この世、理由付けが好きな方が多いですが、その人にとって無意味なこともあります。何かを見てきたとしても、怪我や病気などで失うことが多く、悲しい場合もあります。 

 災害も天罰ではありません。戦争も天罰ではありません。また、事故や事件も天罰ではありません。 

 今地震が増えていますが、たとえ大きな地震で怪我などをしたとしても、それは一切天罰ではありません。理由付けもしてはなりません。人に寄りそえる人は理由付けをしないでしょう。ただ、次はこうならないようにとの対策は考えるでしょう。人は対策を考えることによって、善処していきます。 こんなことがあったから、こういう方に改善ができたはまだ理由付けとしてはましでしょう。ただし、第三者が適当に自分の目線で、その人の人生をすべてわかってもいないのに、理由付けを考えるのは相手の人生の尊厳を無視しているのに等しい行為です。 

 皆、災害や事故、事件などに遭いたくありません。災害は自然の中でいきているからおきてしまうものです。対策はねられても、誰も災害の防ぎようはありません。事故や事件も災害と同様です。 

 いつこれらのことでわが身になるかはわかりません。しかし、いざ自分の身になったとき、どういう言動をされたら悲しいか考えてみましょう。  

 日本ではありませんが、宗教家が災害で理由付して問題になったニュースもありましたが、神様の怒りで代償になる人は誰一人いません。 

 神様はどんなに怒っていたとしても、人殺しや怪我、病気にさせることはしません。神様は戦争も嫌います。しかし、人間が戦争を起こすのです。 

 また神様は今生きている人だけの尊厳をいうのではなく、魂に対しての尊厳も大事にしています。