支えている部分と、支えられている部分の責任。 | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

支えている部分と、支えられている部分の責任。

遊木です。

現在、夏コミで頒布予定のノベルゲーを、完成に向けて制作陣一同頑張っております。
求めるものに対して、明らかにマンパワー足りてないだろ的な制作スケジュールっていうか仕事量ですが、これを乗り越えれば何かに進化できるんじゃないかと暗示をかけつつ、作業を進めている次第です。

自分は主に、絵関係の統括、背景の作画、デザインなどをしておりますが、どの作業が一番大変って、統括かなぁとか思ったのですが、冷静に考え直すとやっぱり作画だと感じました。

このゲームを作り出したときから背景担当ですが、初めはそもそもデジタルで線画を描いたことすらなく、PCでの作業は最低限の着彩しかしてこなかった身でした。だから、今になって初めの頃のを見直すと、「なんかいっぱいいっぱいだったのね…」と感じます。

統括や指示みたいな裏方の作業ももちろん大変ですが、私はこういう作品の場合、結局、作品評価の責任は表に出ている部分が負うものだと思っています。どんなに裏方が優秀でも、プレイヤーからしてみれば、そんなのまったく関係がないところ。最終的には、完成したときに表に出ている部分が評価の99%を占めてしまうのだろうなぁと。
だから、自分の場合一番神経を使うのは、なんだかんだ表に出す部分でした。


でも正直、表に出ている所なんて、全体の上澄み部分だけですよね。

アニメでも漫画でもゲームでも、作品って、その上澄みの部分しか見せられない。
本当はもっと手間がかかって、面倒で、時間がかかった作業が沢山あるのに、それは作品として表に出せない。
もどかしいなぁと思ってしまいます。
まぁだから設定資料集とかを出すわけですけど。


こうやって制作をしていると、「見えない部分」の厚みが、いかに「見える部分=表で評価されるところ」を支えているか身にしみてわかります。

自分の制作においても、この感覚は大事にしていきたいです。




乱歩酔歩

↑↑は完成版で出てくる風景です。
背景描いてると、このゲーム、ジャンルの統一感のなさをひしひしと感じます笑
イベントでお客さんに「ジャンルはなんですか?」って聞かれると、めっちゃ困る。

ホントこれジャンル何よ。


aki