日本は世界から見れば宗教に関して寛容な方です。宗教と関わらなくてよいとの考え方を持つ人が多くいます。法事などにしばられて苦労している方も多くいますが、世界から見ればまだましな方でしょう。日本人が宗教で争うことは少ないですから。

 
 そんな中、仏教は線香をあげればあの世のみちしるべを示すと、日本では人間なりの解釈がありますが、仏教の子でも私立のキリスト教の学校に通えます。
 つまり、日本は他者をまだ受け入れる方なのです。それはなぜか。日本には神様が沢山いるとの解釈があるからです。実際、神様は大勢います。神様は一人だけではありません。霊力がつけばそれはのちにわかります。
 
 イスラム教、キリスト教、ユダヤ教は同じ神様を信仰してもめています。おかしな話です。そもそも神様は一つの魂しか存在しないとの解釈も違いますが、彼らは同じ神様で喧嘩しています。どんな神様も、信仰心で喧嘩してほしいと思いません。むしろ愚かだと怒っています。

  他民族への虐殺は、どんな神様も激怒します。他民族への攻撃を擁護するのも、推し進めるのも、思想が発達していない証拠です。

 前置きが非常に長くなりましたが、なぜ人は宗教を求めるかというと、誰もが救われて道しるべがほしいからです。宗教はそこに依存すれば安心感を得られ、一時的に苦しみが解放されると錯覚するのです。その解放感は麻薬の依存性と同じように、安心感から出たくなく、中毒性が生まれるのです。中毒になっている間は、誰がどんな苦しみでもがこうと、気にとめる目がなくなっています。自分の居心地さに依存して、判断力をとられてしまう、人間の力がいつのまにか失うのです。
 
 神様は、人間の力で考えて生きていってほしいのです。神様は宗教も、人間としての道徳を守らないのは、それは宗教ではなく、宗教を口実とした自分を満足させるための行動だとみなしています。