The Potential of "Manga".―漫画の可能性― | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

The Potential of "Manga".―漫画の可能性―

はいはい、なんだか寒くて久しぶりにコンポタ飲んでる遊木です。

本当は昨日、四月馬鹿ネタで記事を書こうと思ってたのですが、先に薙ちゃんが盛大なネタを披露してくれたので自重しました。…オムニス、いつ発売されるんですかね。楽しみすぎて夜しか眠れません。


さて、4月のテーマは「The Potential of "Manga".―漫画の可能性―」です。
というのも、漫画制作ドキュメンタリーPが今月山場だからで、おそらくメンバーは修羅場を2、3回体験すると思われるからです。ぷぎゃー


ところで、漫画の可能性ってなんでしょうか。
個人的に日本の漫画文化は世界に誇れるだけの価値があると思っていますが、じゃぁその可能性ってどういったものなのか。漫画の魅力って何なのか。

まずその一つが、「誰かに伝えたいけど、文字や言葉にはしたくはない」という、人間が持つ微妙なニュアンスの表現が可能なところだと思います。表情はもちろん、たとえ登場人物の顔が見えなかったとしても、例えば髪のなびき方とか、ひとつだけ挟まれる空白のコマだとか、そういった要素でも心情を表現できる。これは漫画独自の特性だと思います。
例えば、ふわりと舞った女の子の髪に目を奪われるシーンでも、文字として「僕は、ふわりと舞ったその少女の髪に、目を奪われて呆けてしまった」と書いてしまうと、本当に伝えたいニュアンスとはだいぶ変わってくると思うんですよね。
そういった、言葉ではなかなか伝えにくい感情の機微とかの表現と、すごく相性が良いと思います。そして、その辺が実に日本人が好みそうな表現でもあると思います。

あとは、想像の自由度でしょうか。
漫画は、絵があって、セリフがあって、効果音の表現があって…いろいろな要素があります。しかし、それらの要素を最終的に完成させるのを、読み手に委ねてるんですよね。読む人間が100人いるなら、きっと主人公の声も100通りある。効果音の大きさ、BGMなどもしかりです。
多分小説は想像の自由度が高すぎるし、アニメは自由度が低い。文字だけの場合だと、読解力によってかなりの差がでてしまうのでしょう。だから活字離れという言葉もあるわけです。まぁ私は文字だけも好きですが。
そしてアニメの場合は、情報が固定されすぎて、見た人間が想像で補うところが少ないのでしょう。ただ、だからこそ完成度は一番高い気がしますけどね。

これらと比べると、漫画は適度に自由で適度に固定されている存在なのではないでしょうか。だから、(もちろん個人差、作品差はありますが)疲れるほど頭を使わない、飽きるほど暇になるわけでもない。このスタイルが、多くの人に受け入れられている要因の一つなのではないかと。
外国だとわかりませんが、このいろいろグレーな立ち位置が、日本人の色と合っている気がします。


話を戻して漫画の可能性について…これは漫画に限らずあらゆるジャンルの創作にあてはまる、あてはまって欲しいことですが、やっぱりどんな形であれ「誰かを救う」存在であってほしいです。それが、直接的なことでなくても。
何のために創作しているのか、そう問われたときに、自分が楽しいから、誰かを楽しませたいから、ある一定の人たちに伝えたいことがあるからetc…いろいろな答えがあると思いますが、どれも突き詰めれば、みんな誰かを、何かを、あるいは自分を、「救いたい」からというところに辿り着くのではないかと…。
そして少なくとも日本という場においては、漫画は表現の伝えやすさやいろんな要素のバランス面において、他ジャンルより一歩抜きん出ている。漫画を描く側としてはそう思いたいです。




なんだか長々書いたな…。
まぁつまりは今月修羅場ということですまる


aki