➖今日の一言➖
「失敗した」は
チャレンジした証拠
第一章 私を先生にした先生たち
3 小池先生との二年間(8)
私の母の口癖は「お前なんかに〜」だった。「お前なんかにわかるわけない」「お前なんかにできるわけない」という言葉を何かにつけて言われていた。だからといって憎まれていたわけではない。むしろ過保護な母だった。こうした言葉も『だから私がついてなきゃ』という、母なりの愛情表現だったのだと思う。何か言うと必ず否定されるので、私は自分が言いたいことをいうのではなく、どう言えば気に入ってもらえるかに気をつかう子どもになっていた。
小学校で『教師の言うことが聞けない』『やたら屁理屈を言うやりにくい子』そして最後は、通知票に『病院で診てもらった方がいい』とまで書かれるような問題児になったのは、家で否定され続けていた反動だったのかもしれない。反面、怒られるのがこわくて、嘘をついてしまう気の小ささも、そうした家庭環境の中で生まれたものだと思う。
そういう卑屈になっていた私を『お前にはこんなにいいところがあるんだぞ』と教えてくれたのが小池先生だった。小池先生は私の人生観を根底からひっくり返した先生だと言っても大袈裟ではない。
しかし、思い返せば、私を支えてくれた先生は小池先生だけではないことに気付く。
幼稚園のとき、トイレに行きたくても言えないで、一年間に五回もおもらしをした私を、いつも「大丈夫だよ」と笑顔で下着を取り替えてくれた先生。
小学三年生のとき、泳げなかった私につきっきりでバタ足ができるようにしてくれた先生。
小学五、六年生のときの音楽の先生は、授業のほとんどがおしゃべりで、授業らしいことをやったのは、最後の10分ぐらい。でも、その10分で音楽の楽しさを教えてくれた。(ちなみに、この先生はジャズが大好きで、のちに『東京ニイニイゼミポップスバンド』という小学生だけのジャズバンドを作り、テレビ出演をしたこともある、すごい先生なのだ)
こうした先生たちの影響を自分が教員になってからも強く受けることになる。
とにかく、私は小池先生のおかげで前を向くことができるようになり、とても濃い二年間を送り、晴れがましい気持ちで小学校を卒業した。
しかし、その後の中学生活は甘いものではなかった。またまた幾多の壁にぶつかることになる。
(つづく)
