心の視野―クリスチャン・ラッセン展
遊木です。
先日はミーティングの前に、サークルメンバー数名とクリスチャン・ラッセン展に行ってきました。
毎年行こう行こうと思って逃していたので、今年はちゃんと行けてなんだか妙な達成感があります。

以前から思っていましたが、ラッセンの作品からはとても素直で誠実な印象を受けます。
ビジュアルの美しさ以上に、絵を描くのが好き、海が好き、海の生き物が好き、というように、本当に自分が好きなものを、好きなように表現しているんだなぁと感じます。変な見栄やひねくれた面が全然作品に出ていないんですよね。
ラッセンの作品に触れた多くの人が、「なんでこんなに綺麗な作品が描けるんだろう」と一度は考えるのではないかと思います。彼が描くものは、リアルの世界よりずっと美しく、幻想的で、夢にあふれているように思える。彼は何故、こんな世界を描けるのだろう?と。
多分それは、画力の問題とか、色彩感覚とか、そういった部類の話ではないように私は思っています。
おそらくラッセンの目には、単純に世界が彼の描いた作品のように見えているのではないか、自分の目にうつったものを、そのまま描いているのではないか、そう考えています。
海は綺麗で、波は白く、生き物たちは可愛くて、魚やサンゴは鮮やか。
ラッセンの作品に触れると、現実世界もこんなに美しければ良いのにと、そう思わずにはいられない。もしかしたら、彼には現実の世界が、彼の作品のような美しいものに映っているのかもしれない。だからこそ、ああいった作品を生み出せるのかもしれない。そう考えています。
ラッセンの作品が広い支持を集めているのは、多くの人が心のどこかで、世界が美しければ良いのにと願っていて、そう思う人たちの心の琴線に触れるからなのかもしれません。
そして、そういった作品を創れるのは、彼自身が素直に世界を愛し、その思いを誠実に表現しているからなのではないでしょうか。
自分の作品で誰かに幸せになって欲しい、夢を与えたい、楽しい気持ちになって欲しい、そう思ったとき、やっぱり大切なのは作者が持っている、「心の視野」なのかなと思いました。同じ景色を見ていても、その人が持っている視野の種類で世界はガラリと変わるものですよね。
良い作品を見るたびに、ものを創りだすことへの魅力に嵌る感覚を、ひしひしと感じる今日この頃でした。
aki
先日はミーティングの前に、サークルメンバー数名とクリスチャン・ラッセン展に行ってきました。
毎年行こう行こうと思って逃していたので、今年はちゃんと行けてなんだか妙な達成感があります。

以前から思っていましたが、ラッセンの作品からはとても素直で誠実な印象を受けます。
ビジュアルの美しさ以上に、絵を描くのが好き、海が好き、海の生き物が好き、というように、本当に自分が好きなものを、好きなように表現しているんだなぁと感じます。変な見栄やひねくれた面が全然作品に出ていないんですよね。
ラッセンの作品に触れた多くの人が、「なんでこんなに綺麗な作品が描けるんだろう」と一度は考えるのではないかと思います。彼が描くものは、リアルの世界よりずっと美しく、幻想的で、夢にあふれているように思える。彼は何故、こんな世界を描けるのだろう?と。
多分それは、画力の問題とか、色彩感覚とか、そういった部類の話ではないように私は思っています。
おそらくラッセンの目には、単純に世界が彼の描いた作品のように見えているのではないか、自分の目にうつったものを、そのまま描いているのではないか、そう考えています。
海は綺麗で、波は白く、生き物たちは可愛くて、魚やサンゴは鮮やか。
ラッセンの作品に触れると、現実世界もこんなに美しければ良いのにと、そう思わずにはいられない。もしかしたら、彼には現実の世界が、彼の作品のような美しいものに映っているのかもしれない。だからこそ、ああいった作品を生み出せるのかもしれない。そう考えています。
ラッセンの作品が広い支持を集めているのは、多くの人が心のどこかで、世界が美しければ良いのにと願っていて、そう思う人たちの心の琴線に触れるからなのかもしれません。
そして、そういった作品を創れるのは、彼自身が素直に世界を愛し、その思いを誠実に表現しているからなのではないでしょうか。
自分の作品で誰かに幸せになって欲しい、夢を与えたい、楽しい気持ちになって欲しい、そう思ったとき、やっぱり大切なのは作者が持っている、「心の視野」なのかなと思いました。同じ景色を見ていても、その人が持っている視野の種類で世界はガラリと変わるものですよね。
良い作品を見るたびに、ものを創りだすことへの魅力に嵌る感覚を、ひしひしと感じる今日この頃でした。
aki