に最短で戻るルートを主張し、
宝島への寄り道を許しませんでした。
何があってもとにかく締め切りまでに「完成」に行き着かなければ、と、
私はそれだけ考えていました。
この制作の時のことを、私は後悔しています。
もっと出来たんじゃないかと、完成した作品を観て思ったからです。
先生から講評を頂きながら、悔しさに唇を噛んだからです。
私が書いた宝の地図は、もっと。
辿り着けた、完成した、という事実に安心しながらも、
正直に、そう思いました。
完全に私の力不足でした。
集団制作にも、たくさんの形があるとは思いますが、
人と一緒に物を創ることは難しいと、実感しました。
そして同時に、それはとても面白いものなのだと改めて思いました。
ひとりで物を創るとき、それは長いマラソンのようだと思います。
ゴールを目指して一心不乱に走る、その道中には山があって谷があり、
天気は変わり息が切れ、苦しい道のりながらも楽しいです。
けれど、船に乗って、
「さぁ行こう!」と仲間と手を合わせるときの胸の高鳴りや、
地図を前にして、寝る間を惜しんであれこれと話をする楽しさや、
苦労して手に入れた宝の重みを分かち合ったときの喜びは、
やっぱりひとりじゃ味わえないものだと、そう思うんです。
私にとって誰かと一緒にやる物創りは、
「そつなく上手くやること」ではないんだと思います。
もちろん巧い作品に絶対的な価値があると、わかっているけれど。
価値観をぶつけ合い、みんなでより良い完成を目指す、
その過程自体が面白くて、好きなんだと思います。
だから難しいって知ってるのに、またやりたくなっちゃうんだよね。
きっと。
……早く新しい制作をするためにも、現実逃避してないで、
「卒業制作~終わりが見えない~」に取り組みたいと思います。
夏野でした!
aka
黒子っちがかわいそう……!!!」
と、漫画を読んだ勢いそのままに友人にLineを送り大爆笑されました。
コミックス派なのですが新刊が出るのがとても怖いです。
幸せな日々が壊れていく様を読むのが怖いんだよー……!!
夏野です、こんばんは!
今日は月に一度のRW飲み会でした。
今年の冬に私が入った時、私は十人目のメンバーでしたが、
そこから三人卒業してしまったので、今、RWのメンバーは全部で七人です。
旅立ちは素敵なことですが、やっぱり少しさみしいですね!
新しい仲間が増えるといいなーって、最近ちょくちょく思ってみたり。
さて。
突然ですが、人と一緒に物を創るというのは、とても難しいなーと思います。
集団制作という形になってくると、個人制作とはかなり勝手も違いますし。
私は大学で集団制作を中心に学んでいるのですが、
入学して初めての課題で、崩壊したグループが二つもありました。
全部でグループは五つだったので、崩壊率40%ということになりますね。
当時は「そりゃ出会ったばかりのクラスメイトとチーム組むんだからなかなか難しいよな」と思ったのですが、実際はそうではありませんでした。
友人としてクラスメイトと交流を深めても、集団制作というのは楽にならなかったからです。
むしろ相手のことを大事に思うが故に、
やりづらい一面というのも出てくるぐらいです。
そして、ひょんなことから監督、つまりチームのリーダーをやったとき、
私は集団制作の難しさを強く実感しました。
まず、リーダーというのは、チームを走らせなくてはなりません。
こういうことをしよう、という目的を与えて、
それに向かって努力してもらわねばなりません。
しかも学校の課題の一環です。お金が出る訳ではありません。
私にできることは、みんなに「こういう作品が創りたいんだ」と提示し、
それがいかに魅力的かを説明することだけでした。
きっといい物ができるから、そのために力を貸してほしいのだと。
宝の地図を書いて、この宝を探しにいこう、と仲間を探す作業でした。
これも大変なことでしたが、ここまではなんとかなりました。
しかし、いざ企画が走り出すと、
私は「いい物を創る」というよりも「完成させる」ということで手一杯になりました。
次から次へと「ここはどうしたらいい!?」と指示を仰がれる中で、
時間やお金といった「現実」と戦っていた覚えしかありません。
現場という海はいつでも大荒れで、経験が少ない私たちの船はすぐに沈みそうになりました。
右だ左だ、やれ波が来た、雨が降った、陸が見えないと、
船の上はいつも大騒ぎで、私はとにかく舵から手を離さないようにしようとそればかりでした。
船が港にたどり着くそのときまで、私には舵をきり続ける責任がありました。
ビジネスではない、ということが、航海を難しくしていたと思います。
港に辿り着けば褒美が出る訳ではない、宝探しの旅だったからです。
宝が見つからなくては船旅そのものの価値がぐんと下がってしまいます。
宝の在処について、私たちは何度も話し合い、時に衝突しました。
皆の考えや主張を取捨選択し、判断し、指示を出すのが私の仕事でした。
けれど結果的に、私は船旅を終えることで精一杯でした。
最終的に、私は強固に港に最短で戻るルートを主張し、
宝島への寄り道を許しませんでした。
何があってもとにかく締め切りまでに「完成」に行き着かなければ、と、
私はそれだけ考えていました。
この制作の時のことを、私は後悔しています。
もっと出来たんじゃないかと、完成した作品を観て思ったからです。
先生から講評を頂きながら、悔しさに唇を噛んだからです。
私が書いた宝の地図は、もっと。
辿り着けた、完成した、という事実に安心しながらも、
正直に、そう思いました。
完全に私の力不足でした。
集団制作にも、たくさんの形があるとは思いますが、
人と一緒に物を創ることは難しいと、実感しました。
そして同時に、それはとても面白いものなのだと改めて思いました。
ひとりで物を創るとき、それは長いマラソンのようだと思います。
ゴールを目指して一心不乱に走る、その道中には山があって谷があり、
天気は変わり息が切れ、苦しい道のりながらも楽しいです。
けれど、船に乗って、
「さぁ行こう!」と仲間と手を合わせるときの胸の高鳴りや、
地図を前にして、寝る間を惜しんであれこれと話をする楽しさや、
苦労して手に入れた宝の重みを分かち合ったときの喜びは、
やっぱりひとりじゃ味わえないものだと、そう思うんです。
私にとって誰かと一緒にやる物創りは、
「そつなく上手くやること」ではないんだと思います。
もちろん巧い作品に絶対的な価値があると、わかっているけれど。
価値観をぶつけ合い、みんなでより良い完成を目指す、
その過程自体が面白くて、好きなんだと思います。
だから難しいって知ってるのに、またやりたくなっちゃうんだよね。
きっと。
……早く新しい制作をするためにも、現実逃避してないで、
「卒業制作~終わりが見えない~」に取り組みたいと思います。
夏野でした!
aka