二次創作の繁栄
どうも遊木です。
最近あんまりお天気がよろしくなくて、大きい洗濯物をいつ洗うか迷っています。
最近、ふとPixivを巡っているときに「何故こんなにも二次創作は繁栄しているのか」ということを考えておりました。
根本的な理由はぱっと思いつきませんでしたが、繁栄させている一要因としてあげられるのが多分、作品掲載の「スピード」なんだと思います。例えば、漫画ならどんなに早くても週刊連載、普通は月間、隔月、それ以上のもあります。そしてアニメは基本週一、刀語とかは月一でしたね。
普通に考えれば、好きな作品は早く続きを見たいと思うわけですから、ファンからすれば毎日のように内容が更新されるのが一番ありがたいわけですよ。でも、私の考えでは、毎日のように作品の続きが見られるようになったら、ここまで二次創作は繁栄しなかったと思います。
次回まで待たされる期間、所謂「お預けタイム」が、二次創作繁栄のポイントになっているのではないかと。
例えば、ギアスR2の「TURN 21」放送後から「TURN 22」が放送されるまでの1週間、二次創作界隈はものすごい勢いで燃え上がって(萌え上がって)おりました。「次が放送されるまでが勝負!」みたいな感じで、みんな、ルル、スザク、C.Cの空白の逃亡期間を妄想していたわけですね。
これは、何を妄想しても公式がネタを明かすまではみな平等である、という説が爆発したわけです。まぁ結局、公式でこの空白の期間を描かれることはなかったわけですが。(小説は未読です)
この「公式がネタを明かすまでは自由」っていうのが、結構二次創作の上では重要なポイントなんだと思います。公式がネタを明かしてしまえば誰が何と言おうと、それが頂点なわけです。予想も妄想も二次創作も公式の前には、みな膝を折るしかない。でも、だからこそ妄想が自由であり、頂点が存在しない僅かな期間に、みんな力の限り妄想を膨らませるのではないでしょうか。そしてそれが、二次創作において重要な原動力となっている。
だからもし、毎日のように作品の続きが読めるような制作スピードになってしまったら、二次創作が廃れるとまではいかなくても、勢いは弱まるのではないかと思います。これは体験談ですが、私自身、撮り溜めして一気に見たアニメは、「楽しい」とは思えても「妄想して楽しい」という感覚を覚えるものはありませんでした。だって、妄想する前にすぐ続きを見れてしまうから。すぐ本家が見られるのに、妄想する必要なんかないと、脳が勝手に思ってしまうんですね。
正直な話、二次創作やそのファンが、本家を支えている大切な一部というのは否定できないでしょう。
例えば、ドラえもん最終回都市伝説に含まれて語られる、「ドラえもんの開発者はのび太説」というのは、本家のファンがファンであるが故に制作した二次創作物です。いろいろ重なってニュースにもなってしまいましたが、これも愛ある故の作品だと思いますし、人々が「ドラえもんの最終回」について注目するきっかけにもなったでしょう。(もともとドラえもんは有名ですけどね)
最近だとグッズとかも、明らかにその層を狙っていると思えるものも増えています。二次創作否定派からしたら許せないと思うほど、言い方は悪いですが明らかに媚びている思わせる商品もあります。(まぁ、売れるなら仕方ないだろうとか思っちゃいますけどね)でも、そういった層の人たちが本家を支えている一部であることも覆せない事実。だから二次創作好きも否定派も、うまく自分たちの活動領域を住み分けて、「この作品のファンである」という事実のもとでは仲良くやっていければなと思います。
だから著作権法が云々とか言う人は、コミケが日本の経済に与えている影響とか、その辺の事情をもっと勉強して、この界隈の現実を知ってからいろいろ考えて欲しいんだよ、っていう話です。
aki
最近あんまりお天気がよろしくなくて、大きい洗濯物をいつ洗うか迷っています。
最近、ふとPixivを巡っているときに「何故こんなにも二次創作は繁栄しているのか」ということを考えておりました。
根本的な理由はぱっと思いつきませんでしたが、繁栄させている一要因としてあげられるのが多分、作品掲載の「スピード」なんだと思います。例えば、漫画ならどんなに早くても週刊連載、普通は月間、隔月、それ以上のもあります。そしてアニメは基本週一、刀語とかは月一でしたね。
普通に考えれば、好きな作品は早く続きを見たいと思うわけですから、ファンからすれば毎日のように内容が更新されるのが一番ありがたいわけですよ。でも、私の考えでは、毎日のように作品の続きが見られるようになったら、ここまで二次創作は繁栄しなかったと思います。
次回まで待たされる期間、所謂「お預けタイム」が、二次創作繁栄のポイントになっているのではないかと。
例えば、ギアスR2の「TURN 21」放送後から「TURN 22」が放送されるまでの1週間、二次創作界隈はものすごい勢いで燃え上がって(萌え上がって)おりました。「次が放送されるまでが勝負!」みたいな感じで、みんな、ルル、スザク、C.Cの空白の逃亡期間を妄想していたわけですね。
これは、何を妄想しても公式がネタを明かすまではみな平等である、という説が爆発したわけです。まぁ結局、公式でこの空白の期間を描かれることはなかったわけですが。(小説は未読です)
この「公式がネタを明かすまでは自由」っていうのが、結構二次創作の上では重要なポイントなんだと思います。公式がネタを明かしてしまえば誰が何と言おうと、それが頂点なわけです。予想も妄想も二次創作も公式の前には、みな膝を折るしかない。でも、だからこそ妄想が自由であり、頂点が存在しない僅かな期間に、みんな力の限り妄想を膨らませるのではないでしょうか。そしてそれが、二次創作において重要な原動力となっている。
だからもし、毎日のように作品の続きが読めるような制作スピードになってしまったら、二次創作が廃れるとまではいかなくても、勢いは弱まるのではないかと思います。これは体験談ですが、私自身、撮り溜めして一気に見たアニメは、「楽しい」とは思えても「妄想して楽しい」という感覚を覚えるものはありませんでした。だって、妄想する前にすぐ続きを見れてしまうから。すぐ本家が見られるのに、妄想する必要なんかないと、脳が勝手に思ってしまうんですね。
正直な話、二次創作やそのファンが、本家を支えている大切な一部というのは否定できないでしょう。
例えば、ドラえもん最終回都市伝説に含まれて語られる、「ドラえもんの開発者はのび太説」というのは、本家のファンがファンであるが故に制作した二次創作物です。いろいろ重なってニュースにもなってしまいましたが、これも愛ある故の作品だと思いますし、人々が「ドラえもんの最終回」について注目するきっかけにもなったでしょう。(もともとドラえもんは有名ですけどね)
最近だとグッズとかも、明らかにその層を狙っていると思えるものも増えています。二次創作否定派からしたら許せないと思うほど、言い方は悪いですが明らかに媚びている思わせる商品もあります。(まぁ、売れるなら仕方ないだろうとか思っちゃいますけどね)でも、そういった層の人たちが本家を支えている一部であることも覆せない事実。だから二次創作好きも否定派も、うまく自分たちの活動領域を住み分けて、「この作品のファンである」という事実のもとでは仲良くやっていければなと思います。
だから著作権法が云々とか言う人は、コミケが日本の経済に与えている影響とか、その辺の事情をもっと勉強して、この界隈の現実を知ってからいろいろ考えて欲しいんだよ、っていう話です。
aki