器の大きい者は折り合いをつけて、妥協することができますが、器が小さい者はそれができない傾向にあります。賢い者は引き際で下がりますが、すべてを手に入れようとする者は引き際をしらずに前進します。そして、すべてを得ようとして交渉事で不利になり、結局は手に入らない傾向にあります。
 また相手は何も言わずに引き下がっているのに、ひとこと言わなければ気が済まず、喧嘩腰になる人もいます。それは幼稚な思考経路です。言われた人は無視するか、正論で返すか、どちらでも構いませんが、たいして影響がなければ正論で返してやってもよいでしょう。本当は無視する方が賢いですが、あまりにも言われようがひどければ時には正論をぶつけても構いません。引きずるよりは、そこで気を晴らしてしまう方が自分にとってましな場合もあります。
 
 正論で返される方は精神的にダメージを追いやすいです。引き下がっているのに騒ぎたてる人は、たいてい言いたいことがまとまっていない、子供のようにごねて自分が勝ちたいとの思いが強いです。無難に事を荒立てずに離れようとしても、心が狭い人は自分の意見をどうしてもと相手にぶつけてしまい、その相手も黙っていられないとの状況に陥りやすいです。お互いに傷つきたくない場合は引き下がっている人を追いかけないのがよいでしょう。
 
 また、協議では冷静に話せる者同士であれば、お互いに折り合いをつけて、お互いに良い方へと導くために譲歩ができますが、一方が逆上する、のらりくらりと交わす人には正論が通じません。それでも生活をおびやかすほどの金銭的な被害などにあっていれば、少しでも取り戻すように努力するべきでしょう。不本意なことに、被害にあっているにもかかわらず、すべて戻らなくとも、ある程度のところで折り合いをつける方が賢い場合もあるでしょう。正論が通じない相手には、何も返ってこないよりはましとの考え方です。
 
 成長している人は引き際、闘う時の見極めの判断力がついています。そして、何事も自分が正しいと思い込んで動くのではなく、上手に話し合って対等に付き合うのが人としての道理です。相手の意見も聞いて、こうだと思えることも大事です。これには、身分の差、年齢の差、職業の違いなどは関係ありません。
 お互いに対等に意見できて、皆が思っている枠や常識から外れたところに答えが出ることもあるでしょう。自由に話し合って、互いに折り合いをつけて成立するのが対等な付き合い方です。対等に付き合えず、上から下を押さえつけるように自分が正しいと振る舞うのは、一方が満足しているだけです。対等に付き合うことを忘れてしまえば、人類は何も成長していきません。そして、衰退していくのみです。
 
 自分が黙っていて、あとであの時はこんな思いだったなどと本人に言うのはひきょうな人です。その場で、堂々と発言できる大胆さ、何事も上手に交わせる賢さ、その二つが今日本人にかけている傾向にあります。生活に影響がない程度で、自分が意見して追い出されるのであれば、追い出されてよいのです。職場も合わなければ自由に変えていっても構いません。勢いは大胆ですが、むやみな大胆ではなくその場に適した対応できる大胆さをそなえる必要もあります。
 心が狭い人は、外部から見れば見苦しいものです。賢く立ち回るためには、どのような場合でも冷静に咄嗟に判断できなければなりません。それは経験のみではなく、その人の性質にもかかわっているといえるでしょう。