4月に入り、ようやく暖かくなってきた今日この頃
今年はいつまでも寒い春が続き、3月はずっと通勤に
ロングのダウンコートが手放せず、
そんな中、やってきた3月29日。

今年もこの日を迎えることができました。
乳がんをいきなり告知された日から6度目の春が、
ちょうど5年経ちました。

5年先を思うと長いのに、いざ月日が経ってしまえば短い。
あの頃、標準治療から逃げた私は5年生きられればいいと、
そう思っていました。そして、無治療でも5年生きられるだろう
と考えてました。
今思うと甘い考えでしたが………

病状の悪化に伴う辛い症状やQOLの低下なんて
全く考えてなく、漠然と死だけがやって来る。そんな
ふうに考えていたような気がします。愚かにも。
しかし、 いやぁ、あのまま無治療を貫いて
いたら確実に私、5年どころか3年生きられたか?

5年先に訪れるであろう死は、身近なものでなく、
ぼんやりとした、いつか来るだろう、ぐらいにしか
考えてなく。

しかしいざ5年を迎えるとジタバタするばかりで
あの頃は、真剣に考えていたのだろうか?
やはり現実逃避の安直な考えと、一時しのぎに
すぎなかったんだろうな、と

私はいわゆるおひとり様で、育て守らないといけない子供は
いないし、私が先に居なくなっても物凄く困まることも
なく、弟がいるので母のことはなんとかなる。
ぴょんは告知当時はいなかった。
(現在はぴょんの事は友人に頼んであります。)
しかし今、改めて思い返すと、何と身勝手で安易で無責任で
奢り昂ぶった考えだったのだろうと思います。

人は一人で生きている訳でもなく、私の命の期限を私が勝手に
決められるものでもなく、命は頂いたもの
そして生かされているのだと、今更ながら理解できたような
気がします。

あの頃の私は乳がんで死んでしまう』でいっぱいで
どうせ死ぬなら治療で辛い死に方はしたくないと
そんな事しか頭になく。
恥ずかしいことに『生きる』ということを
真剣に考えていなかったのだと、そしてもっと『生きたい』と
いう強い気持ちが足らなかったのだと思います。
生きることを諦めてしまっていたのかもしれません。

不思議なもので、そういう精神状態の時は
壮絶な闘病死、否定的な3大療法の情報ばかりを引き寄せて
しまいます。そして、『やっぱりね』と納得してしまうのです。

がんの治療で命を縮めてしまうと思い込み、皮肉にも
一番辛く、命を脅かす将来を選んでしまったようです。

時に、友人は私のことを強いねといいます。
しかし私はは決して強い人間ではなく
目の前にある事を日々坦々とこなしているだけ。
忙しいせいか、イヤなことを考える時間がないのかも
しれません。

そして

愚かな選択をしてしまった私は、今更人前で泣き言なんて
言えませんからね。自業自得なのですから
さすがに自分の選択をして後悔してないと、そんな強がりは
言いませんけど。(思ってもないからね)

あの時から5年過ぎた今、お陰様でまだ生きています。
この先、頂いた大切な時間、それを心して
遠い先を思い煩うことなく、1日1日を丁寧に生きて
いきたいです。

そして、『口角を上げる』
この言葉、ブロ友さんのブログ記事になってました。
今朝読んで、私、今年の年賀状に私は今年は口角を上げると
一言書いていたことを思い出したのです。

ありがとうございます。






キ ッチンに立つと何処からともなく必ずやって来る

ぴょん『いい子で待ちのポーズでガマンだにゃん』






ぴょん『お母さん、今日は何くれるかにゃぁ?』