今回の記事は長文になってしまいました。
興味のない方はスルーして下さいね。

誰でも過去を思い返すと、
『もしもあの時』と思うことが何度もあることでしょう。

私の『もしもあの時』
特に乳がんが発覚してからは、治療の選択一つにも事の
決断が命に関わり、『もしもあの時』が何度もありました。
今更後悔しても仕方のないことで、過去をいつまでも
引きずっていたら前に進めないのだけれど

私の最悪の決断だった『もしもあの時』は
当然の如く、標準治療から逃げ出し無治療(代替治療を選択)
を選んだこと。
知人の意見に耳を傾けてしまったこと。

多分

この選択をした自分に対し、この先もずっと自分自身に
折り合いをつけることは難しいと思っています。
せめての思いは、自己満足かもしれませんが、
私の経験がたとえ一人でも、誰かの役に立てられるのなら、
そして乳がんと告知されても、私のように逃げないで欲しいと
願っています。逃げから得た選択は将来の後悔に繋がります。

しかし別の意味を持つ『もしもあの時』もあります。
もしも2年前のあの時、治療を受ける決心をしなかったら
私は多分、今生きていないでしょう。
起こるであろう未来を変えたのかもしれません。

私の乳がんが発覚したのは、2012年3月29日
2012年の年が明け、世の中が漸く普通の生活に戻った頃、
お風呂に入って何気に気がついたシコリ。アレッ?といった
感じで、右乳房乳頭部の上に見つけました。

その時私は、乳がん?この言葉が頭の中に浮かびましたが
乳がんのシコリは動かないと聞いたことがある。
しかし私の右乳房のシコリは動く。
だからこのシコリは違うかもしれない?
20代の頃なった同じ乳腺炎かもしれない?

でも……………
ちょっと違うような?

今回は病院へ行った方がいいと、自分の何となくそう思う
感覚が拭いきれずにいました。

そう思いながら、仕事が忙しいを理由にようやく病院へ
行ったのが3月29日。3ヶ月以上経ってからでした。

地元の乳腺外科のある病院へ会社の仕事の帰り、ちょっと
寄ったという感じで行ったのですが

マンモとエコーの結果だけで、いきなり告知されました。
心の準備もなく

『ハッキリ言います。
ほぼ間違いなく乳がんです』


ここから私の普通の日々が変わってしまいました。
(翌日からの生活、仕事も何一つ変わってないですけどね)

うろ覚えですが、シコリの大きさは4㎝×5㎝ぐらいだったと
記憶してます。
その時の医師は、この大きさだと1、2年前にできたモノで
なく、発症はもっと前だろう、そう言いました。

しかし、その年の1月に入ってからある日突然シコリが現れた。
私の中ではそんな感覚でした。
触診で直ぐ分かるあの大きさのシコリは、いくら私でも
気が付かないはずありません。

長い間、小さながん細胞が、そこにひっそり密かに隠れて
巣食っていたのだけれど、ある日突然大きくなって
しまったのでしょうか?

毎年受けていた乳がん検診、実は約2年半の空白期間が
ありました。
2010年の夏以降に受ける乳がん検診は、会社の担当者の
手続きミスで受けられなかったのですが、『まぁ、いいや』
とほったらかしにしたのは自分の責任。
その後、2011年の夏以降に受けるはずの乳がん検診は
案内が来たにも関わらず、忙しさにかまけて伸ばし伸ばしに
したのも自分の責任。

発覚から遡ること2年半前に受けた乳がん検診は
異常なしでした。
あの2年半の空白期間に乳がん検診を受けていたのなら。

そしてあの時、私の担当医(今の担当医ではない)
がもう少し親切に説明してくれたのなら

世の中には乳がんをに罹っても治療を受けて完治された人々
が多くいるのだと、そういう情報を知っていたのなら

乳がん=直ぐ死に繋がるのではない
そのことを私が理解していたのなら

一度、無治療と云う洗礼を受けてしまったら、中々そこから
抜け出すことは難しいのです。

発覚した時の私の乳がんは右腋窩リンパ節転移あり
ステージⅡbでした。

その後、2年間無治療の結果
2年間でステージⅣに進行、手術不可に
(他のリンパ節、左乳房転移、臓器転移なし)
2014年4月末治療開始
現在もステージⅣ(左乳房増悪、リンパ節、肝臓、骨転移)
奇跡が起きなければ、完治の見込みなし。

抗がん剤治療はエンドレス、治療費もエンドレス。
使える抗がん剤がなくなった時、余命宣告があるでしょう。
それがいつ訪れるのか?まだ分かりませんが。
無治療の代償はあまりにも大きいのです。

乳がんに関わらず、がんは十人十色。自分の選択が他の人に
有効とは限らず、まして代替治療はエビデンスはありません。
怪しい治療も山ほどあります。

抗がん剤の全てが悪いものでもなく、
抗がん剤治療をした全ての人に酷い副作用が現れる
わけでもなく、抗がん剤は時にがんの辛い症状を和らげる
こともあります。

がんに罹患された人が、告知され今、絶望しているかも
しれない人が、私のように無責任な情報に惑わされないことを
願うばかりです。

この先も『もしもあの時』そう思うことが何度も
あることでしょう。しかし、どんなに選択をしたところで
結果を思い煩うのかもしれません。全ては自分の心次第。

私がこの経験で学んだ事は、自分が自分が弱い人間だったこと
イヤな事から逃げてしまう臆病な人間だったこと
その事が分かっただけでもヨシとするしかないですね。

さすがに現在は、正面から乳がんと関わっています。
少しは強い人間になったということでしょう。
悪い結果を聞いても平常心でいられますが、余命宣告は
されたくないですね。できれば最期まで。





にゃんの見る夢は……………