私に会うためにわざわざ空港まで来てくださってありがとうございました。
短い時間でしたが、私の気持ちや感情を誰よりも理解してくれ、受け止めてくれ、今の私にはとても必要で夢のようなひと時でした。
あれから約三週間。
アメリカの我が家に戻った翌日に、娘のセラピストから早速の連絡。
一気に現実に戻された瞬間。
拒食症の症状が出ているため、娘の体重を自宅で測かり、でも数字は見せないこと。それと次のセッションでは私も同席してほしい。
だけど家で体重を管理してしまうと、娘はどんな手段を使ってでも体重計を探してしまうし、体重が何キロか執拗に聞いてくるに違いない。
だからセラピストのオフィスで管理してほしいと提案すると、こころよくオーケーしてくれた。
そしてセッションの当日。
私が日本に帰国している間、2度ほど娘はセッションを受けていたけれど、何度かセラピストとぶつかったらしく、二人の間はビリビリと光線が出ているような雰囲気。
娘は体重を測ることに断固として反対し、セラピストは体重が減っているかもしれないという理由から測りたくないんだと娘を責めた。
そしていつものように、私に今の娘の状態をどんな風に考えているか聞いてきた。
今までどんな辛い思いをしてきたか、娘が一番分かっている。だから私は娘を信じていると答えた。
そんな私の甘い考えにセラピストは、もっと危機感を持ってほしいと言った。
もし娘さんが癌だったらどうしますか?
内心、娘は癌じゃないし、もし癌だったら、自分から治したいと言って治療はするだろうし、それに癌と摂食障害を一緒にするのはもううんざり。
そう思っていた。
結局娘は怒りながら、数字を見せるという条件で体重計にのった。
結局体重は3週間前のドクターの検診から、セラピストの予想とは違い増えていた。
娘はよっぽどショックだったらしく、泣きながらセラピストを責め、もうセッションには来ないと言い放った。
するとセラピストはあなたが辞めても、私のセッションを受けたい人はたくさんいるの。あなたの代わりなんて2秒で埋まってしまうと言うと、
オーケー!と娘。
だけど私がそうしないのはあなたを諦めたくないから。
だけど娘の気持ちは変わらない。
二人を繋いでいた糸がプッツンと切れ、修復不可能になってしまった。
セッションから一週間経ち、今でも娘の気持ちは変わらない。
摂食障害になってもうすぐ三年。
本人に治したい、摂食障害を克服したいという強い意志がない限り、周りがありとあらゆる手を使ってもどうにもならないのがこの病気の難しいところ。
アメリカは摂食障害の治療が進んでいると言うけれど。
結局本人次第。
そう思う私は、多分母親失格。少なくともアメリカでは。