うっかり寝てしまい、気がつくと日付が変わっていました💦毎日投稿しようと決めたのに😭ごめんなさい🙇♀️
では早速本題に入ります!
私が幼い頃の母の口癖は「お前なんかに」でした。
「お前なんかにわかるわけない」「お前なんかにできるわけない」こんな感じでした。
母は非常に愛情深く私を育ててくれました。この言葉は、強い母性本能からくるものだったのだと思います。「私がついてなきゃだめなのよ」という。
そんなふうでしたから、私が中学二年になってからの反抗期は非常に強く、また長く続きました。
母も負けん気の強い人でしたから、黙ってはいません。私が1回目の大学受験を失敗し、浪人をしているとき、ある日母にひどい言葉で口答えをすると、母は「私は歳をとってもお前の世話になんかなるかはないんだから、調子に乗るな!お前なんかどこででものたれ死ね!」と怒鳴られました。堪忍袋の尾が切れたというのはまさにこういうことを言うのでしょう。
これはさすがにこたえました😱
母はその言葉の通り、癌になっても私を頼ろうとせず、亡くなりました。さすがだなと思いました。
50歳を超えていた私が、そのとき子供のとき以来何十年かぶりに声を出して泣きました。
今は「自己肯定感」とか「子どもの主体性の尊重」などということが盛んに言われています。
耳あたりの良い言葉で、私もこれらの言葉を支持する立場ですが、
幼い子どもに、問題があっても「君は君のままでいいんだよ」とか、間違ったことをしていても「でも子どもがやりたいって言うので」などと無責任に子どもの言いなりになっている大人を見ると、その子の将来が心配になることがあります。これは「子どもの意思の尊重」に名を借りた「育児放棄」ではないかと。(これは親に限らず、保育士や教師も含めてです)
そして、子どものなすがままにさせることが正しいことだと思っている大人が意外と多いのです。
「自己肯定感」「子どもの主体性」を正しく理解していない大人がなんと多いことか!
子どもは叱る大人を決して嫌いではありません。
むしろ適切に叱ってくれる大人には厚い信頼を寄せるものです。
今回は経験談を述べているうちに、前置きが長くなってしまいました。
「自己肯定感」と「子どもの主体性」そして「承認欲求」の話は、また次回に続けることにします。
今日は時間も遅くなってしまったので、このへんで失礼します。ごめんなさい🙇♀️